キャンプをしたいだけなのに

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 1 山が紅葉に染まるというが、針葉樹を無計画に植林された山々の色づきは、染まっていると言うにはあまりにまだらだ。 杉や檜の間に埋もれ、広葉樹が申し訳なさげにポツポツと色づいている様子は正直もの悲しい。車の窓のわずかな隙間からひらりと入りこんだ葉は、そんな中で意外にも銀杏だった。ハンドルを大きく切って勾配を上がりながら片手でその葉を拾い上げて一瞥し、同じ窓の隙間から投げ返した。 視線を前に戻す。午後の日差しの中、視界は古びたアスファルトと落ち葉をまき散らす木々だけだ。 もうずいぶんな時間対向車に出会っていない。山を登り進めるごとに道幅もどんどん狭くなってきているので、正直いま対向車に来られても困るが。ナビを見ると、マップに写る道路は蛇のようにうねっており、分岐点は一つもない。音声ナビは「この先、5キロ以上道なりです」といったきり、20分以上沈黙している。最後に民家を見たのは何分前だろうか。 いいね。人がいない。ハンドルを切りながら笑みがこぼれるのを感じた。 私は人が嫌いだ。と言っても別に人付き合いが苦手なわけではない。むしろ職場でもよくやっている方だとは思う。知り合いも多い。ただ、友人と呼べる人は皆無だ。恋愛経験も積んではいるが、恋人関係が長く続いた人もいない。なんとなく、でもどうしようもなく、他人が嫌いだ。 想像してほしい。 例えば、ある朝に音楽を聴きながら職場に向けて歩いているとき、すぐ近くにそれほど仲良くないが無視もできない同僚が歩いているのを見つけたとしよう。誰だって少なからずは、なんともいえない面倒くさいような、腹立たしいような気持ちになるだろう。多分それだ。私はその気分が常時発動中だと思ってほしい。知り合い有無にかかわらず、休日のショッピングモールは歩くだけでストレスがたまるし、満員電車など拷問に近い。小学生の頃からずっと、私の理想の世界は、ゾンビ映画に出てくる町並みだ。人類が死滅した世界に一人きり。最高だ。まあ、それがかなわぬから、平日必死にあせくせ働いて、貴重な休日にこんな山奥にしけ込む事になっているのだが。 急に木々が開けたと思ったら、続く道の脇に古びたログハウスが見えた。「目的地は右側です。お疲れ様でした。」とナビが終了する。 こぢんまりとした駐車場には黒いジープが一台。その隣に愛車の黄色いミニクーパを止める。一眼レフを肩にかけ、財布を片手に車を降りた。軽く伸びをしながらログハウスを眺める。「工芸品」「革細工」と看板が掛かっている。「キャンプ場受付」の看板はないかと探したが、見つからなかった。ネットでは山の中の小屋で受け付けと書いてあったし、電話で予約をした際も「上まで上ってきたらお土産屋がありますので」と言っていた。ほかに候補の建物はなかったし、ここで間違いないだろう。  ドアを開けて入ると、午後の日差しで暖かい店内は木の香りというよりかは少しほこりっぽい匂いがした。両壁には動物の毛皮や角の骨でつくったのであろう雑貨が並んでいた。一眼レフでパシャパシャと店内を数枚撮影する。すると、雑貨の隙間の額縁に写真がかかっているのに気がついた。横たわった鹿の前で、猟銃を小脇にピースをとる中年男性が写っていた。ここの管理人だろうか。 一通り店内を見物したところで、店の奥のカウンターにいき、呼び鈴をたたく。反応がない。もう一度たたいて待っても全く音沙汰がないので、3回目は思いっきり力を込めてたたいた。すると数秒後、奥の部屋からすっと男が出てきた。写真より小柄にみえるその男は、私を一瞥すると無言でカウンターに近づき、呼び鈴を2本の指ですっと押さえ、わずかに残っていた振動を完全に止めた。 「いらっしゃい」管理人は改めて私を見てにんまり笑った。「おさがしものですか?」 「いえ、キャンプ場の受付に」 「ああ」管理人は珍しそうに私を上下に眺めた。「お電話の」 「はい。斉藤です」 管理人はカウンターの下からバインダーを取り出した。 「斉藤ナツさん。一泊だね。お一人?」 「はい。まあ」 「女の子一人で、こんな山中のキャンプ場に?」 「どこもあいてなくて」 事実、近年の未曾有のアウトドアブームのせいで、めぼしいキャンプ場はどこも土日は大賑わいだ。根気よく探せばソロ用のサイトの一つや二つ見つかったかもしれないが、人気キャンプ場でファミリーキャンプに囲まれながら休日を過ごすのはまっぴらだった。対して、このキャンプ場はどのまとめサイトにも載ってないかなりマイナーな場所だ。全国の僻地のキャンプ場を回っているブログで偶然見つけた。 「でも、うち、ほんとに山奥だから、ちょっとあぶないかもよ」 「大丈夫です。なれているので」 「ほんとに? キャンプ場内は電波もとどかないよ。」 「それもなれてます」 「家族には? ちゃんと今日ここに来てること伝えてる?」 正直、女性一人だとわかった瞬間、変に世話を焼いてくる輩にも辟易している。 「あ、仲悪いの? だめだよ、家族は大切にしないとー」  ずいぶん踏み込んでくるな。だんだんといらついてきた私の様子を見てとったのか、管理人はカウンターの下を再びごそごそと探り、手書きの地図が印刷されたコピー用紙を取り出した。 「はい。今ここね。こっからさらに車でちょっと進むとトイレがあるから。古いから女の子は嫌かもしれないけど、我慢してねー。車はトイレの横に止めてね。小さい手洗い場もあって一応水道も通ってるから、水をくむときはそこを使って。」  管理人は地図を指でなぞりながら説明する。トイレのマークの周りにテントのイラストが5つ描かれていた。 「これがテントサイトなんだけど、ここと、ここと、ここは使えないから」  どこからともなく取り出したマジックでテントマークに×をつけ、3つ消し去る。 「大丈夫そうに見えても、地盤がもろくなってたりするの。絶対ここには設営しないでね」 「どうも」と地図を受け取ると4つ折りにしてポケットにしまった。入れ替わりに財布を出して電話で聞いていた料金を支払う。もうさっさと一人のキャンプタイムに入りたかった。が、管理人の話は続く。 「ここらへん、わかるだろうけど野生動物いっぱいだからね。気をつけてね。熊は最近出てないけど、イノシシはいるよ。そうそう。先週も早朝に一匹見つけてね。仕留めたんだ。」  管理人は自慢げに壁の写真を指さした。「ぼく、猟師だから」 「そうですか」とできるだけ気のない返事をしたつもりだったが、実際は鹿のくだりでテンションが上がっていた。私のサイトにも来てくれないだろうか。タイミングさえよければ、写真に収められるかもしれない。管理人は得意げに続ける。 「まだ4時か5時だったかなあ。真っ暗だったんだけどね。なんとなく獲れそうな気がして山に入ってみたら、ビンゴだったよ」  日の昇らないうちの猟は、確か違法ではなかっただろうか。まあ、実際現場のモラル意識なんてそんなものだろう。 「では、行ってきます。お世話になります」  強引に話を切って背を向けようする私に、管理人は慌てたように続ける。 「あ、夜は冷えるよー。ニュースだと来週からは氷点下切るらしいしね。今日はまだ大丈夫だけど、5度ぐらいにはなるよきっと。寒さ対策大丈夫?」 それを聞いて確認し忘れていたことを思い出した。就寝中は真冬対応の寝袋があるが、それまでは暖をとらなければならない。 「すみません。薪って勝手に木を拾って大丈夫ですか?」 「うんいいよー。いくらでも」 「ありがとうございます。ああ、あと、チェックアウトなんですけど」 管理人は一瞬考えた。 「あー、そうだね。帰りね。うん。特に何もしないでいいよ。適当なタイミングで勝手に出てもらって。そのまま帰っていいよ」  ずいぶんアバウトだが、もう一度ここに来る必要がないのは楽だ。 「ほんとは、うちのサイトすごく星がきれいなんだけど。残念だね。今夜はかなり曇るみたい」管理人は私のカメラを見つめながら言った。 「星空、撮りたかったでしょ」 「いえ、全然大丈夫です」  なんでもないように答えてログハウスを出た。事実、星空なんてものはどうでもよかった。ここから遙かに遠くにあって、自分の人生とは何の関係もない星々に対しての興味の持ち方が全くわからない。正直、紅葉やら天体やらの「自然の魅力」というやつには、いまいち関心が持てないのだ。      
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