或る遊女の手紙

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 幾度もの夜を超えた便箋を、優しく撫でる。最後の一文の傍らには、濡れたように紙が妙に波打っている箇所がある。  まるで大粒の涙をこぼしたような跡が、幾つも幾つも。  朝霧なる遊女の言葉に心を鷲掴みにされてしまったかのように、頭がうまく働かない。彼女の言葉が、忘れられない。  苛烈な人生を送った遊女の覚悟と恋。そして――魂の叫び。  私は茫然としたまま便箋を丁重に折りたたむと、自然と白い封筒を手に取る。先ほど同様それを傾けると、重力に従って祖父の言葉が綴られている便箋が滑り出てきた。      ***  己が死期を悟りましたので、約七十年越しにあなたの手紙に返事を書こうと思います。まずは、半世紀以上も返事を綴らなかったことをお詫びさせてください。当時の軍事郵便は検閲が厳しく、伝えるべきことを伝えられるか不安だったというのもありますが、あなたに送るべき言葉をずっと吟味していた、というのが正直なところです。  さて、何から話せばよいのやら。そうですね、さしあたって僕もあなたと再会した時のことから話すとしましょう。  あなたと再会した時、僕は徴兵されたことによる不安に胸を支配されていました。今でも鮮明に憶えております。あなたのいた遊郭は、色街のはずれにありましたね。その境を歩いていた時に、僕はあなたに声を掛けられた。
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