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人はAIのように無機質には出来ていない。
実質などとは一線を引いた部分を俺は大きく度外視していた。
「あの人を蹴落として得られたものなんか、たかがしれているっていうのに、何をムキになっていたんだろうな」
俺は杉山代理を思い起こし、まるで気の抜けた不味いビールを飲んだかのような、後味の悪さを覚えていた。
「熟年期は変化することを恐れるって言うからな。柔軟性を失い、自分の地位を脅かされないかと固執するようになる。あの人はその典型だった」
水野の言葉に俺も頷いた。
「けど、そんなのはあの人だけじゃないさ。俺にも、誰しもに言えることだ」
変化することへの怖れ――不安を取り除く計らいが必要なことは俺にも分かっていた。
「新システムが導入されても、フォローには回るつもりだったさ」
それは伝えてもあった。
けれどそれでは不十分だったと、冷静になった今なら分かる。
何となくの不安は、即時対応できるか否かという単純なことだけではない。
「プライドが服着て歩いているような人だ。それだけなら半分だな」
水野はやはり分かっている。
俺はただ黙って、水野の言葉に耳を傾けた。
「俺たち中堅は上の旗色を窺いながら、いや、何ならお膳立てしてでも仕事の効率を上げて行かなきゃならない。そんでもって、下の奴らが働きやすいように取り計らってやる。もう、そういうクラスに来ているんだよ」
中堅――仕事の処理能力が最も高く、働き盛りと呼ばれる年代。
出来る側であるからこそ、最も寛容であることが求められてくる。
「実益は勿論、重視する。けれど、組織としての在り方も重視しなければならない――か」
そうでなければ、幾つになっても安心して働ける職場環境とは言えない。
俺はチームとしての規律を乱したからこそ二課に異動になった。
「でも実のところ、うちの課長は手放したくなかったと思うぜ?」
気落ちするなというように、カラリと告げる水野に俺は首を横に振った。
「いいや、もう少しうまく立ち回れた筈だと叱責されたよ」
俺は課長から言われた台詞を水野にそのまま明かす。
『正しく、間違ってはいない。それでもそれだけでは足りない』
課長の言葉は、少なくとも俺を擁護するものだっただけに、ストンと腹に収まった。
何が足りないか、俺は今回のことで少しばかり分かった気がした。
『長年の経験から私にはそれが何か分かったから、今、このポストを与えられているんだ』
昇り詰めて来るも来ないも、お前次第だと不遜な笑みを零す課長から、俺は異動辞令を謹んで受け取った。
そして、辞表を出す腹積もりだった代理を思いとどまらせたのも課長だった。
「少し身軽になって、地方で初心に返ってみるのもいいんじゃないのか?」と、課長は打診したのだ。
「痛み分けだな」
チームを外れたのは俺も、代理も同じだ。
「痛み分けだぁ?何処がだよ、軍配は明らか。あの人は地方へ左遷、お前は二課に配属。そっちの矢島課長がお前を引き抜いたようなもんだろう?」
傍から見ればそう映るが――。
「俺は……手を誤ったんだよ。引き抜かれたのではなく、矢島課長に預けられた。俺自身はそう感じているよ」
同期の水野を見ても、俺に足りないものを感じていた。
「へぇ、それは殊勝なことだな」
俺に一歩近づき、水野はニヒルに目を細めた。
「劣が見当たらないなんて言っている奴は、優だけを見ているからだ。それか、ただのお人好し」
俺は眉根を寄せた。
そんな俺に水野は語る。
「優はどうだっていいんだ。俺たちがわざわざ指導なんてしなくても、そいつらは勝手に伸びていくからな。だったら、俺たち主任にとって、用があるのは劣の方だ」
俺にとって、その見方は斬新なものだった。
目を瞠って、水野を見ていた。
「お前、ちゃんと主任だったんだな……」
他人に目を掛けるよりも抜け目なく勝ちを拾いに行くタイプだと思っていた。
「はぁ?ったりめぇだろう?上に立つ者が下の者らと同じ感性で何が務まるよ?」
確かに……。
「そういう意味で出る杭を打つってことに囚われていた杉山代理は、順当な左遷だ」
水野はハッキリと断定する。
「先陣切って上に楯突けるお前みたいな奴がいてこそ、俺みたいな参謀タイプは活かされてくるしな」
水野は意見が合う合わないにかかわらず、杉山代理とも巧くやっていたのだ。
というより、割と辛辣な性格のわりに水野が誰かと揉めているところなど俺は知らない。
「劣をちゃんと探してみろよ。それでもって、その劣を優に変えてやるってのが主任である俺らの仕事だ」
完全に水野は上の立場で物を言っていた。
「……」
役割あってこそ、俺たちもこのポストを与えられていることに気付かされる。
水野は明確なビジョンを以てこの研修に挑んでいた。
――俺は率いることばかりを考えていたな……。
「だが、見つかるものか?劣と判断する材料は意外に少ないものだからなぁ」
俺の中で『営業の鏡』があの重本さんである限り、抜けて見える奴ほど侮れないのは事実だった。
「お、お前、そ、それ、マジで言ってんのかよ!?」
水野には俺には見えないものがやはり見えているのだろう。
俺は小さく嘆息し、呆れる水野の背を叩いて、猛者らが集う研修ルームに戻ったのだった。
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