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おにいちゃんの唇が、開いて、閉じかけて、そのまま開きっぱなしになった。
私に何かを言いたいようで、でもすぐに口を閉ざしてしまう。
視線が、ひらがなと、私の顔とを何度も往復する。
どうしたらいいのか分からない。そんな、途方に暮れた子供の顔をしていた。
おにいちゃんは黙り込んでしまった。まるで、ヒトの言葉を忘れた私みたいに。
『──おにいちゃんがいやなら、むりにおねがいしないです。わたしひとりでしぬか、おうちにかえります』
ヒトを死なせることは罪になるけれど、動物を死なせてもおまわりさんには捕まらない。だからいつでもお前を殺せるんだよとママに言われた。野垂れ死んだって誰も悲しまないんだよ。
ねぇ、どうしてあんたは生きてるの?
『──どうしてわたし、いきてるんだろう』
言うつもりはなかったのに、気づけば下手なひらがなが並んでいた。おにいちゃんの瞳が、今度ははっきりと揺らいだ。
「そんなこと言うなよ……!」
私の手を掴む。声が、指先が、唇が震えている。
不思議に思って見上げる私から視線をそらして、もう一度おにいちゃんは「そんなこと、言うな」と呟いた。
おにいちゃんの嫌がることをしちゃったみたいだ。私はごめんなさいの気持ちで、おにいちゃんの手のひらにそっと頭を押し当てた。おにいちゃんはなんだか泣きそうになって、私を撫でてくれる。
しばらく、猫を可愛がりながら、おにいちゃんは考え事をしていた。
ふと、おにいちゃんがため息をつく。
心臓に詰まった悪いものをすべて吐き出して、諦めたようなため息。乾いた唇が微かに緩む。
自分で自分を傷つけるようにして、おにいちゃんはぽつりぽつりと語り始めた。
「……疲れた、か。……分かるよ。痛い、怖い、もう嫌だ、なんでみんなみたいに幸せになれないんだって、普通の子供になれないんだって。恨みながら生きていくの、疲れるよな。俺もそうだよ。お前と一緒」
──昨日の朝、起きたら親がいなかった。
置いてかれたんだ、俺。とても返せないくらいの借金だけ残されて、独りぼっち。
もうすぐここを出て、怖い人たちから逃げて、普通じゃないとこで働かなきゃいけないんだよ。
……なぁ。怖い人に捕まったら、どうなるのかな。
痛いことされるのかな。何も悪いことしてないのに、殴られるのかな。
親父にもよく痛いことされたんだ。俺って、殴られて当然の人間なんだって。馬鹿で、役立たずで、ボロ雑巾みたいなんだって。
俺、どうなるんだろう。
なぁ。こんなこと、お前に訊いていいのか分からないけど──。
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