結婚の勧め

8/25
前へ
/66ページ
次へ
 離婚の経験はおろか、浮気をされた経験も私には無い。  なんせ、何から何まで夫が初めてだという私には、恋に破れた経験さえもないのだ。  何もかも経験不足のままで、掛けられる言葉の選択肢は非常に限られていた。  だからもう、心のままを口にした。 「私、菜穂さんのウエディング姿、見てみたいです」 「はぁあ!?――って、何で今の話でそこなのよ?」 目を見開いた菜穂さんは、次いで盛大に鼻に皴を寄せた。 ――あら? どうやら、後押しが欲しかったという話ではなかったようだ。 「どう考えても絵面が(わり)ぃわ」 確かに菜穂さんに純白のドレスというイメージはない。 知らず、下唇に指先を当てて、私は真剣に考え込んでいた。 菜穂さんの嫁入りをイメージした。 「――和装?」 真っ白な白無垢、栄える赤い唇。 三々九度をする姿までもを想像する。 「決まりですね」 最高に綺麗だ。うっとりと私は呟いた。 「って、何がよ?人の話聞いていたのか、コラ」 仕事の出来ない新入社員を見るかの、何処か懐かしい目を向けられてしまう。 ――完璧な構図なのに……。 ケチを付けられた心地であったが、別案を吟味する。 「ドレス推しなら、肩を出したちょい際どい奴にしましょうよ」 大人の色気出しながらも、清廉さを崩さないようにしたい。 素材はシルク、この一点に限るけど、ゴールドの金糸で刺繍なんか施してあれば、尚、圧巻だろう。 但し――。 「菜穂さん、後三キロは追い込んでおいてくださいね」 身体のラインが誤魔化せないことに念を押す。 乙女心に絵面はやはり無視できない。死活問題だ。 「ふんっ、やっぱりまたムカついて来たわ」 菜穂さんは、お味噌汁をご飯に掛けて、そのままお茶漬けのように掻き込んだ。 「それは暴飲暴食が原因かもしれません」 「ん、ごっそさん。美味しかったよ」 きちんと手を重ね合わせて、菜穂さんはまたもや華麗に私をスルーした。 「はい、それは良かったです」 綺麗に空いた皿に、笑みを忍ばせた。 流し台でそれらを片付けながら、声を上げる。 「菜穂さん、朝は珈琲派ですか?」 「んー。今、飲みたい。朝はご飯だよね?なら、煎茶でいいよ」 温泉卵をポーチドエッグに代えても良かったのだが、ここは黙っておく。 「今はほうじ茶にしません?眠れなくなりますよ」 香り高いのはどちらにも言えるけれど、香ばしさに清涼感のあるほうじ茶が、和食の後にはお勧めだろう。 何より、私が飲みたかった。 「いいよ、任す」  お客様用の白磁の陶器を取り出し、冷凍庫に眠っているほうじ茶の封を開けた。 いつだったか、どなたかの香典返しにいただいたものだ。 そして、陶器はどなたかの引き出物だった。 「さっきの、癪だけど当りよ」 菜穂さんはやはり後押しを求めて来たのだ。 「立原を見ていたら、少しは結婚に前向きになれる要素が見えてくるかとね」 結婚歴において、菜穂さんよりも私の方が少しばかり先輩であるからだろう。 敬愛する上司に頼られるというのは、張り切りたいところなのだが……。 「ご期待には添えられましたか?」 菜穂さんは顎に手を添え、品定めするように私を眺め見る。 その試す眼つきに、私は知らず背筋を伸ばしていた。 ――さっきまでの何処かしょげた菜穂さんはいったい何処へ? ニヤリと口角を上げる様はすっかりいつもの調子である。 「いや、それはこれからの質疑によるね」 まるで採用面接時の人事。 若しくは、面白い企画を受け取った時のチーフの顔だった。
/66ページ

最初のコメントを投稿しよう!

65人が本棚に入れています
本棚に追加