69 暴掠の王冠 - coup d'État -

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69 暴掠の王冠 - coup d'État -

 妃と騎士の逐電を知った王太子ルキウスが怒り狂って国王軍の半数と全ての王太子軍を招集した――という情報を得たヴァレルは、これを好機として秘密裏に自らの軍を集め始めた。  評議会の後、国王レオニードはダフネ王妃の境遇に心を痛め、彼女を改めて弔うべく、ひと月後に神殿での祈りの儀を行うことを決めている。  ヴァレルはこの日を、政変の日と定めた。  オルフィニナはクインと二人、ギエリへ駆けた。  昼間は人目を避けて農村の物置で寝泊まりし、日が落ち始めた頃に発つ。野盗やイェルクの放った斥候に見つかることもあったが、全てクインが処理した。  ギエリに駐屯していたルキウスの兵たちは、イェルク・ゾルガがフレデガルを殺したと知るや即刻王都を出立し、東の国境であるオルデンまで下がっていた。ジギの采配だ。  結果、ルキウスの兵たちはゾルガ軍の捕虜になることなく安全圏へ逃れ、撤退が遅れたヴァレルの兵士たちはゾルガの監視下に置かれている。  ルキウスの兵はオルデンを通過するであろうオルフィニナに追従するつもりだったが、オルフィニナはオルデンを通ることなく、冷たい森に紛れて王都へ密行した。  六年ぶりに見た王都はすっかり活気を失い、よく知るアミラとはまるで別の国のようだった。  そこかしこにゾルガの兵が獄吏のように詰め、風に乗って不快な悪臭が鼻をつく街で、市民は息を殺すように生活している。  空には夥しい数のカラスがけたたましく鳴いて飛び交い、城門の一番高い場所に、首が掲げられていた。フレデガルとその妻ヒルデガルトの首だ。腐敗が進み、カラスにつつかれてめくれた皮から黒っぽく変色した肉が覗いて、かつて王城を我が物顔で闊歩していた王弟とその妃の面影はない。  異様な光景だった。まるで古い歴史書の挿絵を見ているようだ。 (イェルクが狂した)  と思わざるを得ない。  フレデガルだけでなく、妻の叔母であるヒルデガルトまで殺すとは、正気の沙汰ではない。しかし裏を返せば、イェルクはヒルデガルトやその兄でイェルクにとっては舅にあたるゴスヴィン・ゾルガの後ろ盾がなくとも、既にゾルガの軍を掌握する能力を持っているということだ。 「夜を待つか」  クインが言った。  イェルクはベルンシュタインのやり方を熟知している。侵入して両親の無事を確かめるのは、恐らく不可能に近い。夜闇に紛れれば多少成功率は上がるものの、相手がイェルクでは露見も時間の問題だろう。 「いや」  オルフィニナはフードを下ろした。 「わたしは女王だ。自分の城に入るのに隠れねばならない理由はない」  オルフィニナはギエリ城の鉄柵の門の前で馬を下り、槍を持って立ちはだかる城の門番に言った。 「イェルク・ゾルガ将軍に伝えよ。女王オルフィニナが王国を正しに来たと」  謁見の間で対峙したイェルクは、軍装のまま玉座に腰掛けていた。 「それはお前の椅子じゃない」 「今はな」  イェルクは立ち上がり、ぞっとするほど優しい兄の顔をして微笑した。  後ろでクインが奥歯を噛み締め、今にも飛びかかろうとしている。オルフィニナは視線でクインを制した。 「よく帰ったな。オルフィニナ、クイン」 「白々しい」  オルフィニナが吐き捨てた。 「わたしをおびき寄せるためにルッツの皮を剥いだな」 「愛情深いお前なら絶対に戻ると信じていた。安心しろ。命までは取っていない。お前の悲しむ顔が見たいわけじゃない」 「お前は一体何がしたいんだ」 「いろいろだよ」  イェルクは笑みを深くした。 「だがその話の前に、両親に会いたいだろう」  イェルクは衛兵五名を引き連れて、オルフィニナとクインを地下牢に導いた。  冷たい石に囲まれた暗い牢獄には、何人もの囚人がいる。その中には、オルフィニナがオルデン女公となる前から懇意にしていた貴族も少なくない。みなイェルクの暴掠に抵抗したのだろう。  オルフィニナは彼らと視線を交わすと、無言で顎を引いた。言葉を交わせばその途端に衛兵の槍が囚人の胸を突くだろうことは容易に想像できる。  牢の一番奥に、ルッツはいた。  ダナと共に暗く狭い場所へ押し込められ、首に包帯を巻いて、冷たい床に仰臥している。記憶にある壮健な姿よりは随分と衰え、痩せていた。 「ファーティ!ムッティ!」  オルフィニナは思わず声を上げて鉄柵に駆け寄った。安堵と苦痛が胃をひっくり返したようだった。ダナはオルフィニナとクインの姿を見ると、目の奥に光を踊らせた。優しく厳しいかつての母親の顔そのままだ。  ダナはルッツの身体を支えるようにして起こし、揃って床に膝をついた。 「女王陛下、此度の失態、誠に面目次第もございません」  声までが、細く弱々しかった。羞恥と屈辱に耐えているのだ。 「気に病まなくていい」  胸が痛い。  ルッツとダナは血の繋がりがなくとも、オルフィニナにとっては真実の両親だ。 「ベルンシュタインの長とその妻は耐えることが得意だろう。できる限り英気を養ってくれ」  いずれ訪れる変事に備えよとは言わなかった。が、伝わっているはずだ。  オルフィニナは弱った両親の姿に目の奥が熱くなるのを堪え、自分の顔を鏡で写したような表情のクインと視線を交わした。ベルンシュタインの行動をすべて知り尽くしているイェルクがいるこの場では、会話はおろか合図もできない。 「さあ、行こう。ここは女王のいるべき場所ではない」  イェルクは両親を冷たく一瞥して、オルフィニナの肩を抱いた。  クインは衛兵によって別室へ連れて行かれ、オルフィニナに同伴することは許されなかった。クインが抵抗しなかったのは、ここで事を荒立てるより、状況を掌握して隙を作るべきだと判断したためだ。  オルフィニナは、丁重にもてなされた。湯浴みをさせられ、女王に相応しい華美なドレスを着付けられ、豪勢な食事が整えられた国王の食堂へと通された。子羊の香草焼きやかぼちゃのポタージュなど、オルフィニナが好きな料理が並べられ、ワインも樽ごと用意されている。  部屋の中には、イェルクと二人だけだ。  かつて父が使っていた椅子に腰を下ろすと、オルフィニナは機嫌よく向かいに腰を下ろしたイェルクを鋭く睨め付けた。 「まずは再会を祝おう」  イェルクがワインの入った銀のゴブレットを掲げた。 「ふざけないで」 「お前に毒など入れない。食器をすべて銀にしたのはお前を不安がらせないためだ。わかるだろう?さあ、杯を取れ、ニナ」  最後の言葉は命令だ。  オルフィニナはゴブレットを取り、イェルクに向かって無言のまま掲げ、口に含んだ。毒が入っていると疑ってはいない。それはイェルクのやり方ではないからだ。しかし、味を感じられるほどの精神的余裕は、この時のオルフィニナにはない。 「お前がわからない。なぜフレデガルを殺した」 「あれはわたしの主君たる器ではなかった」  イェルクは氷よりも冷たい目をして、軽快に言い放った。手元は事も無げに動いて肉を切り分けている。 「分かりきっていたことではないのか。あの卑屈な男に国王など到底務まらない」 「卑屈なら卑屈なりに、人形に徹してわたしに従うべきだった。幼稚な承認欲求を満たしてやる代わりにわたしの意図の通りに動いているうちは使い勝手がよかったが、わたしが不在の間に自分で勝手に大博打に出た挙げ句、亡霊の妃にやり込められて大敗するなど、愚かにも程がある。政争で人望を失えば反逆者も同然。わたしの(まつりごと)に愚者は不要だ」 「それで?イェルク。軍を動かして反逆者を殺し、己が英雄となって、フレデガルよりは賢いわたしを次の人形に決めたのか。愛する家族を、人質にして……!」  オルフィニナは声を荒げた。  なんという暴虐だ。こんな男を無邪気に兄として慕っていた自分が恥ずかしい。 「ニナ」  イェルクはフォークとナイフを音なく置いた。 「わたしは逃げている間、ずっとお前のことを考えていた。そしてはっきりとわかった。お前は誰よりも高潔だ。自分のために女王になろうとするのではなく、誰かのためにその力を持とうとする。自分の身がどうなっても、大切なもののために命を賭けられる。それこそわたしの求める主君だ。お前が女王になるというのなら、わたしが人生を賭けて支える。もっと早くこうすべきだったと、後悔した」 「お前が欲しいのは主君ではなく傀儡(かいらい)だろう」 「分かってくれ。確かに手荒なことをしたが、お前を説得する機会を得るために必要なことだった」  子を諭すような調子だ。オルフィニナは気味の悪さに胃が重くなった。よく焼けた子羊の匂いでさえ、今は不快だ。 「わたしたちの王国には進化が必要だと思わないか。議会は腑抜けばかり、王族は無能ばかり。これでは国が滅びるのも時間の問題だ」 「我が父は賢君だった」 「野心もなく、まざまざ毒殺されるような男をわたしは賢君とは思わない。だがお前なら、我が王国だけではなくエマンシュナをも従わせられる。ヴァレル・アストルを担ぐよりもいい手だ。次のエマンシュナ王になる男はお前に惚れ込んでいるからな」 「それで、エマンシュナを従わせた後はわたしを殺して自分が王になろうとでも言うのか」 「いいや、ニナ」  イェルクは笑みを深くした。目の奥がぞっとするほど冷たい。 「わたしを王の父にしてくれ」 「……なに?」 「お前が次のアミラ王を生む。わたしが父親だ」  耳を疑った。何かの暗喩かと思ったが、どうやらそうではない。目を見れば分かる。 「何を言っている」  背筋が凍った。 「わたしの夫はルキウス・アストルだぞ」 「エマンシュナではそうだな。だが言っただろう。アミラでは、まだ正式な手続きが済んでいない。この国ではお前はドレクセンだ」  イェルクは世間話でもするように、淡々と食事を再開した。 「わたしはな、ニナ。ずっと国父になることを夢見ていた。自分の起源を知ってから」 「起源?」 「お前だけだと思ったか?アドラー夫妻が王国の蒔いた種を引き受けたのは」  オルフィニナは冷たくなった指を無意識のうちに握っていた。
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