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土曜出勤の仕事帰り、私――立原 紀子は、まるで平均台の上を歩いているかのように真っ直ぐとショッピングモールを闊歩していた。
僅かに顎を引き、目線は遠く何か目指すものが確とそこにあるかのよう。背筋を伸ばして、下腹部まで意識を集中して腹筋を引き締める。
そして、つま先を僅かに外側に向けて足先で着地すればヒールの着地音は全く響かない。
道行く人を遣り過ごし、時折、その様をウィンドウ越しに確認する。
――少し、ヒップライン下がっているかも……。
優雅に、美しく、気品ある理想の姿と合致しない点を微調整する。
一体、何をしているのか?
決してナルシストのそれではありません。
ウィンドウショッピングという名の有酸素運動をしているのだった。
だって、ジム通いなんてとても頑張れない。
電車待ちの時間を有効に使って、楽しみながらのながら運動でないと飽きてしまうし、続かないのだ。
「お客様、姿勢が抜群にいいですね。もしかして雑誌のモデルさんとかですか?」
店員さんからそんな煽りを受けたのなら、俄然やる気に火が点く。
垂れたヒップも上がるというもの。
姿勢はともかく、顔を見れば凡庸とがっかりしただろうが、私の口元は緩んだ。
――財布の紐は硬いけれどね。
内心で舌を出しながら、ディスプレイされている財布に目を落とす。
「ペアのものはありますか?」
「ああ、それならこちらに……」
指し示されたそれを手に取ってはみたけれど、特にこれだと思わせる品では無かった。
本日、5月22日――Go夫婦『結婚しよう』は、私たちの結婚記念日なのだ。
夫は絶対に忘れている。
実は私もすっかり忘れていた。
クリスマスのように国民的行事にでもして貰えねば、覚えていられる自信は無かったものだから、私たち夫婦は祝うことを習慣にして来なかった。
『ごめんなさい。私、そういうの絶対忘れる。もう今から申告しておきます』
結婚一年目にして私は泣き言を言っていた。
辛うじて思い出し、慌てて作ったケーキは大失敗。
泡立て具合が足りずに、沈み込んだシフォンケーキになってしまう。
『ん、そういう奥さんで良かった。俺も忘れるタイプだから』
夫は夫でそんな私を見て思い出したようだった。
一年目は夫婦で協定を結んで、互いに忘れても恨みっこ無しよと、調印したものだ。
結婚記念日を思い出したのは今朝、出掛けに夫が『何時に帰るんだ?』と、珍しく珍しいことを訊ねて来たからだ。
――だって、いつも土曜出勤の日は定時だもの。
何かあったのかしらと、退社する頃に気になって、カレンダーに目を向けて気付いたのだ。
私たち夫婦は『学生結婚』、当時、私と夫は共に大学生だった。
夫は私より二つ上、彼に就職の内定が決まった頃にそんな話が不意に出た。
本当に他愛のない会話から出たもので、改まってしたような話ではない。
話の中からプロポーズの言葉を拾い上げただけのようなもの。
それでも、私の心を温めるには十分なものだったのだ。
その足で婚姻届けを取りに行き、何処まで本気なのか定かでないまま、まるでただの宛名書きをするような心持でサラサラと名をしたためたのだ。
「うちの母は紀子のことを気に入っているから、多分問題ないとして、問題は紀子の親父さんだよな」
うちは父子家庭だった。
ある日、私が小学校から帰ってくると、いつもの食卓の上に一枚の離婚届が据え置かれていた。
母とはそれっきりだった。
随分と経ってから、それを世間では『蒸発』というのだと知った時は、ああ、なるほど、巧いこというものだと思った。
あれほど影響力のあった存在感が、ふっと忽然に消えてしまう。
縁を切るともいうけれど、まさしくその言葉通りにことがなされたのだと私は理解した。
そんな私を迎えてくれたのは父の母、私にとっての祖母である。
祖母には、世の好々爺のように甘えを許すような優しさは無かったけれど、きちんと生きていく上で大事なことを、私が見落とさないように教えてくれているような人だった。
私が高校に上がる頃、祖母が他界してから大学寮に入るまでの間は、父と二人、粛々と暮らして来た。寡黙な人だったから、父とはそういうものかと思って、私も黙々と合わせていたけれど、今となっては随分と静かな暮らしだったのだと知る。
「父も真司さんのことは認めている節があるから大丈夫だと思うわよ?」
でなければわざわざ、自分から携帯の番号を彼に教えたりなどしなかっただろう。それは夏休みに、『初めて恋人が出来ました』と、報告を兼ねて帰省した折りしのことだった。
あの寡黙な父と何を話しているのか知らないけれど、たまに彼らは連絡を取り合っているというのだから、驚いたものだ。
「事後承諾でも怒られないかな?」
父の出方は私にも読めなかった。
寡黙な人だけれど、娘をどうでも良いとしている冷たい人では無いと知っていたからだ。
「……だったら、謝るだけじゃない?」
『思い立った日が吉日』――5月22日が拍車を掛けて、何かの導きに思えた。
「じゃ、同罪ってことでいいよな」
彼は悪戯顔で笑うや、あっさりと受付口に差し出した。
そんな互いが不意に思い立ったことで、私たちは入籍を済ませてしまったのだ。
「もう、逃れられないな」
両性の合意のみに基づいて成立したけれど、すぐさま離婚なんてことになったら赤っ恥もいいところだ。
校内でも知れ渡るに違いない。
「そうね、まだ何も実感はないけれど」
半ば勢いで婚姻届けを出したものの、何だか急に怖くなって互いに手を繋ぎ合わせた。
後悔するのかどうかなんて、先のことは何も分からない。
はっきりとしていることは、この手を放さず、しっかり大事にすることだ。
そう指針が定まれば、心は整った。
「よろしく頼むな」
「うん、此方こそね」
互いに顔を見合わせ笑い合う。
「へへっ」
なんだか酷く甘えたい気持ちになって、私は妙な笑い方をしてしまう。
「ははっ」
夫になった彼は、はにかんだ笑みを零して、そんな私を掻き抱いた。
喜びを噛み締めていることが伝わって来て、私は嬉しくて堪らなかったことを今でもはっきりと覚えている。
今の真っ当な大人の私の目から見れば、まるで小学生かと疑うほどに、何て初々しい豪胆さだと信じ難い。
結婚六年目を迎えた今の私たちを見れば、同じことを彼らはおそらく出来ない。
でも、彼らの豪胆さがあってこそ、今の私たちがいる。
そんな、忘れたくない、忘れられない大事な想いが、この六年の間の日々に山のように降り積もって、今の私たちがその頂に立っている。
結婚とはそれほどにハードルの高いものになっていた。
それでも指針は何らぶれずに同じ位置にしっかりと記されている。
特別な日の記念などなくても、私たち夫婦にはそれがあるだけで十分だったのだ。
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