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さて、これはどうしたものか……。
私、立原紀子は思案しながら、稚く眠る可愛い我が子のほっぺにキスをして、そっと部屋を後にした。
「寝かし付けられたぁ?」
リビングのソファを背もたれにして、こいこいと指先を振るのは私の上司、三上菜穂(43)である。
そして、ここは間違いなく我が家であり、夫が出張で留守の間に女子会というやつである。
「飲み過ぎです」
ワインを開けようとしていたその手から、私はそれを奪い取った。
「もう、硬いこと言わない、言わない。それ、私が持ってきたやつなんだから」
「はい。ありがとうございます。私の出産祝いですよね?夫も喜ぶと思います」
有無を言わさない眼力で、にっこりと微笑んだ。
「それはもう、前にあげたでしょうが。それはあんたの仕事復帰の前祝い」
ならばどの道、言う台詞は同じではないか。
このほど、悠真の預け先がどうにか決まったのだ。
お姑のお知り合いが、認可外保育所を開所し、そこへ悠真が二歳になれば入所させていただけるというお話をいただけた。
それで、正式に来年度より総務に仕事復帰する旨を伝え、その折に上司である彼女とも言葉を交わしていた。
互いの近況を話す流れで、今、夫が出張の為に留守を預かっていることを漏らしてしまったのだが、まさかこのような襲来を受けるとは思ってもみないことだった。
「幸せそうにしやがって、何かムカつくわ」
現在、お独り様の上司は鼻に皴を寄せた。
「それは飲み過ぎが原因です。お酒はもうその辺にしてご飯にしませんか?」
さっくり躱して、彼女が飲み散らかした缶ビールやつまみ類を片付ける。
「やだ、こんな時間に食べたら太る」
「その心掛けは分かりますが、お酒飲んでるんだから、罪深いのは一緒じゃないですか」
ついうっかり、夫の分も習慣的に作ってしまったのだ。
というより何より、それならもっと手を抜けばよかったと嘆いたところで後の祭りだった。
「こっくりほくほくの肉じゃが、それに、厚揚げと小松菜の御味噌汁に――」
きっと、お酒よりは真っ当な話が出来そうだと、私はゆっくりとお品書きを述べる。何か吐き出したいことがあって、彼女は頼ってくれたに違いないと私は踏んでいた。
「味噌汁……」
お酒の入った人に、肉じゃがはキツかったかしら?
「あと、副菜はキュウリと雑魚の酢の物です」
上司の顔が此方を見上げた。
これはもう、あと一押しと言ったところだろう。
「だし巻き卵もお付けいたしましょうか?」
お酒を嗜む人って、なぜか好きなのよね。
お酒に合うの?
よくわからないけれど、うちの父がそうだった。
「ぐっ……そ、それはいいわ。明日の朝で」
――ぐっ……、朝まで持ち越すことは既に決定事項なのね。
ま、夜も更けて来たことだ。
ここはお預かりするしかないと、腹を括る。
それにやっぱりちょっと、いや、この状況を大いに楽しんでいる自分も否定できなかった。
「チーフ、朝は温泉卵にしましょうよ。私はさっぱりいきたいです」
頭の中でどちらにするか天秤に掛けたのだろう。
眼が僅かに揺れ、上司は頷いた。
「ん、決められないから任せる。それに、チーフは無し」
無礼講のお許しが出た模様。
「はい。承りました菜穂さん」
「そっち!?」
「『三上さん』なんて他人行儀は味気ないですもん」
確かに初めての試みだったけれど、しっくりくる。
「ふふっ、菜穂さん。来てくれて嬉しいです」
なんだか、お酒も入っていないのにふわふわしてくる。
にこにこしている私に菜穂さんは、ぼそりと零した。
「このリア充め……」
――たまには菜穂さんでね。
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