或る遊女の手紙

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 祖父が亡くなったと、連絡が入った。  とりわけ昵懇(じっこん)の間柄でもなかったが故に、はじめ私の胸に去来した感情は悲哀ではなく、通夜や葬儀のために九州くんだりまで飛ばなければならないことに対する煩雑さだった。  結婚して二年になる妻には、『祖父が亡くなったから少し九州へ行ってくる』という、極めて簡素なメールだけを送り、一人分の航空券を購入した。搭乗前に返信を確認してみたが、妻からの連絡は届いていなかった。  はじめはコミュニケーションも問題なく、幸せそのものだった家庭からは、いつの間にか会話と笑顔が消えていた。  どこかで何かを間違えたのか、あるいは相手を間違えたのか……。  飛行機の小さな窓の下、生まれ故郷の大地が見えてくる。  訃報(ふほう)はすでに村中を駆けまわっていることだろう。  小さな真実も大きな嘘も、三日経たずしてたいていの人の耳に届く。小さな集落の宿命ではあるが、私の生まれ育った村はそういうところだ。  そして、そういうところに限って因習というものは水垢のようにこびりついている。  時代の流れについていけず、古い慣習を守ることが善であると盲目的に信じている。  だからジェンダーレスが叫ばれる現代においても、一部の田舎では、女が男の所有物のような扱いを受けている。これは小さな集落の宿命ではなく、私の村に残る悪習のひとつだ。  祖父は村のつまはじきものだった。  女が酌をするはずの席で自らが(くりや)に立っては妻を貴賓のように扱い、妻に文句のひとつも言わなかったので、村の男たちは祖父をひどくバカにした。  幼い頃の私も、村の男たちから「お前はこんな情けない男になるな」と言われたものだ。  それが何を意味しているのか当時は分からなかったが、今考えてみると、それは私への忠告というより、大勢の前で情けない祖父をバカにしたいというある種優越感のようなものを満たすための下劣な行為であったと理解できた。私はその時から、村の男たちのことを、時の流れを知らない井の中の蛙だと憐れむようになった。  しかし思い返してみると、祖父はそんな悪意に一度たりとも抗おうとはしなかった。私の目には、そのことの方がよっぽど情けなく映った。  村を離れた私は、都会の波に洗われた。古い価値観という名の垢を落とした私は、天上にでもいる気分で、村の哀れな男たちに対して彼らが抱いたものとは別種の優越感を抱いていた。
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