88人が本棚に入れています
本棚に追加
俺はほっと肩で息をすると。
「清、大丈夫か?」
「ん…」
まだ座り込んだままの清の二の腕に鳥肌が立っているのに気付いて、着ていたパーカーを脱いで肩にかけると、そこへ手を置いた。
震えている。しゃがみこんで清を見つめると。
「俺、お前と進士さんに昔何があったとか、今何が起きてるかとかは聞かない。けど、お前が真から嫌なら、俺が守るから。だから、嫌なら言って──」
言いかけた俺の胸元に、清が額をこすり付けてきた。
「…清?」
「すばる。俺、無理やりされかけた。あんなの、なんの合意もない…。あいつは、俺が誘ったとか欲しそうな眼をしてるとか、色々薄汚い言葉を吐くけど、俺はそんなこと一度も…」
俺はそっとその震える肩を抱きしめる。
「身体って面倒だよな? 好きでもないのに、変に触られれば反応しちまうし。でも、それとこれとは別だ。ほんの少しでも思いがあるなら別だけど。そうじゃないなら、それは無理強いだ。心とは関係ない」
「…すばる」
「な。もう、帰ろう。ここでなくたって、お前はお前でいられるだろ? それに、家にいる清ももう一人の清だ。俺はもう、両方の清を知っているから、だから」
ぎゅっと背に腕が回され、更に身体が密着する。素肌の清からは早くなった鼓動が伝わって来る。
「すばる、俺はすばるが好きだ。大好きなんだ…」
「うん。分かってる」
そうして清が落ち着くまで、その身体をずっと抱きしめていた。
その日のうちに、俺は清を連れて家に帰った。
帰ったとたん、俺の両親が大喜びで出迎え、家に招き入れる。もちろん、そこには清の母親もいて。
久しぶりに皆で賑やかな食卓を囲んだ。
次の日から、清は俺と一緒に高校へ通いだした。後半年もない。貴重な清との高校生活だった。
俺は漸く清との穏やかな日々が戻ってきた気がして、返事のことも忘れるくらい、充実した時間を過ごしていた。
放課後、ふと端末を見ると珍しくコウから連絡が入っていた。
『放課後にちょっと寄って欲しい』
何だろ? 清じゃなくて俺なんて。
清には頼めない何かがあったのか。
それとも、頼んでおいたウェットスーツが出来上がったのか。確か来週になると言う話しだったけれど。
サーフィンを教わる回数が増えて、それくらいなら自分のを作ったほうがいいと、コウからの提案だった。
慌てて清を探すと、丁度、担任に呼び止められている所だった。
雰囲気的に時間がかかりそうだ。
「清、俺、ちょっとコウさんの所、行ってくる! 先に帰ってていいからな? 多分、ウエットのことだと思う」
「え? ああ、分かった…」
清は首を傾げつつも、頷いて見せた。
もう、いつかの様にバスは乗り継いでいない。案外自転車で行けない距離ではない事を知り、今は殆どそれで通っていた。
濃いブルーの車体のスポーツバイクは、実はコウのものだ。もう乗っていないからと譲り受け。
古いタイプだが、乗りやすいし、フレームも渋くて格好いい。その自転車で坂を登り切り、玄関先に乗り付ける。
汗だくだ。着ているシャツを脱ぎたいと思いつつ、鍵を使いドアを開ける。
「コウさん?」
何故か室内はシンとしている。月曜日はランチ営業はしていない。そのせいもあって、個人的な用で今日の呼び出しかと思ったのだが。
取り敢えず、玄関を上がり、背負っていたバックパックを肩から下ろした所で。
廊下の奥から人の足音が聞こえた。床が軋む。
「コウさん? ウエットスーツ、出来た──」
のかと問おうとした途中で言葉が止まった。
奥から出て来たのは見知らぬ男だったからだ。
随分体格のいい、日に焼けて茶髪の、ピアスが耳や鼻、口、至るところに開けられている、見るからにガラの悪い男だ。
泥棒?
俺は手にしたバックパックを握りしめ、後退する。
「どちら様ですか?」
男は軽く首を回すと、
「え? ああ、知り合いだよ。留守番、頼まれてさ」
手にしているのはコウの端末。何故、この男が持っているのか。
「俺、コウさんに会いに来たんですけど。コウさんは?」
「う〜ん、さあ? ちょっと海出て来るってさ。直ぐ帰って来るから、よろしくってね。これコウが忘れてったんだよ」
男は言いながら、端末を振って見せ、ごく自然に近づいて来る。
「中で休んでくれって言ってたぜ?」
俺の正面まで来ると立ち止まった。
「そう、ですか」
俺は何故か緊張が解けない。これが奏介の様な人物だったら、きっとこうはならないだろう。
とても、男と一緒にリビングに入る気にはならなかった。
最初のコメントを投稿しよう!