6:獣村

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 『化け物!』  久しぶりだな。そんなこと言われたの。  夜空を見上げると、たくさんの星が見える。《あそこ》で、嫌なほど見てきたこの夜空が滲んで見えた。  スマホが鳴った。尚樹さんからだ。  「はい?」  「お疲れ様!」  タイミングを見計らったように掛かってきた電話にオレは思わず周りを見た。どこか、監視カメラでもついているんじゃないんだろうな。  「あんた、どこから見ているんですか?」  「そんなことないよー。それで、玲は?」  「守ったし、獣村に囚われていた人質も助けたよ」  「うん!初仕事にしては上出来だね!…どうしたんだい?」  電話の向こうで、尚樹さんは全部分かっているような微笑みを浮かべていることだろう。「人質に『化け物!』って言われた」  「…うん。君みたいな存在は理解されにくいだろうね。――苦しいかい?」  「…」  「だから、君に頼んだんだよ」  そこで通話は切れた。気がつけば、夜明けが来ていて、長い、長い夜は終わった。  朝、体力が回復したのでオオカミになり、二人を乗せて警察庁に向かった。向かっている途中で、男と目が合った。鋭い目つきでオレを射るように見つめる。が、そんな暇はないのでオレは男から逸らし、木から木へと飛び移りながら、警察庁に向かう。  「…あれが漆黒の狼」  そう、男が呟いていたのをこの時オレはまだ知らなかった。  獣村での一件を終えたオレは尚樹さんの家でのんびりしていた。  「尚樹さんさ、玲さんと話し合おうとは思わないの?」  資料を読む尚樹さんに話しかける。すると、尚樹さんは自分を嘲るように笑った。  「とんでもない。あの子は僕を嫌っているんだ」  「それはそうかもしれない。けど、オレと違って、せっかく生きているのに」  「…あぁ、悪かったね。君のお母さんは亡くなったんだったね」  人間は本当に恵まれている生き物だと思う。美味しい食べ物があって、暖かい部屋で生活して、何より親がいる。だから、オレは尚樹さんと玲さんに腹が立って仕方がない。  「玲はね…妻が命がけで産んだ可愛い娘なんだ。僕だって、可愛がってきたつもりだ。でもね、こういう仕事していると、なかなか時間が取れなくてね」  資料を読むのをやめた尚樹さんは話し始めた。  「警察庁の官房長官という仕事はね、常に世の中を把握し、治安秩序維持のために目を光らせなければならない。そんな仕事なんだ」  「玲さんはオレに言ったよ。官房長官の秘書だ、って」  「そうだよ。皮肉だよね。恨んでいる父の部下になるなんて」  「あのさ、官房長官っていうのは常に世の中を見ているんでしょ?」  「そうだよ」  「近くにいる玲さんのこと、見てやれないのはどうして?身近にいる人の顔が見えなくて、世の中なんて大層なもの、見えるわけないじゃん」  オレがそう言うと、目を大きく見開いた尚樹さんは悲しそうに視線を下に落とした。  「言うね、狼人くん。でも、その通りだ」  尚樹さんは机の上にある写真立てを手にし、優しい表情で見つめる。覗き込んでみると、楽しそうに笑う尚樹さんと玲さんと母親らしき人がそこにいた。  「僕は妻が残した玲を…なんとしても守らないと。僕がこの仕事をしている以上、玲にも危害が及ぶ。だから、玲を親戚に預けたんだ。きっと、玲は捨てられたと思っているんだろうけど…」  「玲さんは幸せだね。あんたみたいな優しい父親に想われて」  オレは「じゃぁ」と頭を下げて、書斎室から出た。  一方で尚樹は…。  扉をいつまでも見つめていた。神狼の子である狼人くんは、想像していたよりも強かった。小さい頃、目の前で母親が殺されたにもかかわらず、怪物にならず、常に絶望の淵に立っていながら、前を向いて歩いている。  「強いね」  「ええ、強いですね」  執事の駒形が紅茶を準備しながら、言った。  「聞いていたのかい」  「たまたま、聞こえてしまって」  手際よく紅茶を用意した後、駒形は笑った。  「前よりもあなたは人間味があります」  そう言って、出て行った。  「…」  僕は狼人くんを引き取って、よかったと思っている。あの子は僕の悩みを聞いてくれた。そして、僕に勇気のある言葉を言ってくれた。  「君は自分を化け物だ、と言ったが、とんでもない。化け物から一番離れたところにいるよ、君は」  僕は紅茶を飲んだ。いつか、玲と分かり合える日が来ると信じて―――。  一方で狼人は。  「言い過ぎたかな?」  中庭のベンチでボーっとしていた。    「ま、いいや」  オレは空を押し上げて、手を伸ばした。眩しい太陽の日差しの中、オレは目を閉じて、その温もりを感じていた。  「あら、クロちゃん!」  「玲さんじゃん。どうしたの?」  ビシッとした黒のスーツを身に包む玲さんがいた。  「上司に呼ばれて」  父親に対して、他人行儀の玲さんにオレはため息を吐いた。この親子は面倒臭いな、と思いながら。  「オレ、あなたの父親からあなたの護衛をするように頼まれたんだよ」  「え…。あなたの上司って、官房長官だったの!?」  「そうだよ。で、あなたは父親に対して官房長官って呼ぶんだ」  オレがそう言うと、玲さんはピクリと肩を揺らした。が、冷静を繕って、笑った。  「そうよ。あたしはあの人を父親だと思っていないから」  「どうして?」  「あの人はあたしを捨てたのよ。それなのに、あたしに護衛をつけるなんて…おかしいわよね」  尚樹さんの面影を残した微笑みを浮かべる玲さん。  「少なくとも、尚樹さんはあなたを捨ててなんかいないよ」  「え…?」  「オレが言えるのはここまでだ。真実が知りたきゃ、自分で聞いて」  「…あたしの護衛のくせに生意気ね」  「正確には、尚樹さんの部下だから、あなたの部下ではないよ」  「うるさいわね!」  玲さんは吹っ切れたような表情をしていた。迷いのない力強い瞳は、しっかりと尚樹さんのいる書斎室を見ていた。  もう、この親子は心配ない。  「じゃ、オレは行くよ。あとは二人でなんとかしなよ」  「クロちゃん!」  「オレは大丈夫だと思ってるよ。尚樹さんも、あなたも」  「…君に言われると、なんだか安心するわね」  オレは手を振り、中庭を後にした。    一方で玲は…。  「やっぱり、クロちゃんは不思議な子だわ」  クロちゃんの言葉はストンと胸の中に入ってくる。クロちゃんは若いのに、大人びていて、穏やかで、不思議な子だ。  あたしは「よしっ」と意気込みをして、官房長官――お父さんの元へ向かう。 お父さんと顔を向き合って話すのは、何年ぶりだろうか。緊張するな。 ついに、書斎室の扉の前に立ち、あたしは深呼吸をした。そして、扉を叩いた―――。
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