妊活の勧め

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 その程度のことだと高を括っていた筈が、徐々に俺たち夫婦の歯車を狂わせていく。  まさか、そんなことになるなど、まるで想定していない形で現れたのだ。 「真司さん、あの……今日がその日だけど」 遠慮がちに性行為を求める妻に対して、何ら(さか)ることがなくなって来たのだ。 「……仕事で疲れているから、今日はちょっとな」 夫の務めを放棄する後ろめたさを感じつつも、何だかんだと言い訳をしてやり過ごすことはザラだった。  俺は何かに、あるいは誰かに強制させられているような、そんな強迫観念を抱くようになっていた。  レスな夫婦の気持ちが初めて分かった。  紀子に対して愛情がなくなったわけではない。 心には何の変化も感じられないというのに、紀子に対してまるでそういう気になれないのだ。  男としての機能を欠損した感覚に、俺は苛立ちに似た焦りを抱えるようになる。 「どうやったって冴えないから、無理だ」 完全な八つ当たりをして、萎えたそれを紀子に見せつけたこともある。 俺は俺の心のやり場に手一杯で、紀子の気持ちを顧みることがまるでできなくなっていた。 ――どうして俺ばかりがこんな想いをしなければならないのか!? 次第に沸々と沸き立つ憤りは嗜虐心に取って代わる。 「ふっ、今日はしてやるよ……」 何の前座も無く、紀子のショーツだけを剥がし、ただ無感情のままに突き立てたこともある。 キスも何も無いただの子作りの為だけのセックスはレイプと何ら変わらない。    行為に及んだ際の虚無感と、夜が明けた朝に訪れる罪悪感に、俺の心はじわじわと病んでいった。  紀子はどんな冷えたセックスだろうと文句の一つも零さずに受け入れた。  全ては子供欲しさに耐えていたのだろう。 そして、そのことが拍車を掛けて、俺を苛立たせていた。 「お前が自分で入れろよ」 そんな暴言は、もはやDV(ドメスティック バイオレンス)の何ものでもない。  半年、あるいは一年が過ぎる頃だろうか。 山のように、めちゃくちゃに傷付けて来たというのに紀子は俺を抱き止めた。 ――俺の気持ちなんてどうせ分からない。 そんな感情に焔立った悪意は、次の紀子の言葉で鎮められる。 「もう諦めても許してくれるんじゃないかな?赤ちゃん」 諦めなければ会えるかもしれない我が子を想って、紀子は呟いた。 「――そうまでして、あなたは赤ちゃんが欲しい?」 「いいのか?お前、昔は三人が理想とか言っていただろう?」 それは未だ、結婚したばかりの頃だ。 何も知らず、未来は理想ばかりで輝いていた。 「夢はね。でも、絶対に失いたくない現実は此処にあるもの」 紀子はギュウっと俺にしがみつく。 伝われと、何かを願っているようだった。 「真司さん、沢山、傷付けてごめんね。でも、もう寂しいセックスはしたくないの」 傷付けて来たのは明らかに俺なのに、紀子は俺に謝った。 どうして謝るのか? そんな虫の良い問いは出来なかった。 紀子は謝れない俺の代わりに謝ってくれていた。  紀子の芯は、柔らかい見目に反して割と強い。 いつになく毅然とした声音で俺にはっきりと宣告する。 「残念だけど、私、赤ちゃんよりもあなたを選ぶ。私は母である前にあなたの妻なの。あなたも、赤ちゃんよりも私を選んで。私の夫は真司さん、あなたよ。今更、独り降りるなんて許さないから」 今にも決壊しそうに涙を溜め込んでいるというのに、紀子は俺の為に無理やり笑おうとする。 「ふふっ、先着順っていうのが何でも世の倣いだもの」 その歪笑(ほほえみ)は誰より美しく、慈愛の女神を思わせた。 『愛おしい人』そんな囁きでもって、紀子は俺に口付けをした。 久しぶりのキスの味は少しばかりしょっぱくて、いつまでも舐めていたいほどに甘かった。
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