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お姑は眦を引き締め、顔を強張らせた。
「いつから気付いていたの?」
尋問口調で私を問い詰める。
「さ、最初に気づいたのは真司さんです。尊さんの息子――大翔君の血液型がおかしいって……」
私は事の経緯をお姑に説いた。
「……そう。そうね」
気付いていて黙ってくれていたのねと、小さく零した。
──そ、そうなのだ。
真司さんはずっと、私のことを気遣って、切り出そうとしなかった。
それなのに、私はその心遣いをいともあっさりと……。
──私も尊さんのことをとやかく言えたものじゃないわね。
軽く反省するも、切り出してしまったことは、今更収められない。
私は聞く覚悟を固めて、お姑を見つめた。
「尊は間違いなく私と亡き夫との子よ。戸籍上と、それに実質もね」
実質――母親の場合は子供を産んだ時点で親子関係が確定する。
その言葉で私の推測は正しいと確信を得る。
「違うのは遺伝子、そういうことですか?」
「そうよ。尊は私の妹と、その夫の遺伝子を持つ私たちの子よ」
お姑は我が子だと、何度も力強く主張した。
「はい。私も、真司さんもそこに疑いは抱いていません」
私も同じようにはっきりと主張する。
お姑は『よろしい』と、まるで上官のように頷いた。
「妹の夫のことは、紀子さんにも、真司にも、それに尊にも何一つ告げるつもりはないわ。夫がそうしたように、私も墓場にきちんと納める心積もりです」
厳しい物言いだったが、そこに怒りがあるわけでも、憎しみがあるわけでもない、落ち着いた声音だった。
お姑は淡々と業務連絡のように、決定事項を私に告げているだけだ。
「はい」
そのようにすると、私は誓うように胸に手を添えていた。
「子宮癌になった妹が、せめて体外受精で子を望めないかと私に打診してきたの。妹の夫もそれを承諾していて、後は私が頷くか否かだった。私は妹の助けになるならと、二つ返事で代理母を了承したのよ」
私が予想した通りのことを、まるで答え合わせのように淡々とお姑は口にする。
「代理母制度の確立していない日本では難しいからと、私たちは海外で施術を受けたわ。そうして産まれたのが尊よ。本来ならば、そのまま妹夫婦に養子縁組する筈だったの」
けれど、妹さんは敢え無く儚い人となった。
「歩道橋から転落して、妹は事故死として処理された。けれど……」
そこでお姑は、思案するかのように、口元に指先を添える。
「自殺だったんじゃないかって、妹の夫は考えていたわ。何度考えても、私は答えを出せないの。まさかそんな筈はないと、言ってやれなかったことが事実よ」
「言っていれば、何かが変わったのか?と、そればかりよ」と、力なくお姑は頭を振った。
「妹が死んだのは、切除した筈の癌が、骨に転移していることが分かったその日だったわ」
痛ましいその日を思い出し、お姑は眉間に深く皴を寄せた。
「妹にとって、なんら生きる希望にならなかったのであれば、惨いことね」
誰に対しての言葉だったのだろうか。
妹の夫?
それとも産まれたばかりの尊さんだろうか?
かつて腹に宿した命が、まだそこにあるかのように、お姑は自身の腹に手を添えていた。
「妹の亡き後、妹の夫は尊を認知することを拒んだの」
「それは……随分と身勝手ですね」
お姑は苦く笑っていたが、首を横に振った。
「身勝手だと罵るには、私も浅はかだったと言わざるを得ないのかもしれないわ。私は妹ばかりを優先させて、偏った見方をしていたのよ」
それには私が首を横に振る番だった。
「承諾していたのではなく、承諾させられていたのだろうと、やはり身勝手です」
責任ある男のすることではないと、私はきっぱりと言い切った。
お姑は、目をパチクリと開けて、何故か吹いてしまう。
「ふふっ、そうね。その通りだわ」
――当事者でもないのに、つい、熱くなり過ぎてしまった。
そんな私に苦笑しながらも、お姑は話を続けた。
「妹亡き後まで、あの男は夫にも父親にもなれなかったの。その後は、どこぞの女性と再婚したらしいから、尊のことも、妹のことも無かったものとして暮らしているのではないかしらね」
お姑はその男に向けて鼻を鳴らすも、遠い昔を懐かしむように目を細める。
「うちの夫はね、ただ一言、『ならもうずっと俺たちの子だ』って、それだけ」
お姑は間違いなく乙女の顔で、笑みを深めていた。
おそらくは、お舅に恋を重ねた瞬間だったのだろう。
お姑は笑みを零しながら、亡き夫を誇らしげに語る。
「私が代理母になると言い出した時から、『こっちはもうとっくに腹を括っていたんだから、良いじゃないか』なんて、あっさり言われたら、あの男のことなんて私もどうでも良くなったのよ」
これは惚れ込んでしまうのも当然だ。
お姑は、これ以上になく心強かったに違いない。
「格好良いですね」
「あら、私が選んだ人ならそれくらいは言ってのけるものよ?」
完全なドヤ顔である。
「それでも、やっぱり癪だから、尊の記憶には欠片でも入れたくないのよ。紀子さんも真司も、私にそれくらいの意地悪は叶えさせてくれるわよね?」
勿論、私はこれ以上に無いほど良い返事で、賛同していた。
お姑は気分を変えるように腰を上げた。
「さぁ、いつまでも年寄り扱い何て御免だから、悠真を連れて公園に行きましょうか」
悠真は公園と聞いて燥ぎたて、一目散に玄関に向かう。
「待って、悠真。上着を着ないとお外は寒いわよ!」
慌てて支度を整える。
「紀子さんも体力付けて、二人でも三人でも頑張って産まなきゃね。負けているのは名前だけで十分よ」
どうやら由紀子さんに二人目が出来たようだと知る。
「は、はい。がんばりますね」
とは言うものの、そこは神のみぞが知るだ。
『子供は来る気になったら来るもんだ』――そうですよね、お義父さま。
木漏れ陽の下で手を掲げ、私は眩い光に目を細める。
――立原家は今日も安泰の模様です。
私は亡きお舅に向かって告げていた。
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