初陣の勧め

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 ナイトガウンを羽織り、「先にシャワーを浴びて来るね」と、私は未だ微睡みにいる彼に囁いた。 浴室に向かおうとする腕を取られて、振り返る。 「その前に付けさせて」 何をと、問う間も与えず彼は鎖骨の少し下、袷から覗く胸の膨らみに唇を寄せたのだ。 ドキンと、煩く跳ねた心音で、痛みなどまるで感じなかった。 どうやったのかさえ良く分からない束の間に、彼は私の身体に印を付けた。 「……何これ?」 白い肌に花弁のように浮かぶ痕に指を這わせる。 彼は目を瞬き、吹き零した。 「キスマークを知らないの?」 彼はくつくつと喉を鳴らして、悪戯に微笑んだ。 今度は私が目を瞬く番だ。 「比喩じゃなかったのね……」 男女の愛を語る時、語り手が視覚的に読者にそうと読み取れるように表現したものだと思っていたのだ。 「紀子は文字の世界で生きてきたの?」 「実戦経験なんて今をおいて他にないでしょ?」 試しに自身の手の甲に口付けてみた。 何も変化は起こらない。 「きつく吸い付くんだよ。それに柔らかいところ」 彼は言うや、今度は私の首筋に口付けた。 「ッひゃ……んん……」 首は駄目なのだ。それと脇腹。 内腿もだとは私でさえ知らなかった。 そんな、自身でさえ知らなかった諸々を暴かれ、こちらはへとへとになったばかりだというのに、この男は――。 「やめっ……っ!」 くすぐったさに抗うと、くすぐったさを凌駕する荒々しさで、私の腰に腕を回した。 ピッタリと体に隙がなくなったらなくなったで、更に心音が跳ね上がる。 それも不味いことは分かっていた。 身体の奥底から芽吹くように這い上がるものが何であるかなど、先ほど散々に思い知らされた。 「や、やん、だめっ」 抗いようの無かった淫らさに、身を委ねる気力なんてもう無いというのに、私は知らず足先でシーツを突っ撥ねていた。 彼を押し退けようとする手にはまるで力が入らない。 挙句、興に入ったのか先ほどよりもずっと長く、彼の息遣いが私の耳を侵して、益々煽られる。 「耳元でそんな悩ましげな声を聞かせてくれるなよ。止められなくなるだろう?」 この男――。 私は彼の腕の中でぐったりと息を吐き、文句を言う気力さえ湧かない。 彼はそんな私を見降ろし、満面の笑みを浮かべている。 「分かった?」 もうレクチャーは要らないことだけは。 私は首筋を押えて、恨みがまし気に睨み付けた。 「ヴァンパイアがどうやって女性を虜にしたのかはね」 「ははっ、なら、君も仲間入りだ」 悪戯に笑って、自身の喉元を私に曝した。 「俺をものにした証を君も記してみたいのなら、喜んで協力するよ?」 獲物を見つけた虎の気持ちが私にも分かったかもしれない。 ドキンと一際高鳴ったのは、搾取する側の欲望だった。 「勿論、Yesよ」 私は彼の頬に手を添え、身を乗り出した。 彼の瞳は私を映して、余裕綽々と微笑んだ。 『動かないでね……』 耳元でそっと囁き、耳朶から頸動脈に唇を添わせて狙いをどの辺りにするか見定めていた。 彼のレクチャー通り、さぞや私は優秀な生徒だったろう。  男の肌は女のそれとはまるで違う。 どこもかしこも硬そうで、嗅ぐわせる匂いさえ何処か獰猛。 ゴクリと喉が震えたのがありありと分かる喉仏に、彼も私と同じで緊張していると察した。 つい対抗意識を燃やしてしまう。 ――大丈夫、私もこの上なく大事にするから。 そんな誓いを立て、私は唇で吸い当てた。 興に入る彼の気持ちが分かる。 欲しいと疼いたのは私の方だ。与える側でも同じなのだと知った。 「の、紀子……」 私の腰に回された腕が痛いほどだった。  彼の首筋に綺麗に浮かび上がった人生初のキスマーク。 何だか痛々しそうで、そっと舌を這わせてしまった。 彼は目を瞬いて驚いていたけれど、虎の気分が抜け切っていなかったのだ。 はしたなくても、そこは許してほしい。 キスマークは口紅の痕でも、口付けの痕でも無かった。 「誓いの証だったのね」 つい、そんな言葉が口を吐いていた。 この世界でただ一人の(つがい)の印に思えて、私は笑みを深めていた。
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