初陣の勧め

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初陣の勧め

 紀子は宣言通りに妊活を終えて、基礎体温もつけることをやめた。 「さぁ、素敵な朝よっ!起きて、起きて」 起こしたいのか、起こさない気なのか、紀子は俺の寝ているベッドに向かってダイブした。 「ぐぇ……重い」 「ピピピ、ペネルティです。それは女性に言ってはならない禁句です。モラハラで訴えられますからね」 動けない俺に対して、紀子はペナルティだとして頬にチュウをしてきた。 「それはセクハラで訴えられないのか?」 「嫌ならね」 にっこり悪戯に笑う顔が、俺から罪悪感を崩しにかかる。 そんな偽りの優しい笑みに、俺は甘んじて騙されてきた口だった。  ――紀子だって、まだまるで癒されていない筈なのに……。  酷い喧嘩をした時などは、こうした紀子の奇襲が俺を待ち受けていることは、これまでも往々にしてあることだった。  それにどれだけの勇気が要るのか、俺はいつだってすっかりほとぼりの冷めた頃になって思い至るのだ。 ――とことん、ダメな夫でごめんな……。 妻の前で、泣きたくなったのは初めてかもしれない。    少しばかり、紀子の仮面が剥がれた。 「ねぇ、同意してくれる?」 不安げな笑みに、俺は紀子が見せてくれたのと同じ、歪んだ笑みで応えていた。 「勿論……するさ」 紀子は再びキスをくれた。 ただし、今度は俺の渇ききった唇に。 ゆっくりと、癒すように唇をなぞる。 潤う頃には興に乗じて、互いの呼気が色味を持つ。 下半身が熱く反応し、思わず布団の下で拳を握り込んでいた。 「なぁ、まさか朝飯がこれなのか?」 「うんん、これは朝の食前酒。ちゃんと起きてやることやりましょう」 立ち上がろうとする紀子をギュウと掛布団ごと包んで抱き締めた。 「くふふっ、簀巻きにするつもり?」 紀子は笑うが、俺は笑えないほどにこのまま紀子を閉じ込めてしまいたい独占欲を抱いている。 ゴクリと喉を鳴らすも、理性を保つ。 「……仕事に行かないとな」 紀子の額に掛かる前髪を指先で整え、俺は出来るだけ柔らかい表情を装い笑っていた。 ――もう、絶対に怖がらせたくない。 それに泣かせたくなかった。 布団で包んで抱き締めなければ、何だか紀子を穢してしまいそうで怖かったのだ。  甘い言葉よりも、辛い言葉がより強く残るとは本当のようである。 『寂しいセックスはしたくない』 ――余韻のように脳裏にそればかりが響く。 俺は手の出し方がまるで分からなくなっていた。 もう絶対にあんな風に紀子を傷つけたくないと、この年齢にしてまるで童貞のように性行為に及び腰になっていたのだ。  どうやら悪循環とは、そう簡単に抜け出せるものではなかったようだ。  子作りに励む必要がなくなった今、また違った意味合いで俺たちはレスの道を辿っていた。
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