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会社帰り、久しぶりにコウの名前で着信があった。
なんだろう?
コウはその後店を閉め、湊介と二人、別の場所で仕事を始め暮らしていた。マナとアキも同様だ。
店舗兼住居だったあの家は、今は住む人もなくひっそりとしている。
なぜ知っているのかと問われれば、時折、過去のすばるに会いに行くためだった。
あそこに行けば、記憶の中だけとは言え、笑顔のすばるにいつでも会うことが出来る。
それは唯一、心を癒せることができる、大切な時間だった。
コウに電話をかけ直すと、
『信じられない! 清、信じられないんだ!』
「いったい何が? 分かるように話してよ、コウ」
『すばる君が、来たんだ!』
「…は?」
数週間前の金星食を思いだした。
しかし、あれは誰もが見えるものではないはず。
コウもそれを見たのか?
不審に思っていれば、どうやらそうでは無いらしい。
取り敢えず、前に住んでいた海沿いの丘の家に来いという。
「分かった。すぐに行く」
コウ程興奮はしていなかった。きっと、コウもあの幻を見たのだろう。そう思ったからだ。
だから、興奮して──。
その後、すばるがいなくなってから、ご両親は母方の実家へ身を寄せた。かなりの山奥で、とても静かな場所らしい。落ち着くまでそこで暮らすとの事だった。
清の母親も、拠点を海外へと移し。今はアジア各地を、新たなパートナーと共に巡っている。
皆が新しい、すばるのいない日常を歩き出していた。そこへ今回の出来事。
コウもかなり気落ちしていた。ボードなんて教えなければと。でも、それは仕方ない。
どれも、すばるの選択だったのだから。誰も責められるものではない。
俺だって、すばるの傍を離れなければ。
後悔しない日はない。
そのすばるが現れたなんて。とうとう、コウも可笑しくなったのか。
訝しく思いながらも、清は家へと向かった。
丘の家はまるで昔を取り戻したかのように、暖かい光を窓から零していた。
久しぶりに人の気配を見た気がする。
玄関が見えて来た所で、そのテラスに腰掛けている人影を見た。
誰だろう?
外灯が当たらないため、顔の判別がつかない。ここから見ても、黒い塊にしか見えなかった。
「…清?」
幾分、大人びた、聞き覚えのある声。身体が固まる。
いや。嘘だ。冗談だ。俺はまた、辛い幻を見ているんだ──。
「清…っ!」
暗い影から、突然、光を浴びて一人の青年が姿を現した。駆け寄ると、がっしりと清の身体をホールドする。
嘘だ。だって。
「ごめんっ! 清、俺…」
すばるは、死んだ──。
「…どう、して? 幻だろ? また、消えるんだろ…?」
けれど、今度のすばるは違った。首をブンブンと振ると。
「消えない! 幻なんかじゃない! 俺は…清の傍にずっといる…!」
すばるは徐に顔を上げて。
「清。俺、もう一度言う。お前が好きだ」
目に一杯に涙を溜めて、見上げて来る。
随分と背が伸びた。でも、やっぱり俺のほうが高い。茶色いフワフワした癖毛はあの時のまま。肌は焼けている。これは海の男の焼け方だ。そこだけは、男らしくなったなと思う。
「もう一度って。やっぱり、あれは幻じゃ──」
「違う。どうしても言いたくて。俺、諦め切れなくて…」
「もう、いい」
清は力なく笑う。その様子に、すばるは不安を見せた。
「清?」
「だって、すばるがここにいてくれる。それだけで──」
ぎゅっとその身体を抱き締めた。
もう、何もいらなかった。
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