初陣の勧め

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 寝室のテーブルランプの光に反応して、紀子は目を覚ました。 状況を理解していないようで、気怠そうに頭をもたげて辺りを見渡していた。  丁度、俺はシャワーから戻ってきたところで、その動きを検知したランプが反応したのだ。 「大丈夫か?水ならあるよ」 ミネラルウォーターを開けて手渡せば、紀子は掠れた声で礼を言って、落とさないように慎重に受け取った。    こくこくと喉を潤す紀子の傍らに腰を落ち着け、顔色を窺うように覗き込む。 「大丈夫か?あんな風に無茶な飲み方は、もうするなよ」 紀子からミネラルウォーターを受け取り、残りを俺が飲み干した。 「ワインって、キツイお酒なのね。舐めるくらいならあったけど、あんなにがぶ飲みしたのは初めてよ」 「ん、俺もワインをあんな風にがぶ飲みする奴は初めて見たかもな」 平時に戻った様子の紀子に安堵したこともあって、俺は少しばかり吹き零した。 「意地悪ね。もう、飲まないわよ。あなたが飲み過ぎなければね」 紀子は俺の頬を少しばかりつねった。 笑っていたその顔が、少しばかり曇る。 「どうして眠れないの?」 俺は俺の頬に手を添える紀子の手を取った。 ナイトランプの淡い暖色の光を受けて、物憂げに俺を見つめる紀子はいつになく妖艶な色香を放っている。 つい先ほどまで酔っぱらって、駄々をこねていた女と同じとは思えないほど女とは変わる。 「……欲しいから」 清純な紀子には言えなかった言葉がするりとまろび出た。 虫が良い言葉だと思えて、ずっと言えなかった。 子供を諦めざるを得なかった紀子に、ただ紀子だけを求めて俺は口にした。 子供などどうでもよく、ただ紀子だけが欲しいと望む卑しい男が俺だった。 「紀子が欲しい」 紀子は抱かせてくれる。 そんなことは端から分かっている。 紀子は俺の妻で、俺の女だという自覚が十分にある女だからだ。 だからこそ、紀子が嫌な顔をチラリとでも垣間見せたのなら、絶対に抱いてはならないと、俺は戒めのように拳を握り込んでいた。 そんな俺の緊張感など余所に、紀子は花開いたように笑みを深めた。 次いで、飛び込んで来た。 「――嬉しいっ!!!」 艶めいた色など微塵もない、無垢な笑みを満面にして、紀子は俺の頭を掻き抱いた。 喜びを噛み締めるように腕を震わせ――腕ばかりかどうやら感極まって泣き出してしまったようで、震え始めた背に俺は狼狽えた。 「紀子もそんなに俺が欲しかったのか?」 「……ん」 こくんと、頷いた顔をようやくにして上げる。 「欲しくない時なんて一夜だってない……の」 豪胆な台詞に反して俺の乙女(つま)は、恥ずかしさのあまりに、余程顔を見せたくなかったのか、又しても俺の首にしがみついてきた。 絞め殺す気なのかと疑うも、全身全霊で愛をぶつけられて、その愛を疑う(バカ)はいない。 「そんなことを言って、覚悟はいいのか?」 長かった禁欲生活に我慢も理性も効きそうにない。 俺はあっさりと紀子の細腰を抱くや、そのままベッドの上に組み敷いた。 「か、覚悟はとっくにあるの。今日はちゃんと私がリードするつもりで――んっ」 冗談じゃない、紀子にリードさせていたら夜が明ける。 聞く耳持たずで、愛らしいその唇を塞いでいた。 「待っ、ゃんっ……」 抵抗するなとばかりに口内を攻め落とせば、紀子はあっさりと陥落した。 「隙があったらさせてやるから、今は好きにさせろよ」 舌舐めずりしながら、俺は蕩けた顔でもっととせがむ紀子に覆い被さっていた。
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