第9話 海からの便り

5/5
前へ
/30ページ
次へ
 会社帰り、久しぶりにコウの名前で着信があった。  なんだろう?  コウはその後店を閉め、湊介と二人、別の場所で仕事を始め暮らしていた。マナとアキも同様だ。  店舗兼住居だったあの家は、今は住む人もなくひっそりとしている。  なぜ知っているのかと問われれば、時折、過去のすばるに会いに行くためだった。  あそこに行けば、記憶の中だけとは言え、笑顔のすばるにいつでも会うことが出来る。  それは唯一、心を癒せることができる、大切な時間だった。  コウに電話をかけ直すと、 『信じられない! 清、信じられないんだ!』 「いったい何が? 分かるように話してよ、コウ」 『すばる君が、来たんだ!』 「…は?」  数週間前の金星食を思いだした。  しかし、あれは誰もが見えるものではないはず。  コウもそれを見たのか?  不審に思っていれば、どうやらそうでは無いらしい。  取り敢えず、前に住んでいた海沿いの丘の家に来いという。 「分かった。すぐに行く」  コウ程興奮はしていなかった。きっと、コウもあの幻を見たのだろう。そう思ったからだ。  だから、興奮して──。  その後、すばるがいなくなってから、ご両親は母方の実家へ身を寄せた。かなりの山奥で、とても静かな場所らしい。落ち着くまでそこで暮らすとの事だった。  清の母親も、拠点を海外へと移し。今はアジア各地を、新たなパートナーと共に巡っている。  皆が新しい、すばるのいない日常を歩き出していた。そこへ今回の出来事。  コウもかなり気落ちしていた。ボードなんて教えなければと。でも、それは仕方ない。  どれも、すばるの選択だったのだから。誰も責められるものではない。  俺だって、すばるの傍を離れなければ。    後悔しない日はない。  そのすばるが現れたなんて。とうとう、コウも可笑しくなったのか。  訝しく思いながらも、清は家へと向かった。    丘の家はまるで昔を取り戻したかのように、暖かい光を窓から零していた。  久しぶりに人の気配を見た気がする。  玄関が見えて来た所で、そのテラスに腰掛けている人影を見た。  誰だろう?  外灯が当たらないため、顔の判別がつかない。ここから見ても、黒い塊にしか見えなかった。 「…清?」  幾分、大人びた、聞き覚えのある声。身体が固まる。  いや。嘘だ。冗談だ。俺はまた、辛い幻を見ているんだ──。 「清…っ!」  暗い影から、突然、光を浴びて一人の青年が姿を現した。駆け寄ると、がっしりと清の身体をホールドする。  嘘だ。だって。 「ごめんっ! 清、俺…」  すばるは、死んだ──。 「…どう、して? 幻だろ? また、消えるんだろ…?」  けれど、今度のすばるは違った。首をブンブンと振ると。 「消えない! 幻なんかじゃない! 俺は…清の傍にずっといる…!」  すばるは徐に顔を上げて。 「清。俺、もう一度言う。お前が好きだ」  目に一杯に涙を溜めて、見上げて来る。  随分と背が伸びた。でも、やっぱり俺のほうが高い。茶色いフワフワした癖毛はあの時のまま。肌は焼けている。これは海の男の焼け方だ。そこだけは、男らしくなったなと思う。 「もう一度って。やっぱり、あれは幻じゃ──」 「違う。どうしても言いたくて。俺、諦め切れなくて…」 「もう、いい」  清は力なく笑う。その様子に、すばるは不安を見せた。 「清?」 「だって、すばるがここにいてくれる。それだけで──」  ぎゅっとその身体を抱き締めた。  もう、何もいらなかった。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

88人が本棚に入れています
本棚に追加