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陰キャだの陽キャだの、勝ち組だの負け組だの。いつも二分化されている。それは学校でも社会でも同じだ。
数学教師である男は、生徒と先生という中間地点を垣間見る職業を選択した人生であった。
学生時代も数字が好きでテストは満点。就職しても数学を教えている彼にとって、大人になった今でも環境はさほど変化していない。
授業を学ぶ側から教える側、テストを解く側から作る側になっただけである。
やせ型で黒縁メガネくたびれた白いワイシャツ。
いかにも数学を教えていますといった固定概念の象徴のような姿で、授業を教えていたが、彼の人生の転機は昼食の休み時間に突如としておきた。
クラスで給食を食べていたさい、生徒がふざけて投げたボールが数学教師の給食をひっくり返してしまい、白いワイシャツが染みだらけになってしまったのだ。その姿を見た生徒たちは…
「先生かっこいい」
「俺も真似しよう」
「私も、私も」
次々に興味を示し、皆がこぞって自分の制服を汚し始めたではないか。
例えばファッションなどというものは流行しているあいだは多数が同じ服装をするものだが、ある一定数の人数に到達したとたんにダサい服装となり流行は廃れる。
太い眉が流行れば皆が皆、海苔のように眉を太くし、細い眉が流行れば、爪楊枝のような眉にしだすのと同じ。
何が「ダサく」何が「ダサくない」かの定義は曖昧なのだ。
数学教師の彼は、この価値観が劇的に変化するパラダイムシフトの瞬間が今だという事をすぐさま認識した。
今まで「ダサい」と認識されていた自分の存在が、この瞬間から「ファッションリーダー」へと変化しつつある。
やがて全校生徒に服を汚す流行が知れ渡った頃、街の若者にもその行動が知れ渡り服を汚す者であふれかえった。
ある者は、鼻水を袖で拭き、またある者は、服を汚すために泥水につかり自慢する。
綺麗な服ほどダサい。
汚い服であるほど美しい。
ファッションの価値そのものが裏返しされてしまったのだ。
END
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