或る遊女の手紙

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 ときに、主さんには許嫁が居りましたね。どうかそのお方が、あたしと同じ地獄を見なくて済むよう、主さんが守ってあげてください。女が売られなくて済むような世界が一日でも早く訪れるよう、誰よりも優しくて強い男である主さんが女を守ってください。  これまでの歴史の中、女はいつも男が作った世界に翻弄されてきました。いつの世も積もり積もった時間の彼方で、女たちの闘争は過去の美談になるのです。今闘っている女たちを差し置いて……。  主さん、女たちの闘争を、あたしの生を忘れないでほしいのです。  時間は雪に似ています。時間がどれほど降り積もろうとも、それはゆっくりと溶けだして、誰も気にしない歴史へと姿を変えます。どうかお願いです。悠久の昔から女には女の闘争があったというたしかな歴史を、雪のように溶けて見えなくなるものにしないでください。一人の遊女が、何にも屈することなく自らの生を貫徹したことを、あなた様の胸にしかと刻んでほしいのです。  そのためにあたしは、この(ふみ)の締めくくりとして、あなた様の心に一滴の毒を垂らすことにしました。今の社会において、男として見なくてもいいものが見えてしまう毒、平等という名の理想郷に近づくための毒です。  主さん、きっとこの言葉は呪いのように主さんの心を縛ることでしょう。  主さん。あたしは物心ついた時から、あなた様をお慕いしておりました。  十六の時、あの村から売られていく時、あたしはあなたに救ってほしかった。知らない男に身を汚される前に、あなたのものになりたかった。  どうか朝霧という遊女が、あなたに恋をしていたことをお忘れなきよう、お願い申し上げます。         1947年 2月1日  朝霧      ***
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