第十四話 もう一人の私

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第十四話 もう一人の私

 私の平和な日常は一瞬にしてピリオドを打たれた様だった。 「絵里、大丈夫か?」  銃で武装した一人の女性が慌てた様子で店内の敵に警戒しつつ入ってくるのが見えた。  床に血塗れで倒れる男性二人の事にも理解が追い付いていないというのに、これ以上に状況を複雑にしないで欲しい。  しかし奴等が何者なのか分からない状況では死の危険性も否定できず、倒れている男の銃を拾って彼女に向ける。  形だけだ、実際に引金を引いて弾が発射されるのかも定かではない。 「止まって!」  とても驚いている様だった。 「待て待て、私だ!銃を下ろせ千織……」  誰なのか知らない。  それに先程の男性同様に彼女は亡くなったはずの親友の名を口にした。 「私……って誰?名乗りなさい!」  相手は知っている前提として自分の事を私だ!と言って攻撃の意図はないと両手を上げているが、それでは分からない。 「お前、まさか咲貴なのか?」  どういう意味なのだろうか?私を知っている?  それにしても何故皆私を千織と呼ぶの?  考える程に謎は深まっていくが、気を許す訳にはいかない。 「名乗れと言ったのよ!  それに親友だった千織はかなり前に亡くなったわ……どういう事?」  銃口を彼女の額に付ける。 「分かった……名乗るから、銃を下ろせ」  かなり焦っている様で、彼女は持っていた銃を遠くにそっと投げる。  こちらもそれを見て銃を下ろすと、彼女はため息をついてから名乗るのだった。 「私は堀江明日香という」  私と彼女は転がる遺体以外に誰も客が居なくなった店内で取り敢えずテーブルに着き、絵里ちゃんは水を二つ運ぶ。 「絵里、パニーニとアイスコーヒーを頼む」  勿論そんなネーミングのメニューはこの店に無い。 「はい、ただいま……」 「ミルクとガムシロップは一つずつで……」 「はい」  彼女はカウンターの中へ急いで戻っていったが、この状況では断れなかったのだろう。  パニーニはイタリア語でサンドウィッチの事、日本では焼き目を付けたホットサンドの意味で用いられる。 「ホットサンドと言えばどうですか?」 「ん?パニーニって言わないの?」  どうやら嫌がらせをしようとしている訳でも、格好をつけたい訳でもなく、普段からそう呼んでいる様だった。 「まあ、伝わるから良いですけどね……」  私が呟いても彼女は何が問題なのか?と理解していない様だった。 「お待たせしました」  絵里がアイスコーヒーと、ホットサンドをお盆に乗せて運んできた。 「いただきます」  構わないのだが、さっきまで額に銃口を突き付けられていたと言うのに食欲があるのは感心する。 しかも遺体が転がっている目の前でである。 「あの、明日香さんは私の事をご存知なのですか?  初対面だと思うのですが……」  一口かじったところでため息をつき、サンドを皿に戻す。 「絵里はAIの方って訳か……」  実に複雑な状況ではあるが、この明日香という女性の言動から何となくは理解した。  要するに彼女は、私のAI人格と絵里ちゃん本人格、それぞれと知り合いという事なのだと思う。 「AIの方?  あ、もう一人の私と知り合いって事ですね?」  彼女は謎が解けたという顔をして、カウンターの方へ洗い物をしに戻って行った。  明日香さんの言葉によって今の絵里ちゃんがAI人格という事が発覚した訳だ。 「明日香さんの言葉で何となく分かったんですけど、あなたは私のAIと知り合いって事ですよね?  でも、それが千織ってどういう事ですか?  彼女はかなり前に亡くなったのですが?」  ガムシロップの蓋をパキッと開け、アイスコーヒーの入ったグラスにそれを注いでいた彼女は私に質問した。 「咲貴は今、マイナンバーカードを持っているかい?」 「ええ、勿論……」  カバンから取り出して、彼女に見せた。 「説明するより、実際に感じてもらった方が早いんじゃないかな?」  何をどう感じると言うのだろうか?マイナンバーカードで何をしようというのだろう? 「そのカードを額に付けて「AI起動」って言ってみて……」  半信半疑ではあったが言われた通りにやってみる。  次の瞬間、一瞬頭に熱を帯びた感覚と頭痛に襲われ吐き気を催す。 「これ……は?」  この異様な感覚は何だろうか? 「大丈夫、最初は慣れないけど、すぐ治るから……」  慣れるって何?多くの人がこんな事をやっているとでも? 「おはよう咲貴、こうして会話ができるのは何年ぶりだったかな……」  私の口は何かに乗っ取られたかの様に本人の意思とは関係なく勝手に動き、言葉を発する。 「ああ、明日香と絵里も一緒なのね?あなた達が咲貴に半覚醒を教えたの?  そもそも明日香が私の知らないところで繋がっていた事に驚きだわ」  理解が追い付かない。  これが、もう一人の私の人格?自分と対話なんてできるの?  でも、聞こえているのは私が使っている声と同じだ。 「あの……どういう事?本当に千織なの?」  目の前でホットサンドに夢中な明日香さんはアイスコーヒーで口の中の物を飲み込むと、話し始める。 「だから言ったろ?  感じた方が早いって……寧ろこんな事をどうやって説明するんだよ?」  確かにこんな事はどうやって説明するのか?と問われれば直ぐに答える事はできないだろう。  しかし「感じた」ところで困惑している事に違いはない。  私も気を落ち着けるために、カウンター席から持ってきた自分の飲みかけホットコーヒーを口に運ぶ。 「うえぇ……私を覚醒させたんだから、ホットのブラックはやめなさいよ……私が甘党なのは知ってるでしょ?  早く砂糖を……。  そもそも咲貴は学生時代から甘党だったじゃない?  何で好みが変わってるのよ……」  こんな反応では落ち着くどころか余計にパニックになる。  しかし、学生時代の私を語る千織は間違いなく本人そのものだった。 「大丈夫……ですか?  いつもと違う感じがしますが……」  私達のやりとりを聞いていなかった絵里ちゃんが私を心配して話しかける。 「ええ、大丈夫……心配しないで……」  またしても口が自分の意思とは関係なく勝手に動く。 「いや、あんたが勝手に答えないでよ……」  目の前で明日香さんがこの状況を見て笑っている。  この女は殺されかけても目の前に遺体が転がっていても平気でパンが食えるヤバい奴かと思いきや、ちゃんと笑える人間臭さも持っているのだと少し安心した。  だが、この訳の分からない状況を作り出した張本人なのだから説明くらいはして欲しいし、何なら混乱している私を助けて欲しいものだ。  私のAI人格が何故親友なのかは一旦置いておいて、状況を把握しなければならない。 「千織、話は後でゆっくり聞くから一旦今は黙っててくれる?」  もう一人の私は承諾した。 「で明日香さん、このマイナンバーカードは何?私に何が起こったの?」  状況が変わったのはこのカードを額にかざしてからだ。 「ああ、それね……。  そのカードにはNFCが入っているのよ……。  ニア・フィールド・コミュニケーションってやつね……」 「ニア・フィールド・コミュニケーション?  近距離無線通信の事ね?  でも、何故そんな古い技術が?」 「セキュリティの為よ。  基本的にAI人格は本人とは独立した存在。  精神が二つに分離されたからこそ奴隷の様な半強制的労働が肯定された時代とは違い、人は働いてもストレスを軽減したり回避する事ができる様になった。  でも、SF映画なんかでよく取り上げられる様にAIが暴走し、人を殺しはじめたりしらどうする?  このカードを使えば半覚醒状態、つまり本人の人格を覚醒したままでもう一人の自分と対話ができる様になる。  言わばAI人格を本人が抑制できるセフティー。  だけど、このシステムをオンライン完結型にしてしまうとハッキングされ悪用される可能性が出てくるから、カードキーにして安全性を高めているのよ……。  そのカードがないと今回の様な半覚醒も含めて色々な事ができないって訳よ」  彼女の説明で何となく分かった気がする。 「そしてもう一つ……このシステムには緊急覚醒機能というのが存在する。  例えば、AI人格が医者だったとしよう。  道を歩いている時、人が倒れて生死をさまよっていたらどうする?」  そりゃ助けるよ……と思ったけれど…… 「本人には、その知識も技術もないからAIが勝手に判断して緊急覚醒し、その人を助けるって事ですね?」  彼女は嬉しそうだった。 「そういう事。あれを見てごらんよ」  そう言って転がる遺体を指さした。 「おそらくだが、さっき急に意識を失わなかったかい?」  確かにそうだ……彼等に殺されると身の危険を感じた時に急に意識を失った。  そして気が付いた時には全てが終わっていた。 「それは、何もしなければ咲貴と絵里が殺されていたからさ。その為に千織が緊急覚醒して危険を排除してくれたという事」  なるほど、だから私は急に意識を失ったのかと納得する。  だけど待って、そう考えるともう一つの疑問が浮かぶ。 「なら、千織はどんな仕事をしているの?  何故こんな危険な状況を対処できるの?」  明日香さんは笑っている様だった。 「それを聞くのはやめておけ。  人格を二つに分離する事で労働ストレス社会を終え、日本人は次なるステージに進む事ができたんだ……自分がどんな仕事をしているか知る事で、またストレスを貯める。 せっかくフラットになった感情適応値に異常をきたす事になりかねないぞ」  それでも私は親友がどんな仕事をしているのか知りたかった。  ましてや私の身体で……。 「今日の話はここまでにしよう……。  一気に全ての話を進めても、余計に混乱するだけだ。知りたい事は少しずつ教えてやるよ……」  分からない事だらけではあるけれど、一気に聞いても混乱するだけと言うのはその通りだと思う。 「話は終わった様だし、私ももう話しても良い?」  そう言えば千織の事をすっかり忘れていた。 「ええ。良いわ……」 「じゃあ遠慮なく……」  彼女は発言の許可を得て何を話すのだろうか? 「絵里ー、私にもアイスコーヒーちょうだい。ミルクとガムシロップは一つずつで……」 「はーい、ただいまー」  千織のオーダーは通り、カウンターの奥から了解の声が聞こえてきた。 「え?この状況で追加注文?  あ、ホットを頼んだのは私だったから「追加」ではない……。  まったくもってややこしい……」  またしても目の前で明日香さんが笑っているが、何と言うかとても不思議な状況である事に違いはない。  絵里ちゃんが「追加で」アイスコーヒーを持って来てくれた時、 「一旦私は席を外すから」  そう言って明日香さんは立ち上がる。 「何処に行くんです?待ってくださいよ……」  急に知らない男に襲われたこの状況が理解出来なくて、不安に感じていた。 「大丈夫、死体を片付けてくるだけだから。このままじゃ客が入ってこれないだろ?」  はたしてそんな問題なのだろうか?そもそも彼等は何者なのだろうか?  彼女はそれを聞いたら教えてくれるのだろうか? 「ところで咲貴……」  彼女が席から離れると、千織は私に話しかけてきた。  と言っても他人から見れば独り言の様に見えるのだろうが……。 「あなたはどこまで覚えているの?目覚める前の最後の記憶は何?」  目覚めてから二年も経っているというのにそんな事を真面に考えた事はなかった。 「そうね……最後の記憶は会社からの帰宅途中だった。千織と別れた後、一人で電車に乗って……。  確か……知らない女の子と話した気がする……」  あれは誰だったんだろう。  記憶の混濁とでも言うべきだろうか? 「脳に負荷がかかるから無理に思い出さなくても大丈夫よ……変な事を聞いてごめんなさい」  私は千織の為にアイスコーヒーを飲む。 「そうそう、これよ……。やっぱりコーヒーは甘くなくっちゃ」  糖分が脳に良いのか、とある名前が頭に思い浮かぶ。 「大森朱美……」 「え?思い出したの?」  千織は驚いている様だった。 「何となくだけど、そんな名前だった様な気がするの……確か男性二人組に襲われたのよ……。  その時、大森朱美さんですよね?って感じで確認していた気がするの……」  あれ、ちょっと待って……今回私を襲ってきたのも二人組で、まずは名前を確認してきた……。  口調は違ったし、同一人物だった訳でもないけど雰囲気が重なる。  もしかして奴等は同一組織の人間ではないのだろうか? 「そう……」  今度は千織が悲しそうだ……。  これは直感だけど、千織は彼女の事を知っているのだろう。  私が彼女の名前を出した時驚いた様な反応をし、曖昧な記憶を話すと悲しそうな反応をみせた。  悲しむのは彼女が既に亡くなっているからではないのか? 「千織、大森朱美って誰?」  どうしても知りたかった。 「私が知る訳ないでしょ?  咲貴の記憶なんだから……」  明らかに動揺している喋り方だ。 「彼女の名前を出した時の千織の驚き方と、その後の悲しそうな反応は明らかに不自然よ。  知っているんでしょ?」  少し黙り、ため息をついた。  自分の口から親友のため息が出るのは実にシュールだ。 「まったく、咲貴には敵わないな……。  ええ、知っているわ。  友人……いえ、咲貴があの会社に入社する前に一緒に働いていた職場の先輩よ。  優しくてとても素敵な人だった……。  でもあなたが眠っている間に亡くなってしまったわ……。  どうして彼女の事をそんなに覚えていたの?一度しか会った事ないんでしょ?」  やはり咲貴と繋がりがある人だったのか。  私が彼女に会ったのは偶然だったのだろうか? 「確かに彼女とは一度しか会った事はないと思うんだけど、眠っている時に夢に出てきたんだよ……」  夢にまで出てくるのだから、おそらく彼女と会ったあの電車での出来事は私にとってかなり衝撃だったに違いない。 「夢って……?」  聞かれて内容を思い出そうとする。 「それがさぁ、凄く不思議な夢なんだよね。彼女と殺し合うんだよ。  銃で撃ち合ったり、ナイフで切り合ったりするようなさ……。  その時は思ってもいない事を口にして千織の事も殺そうとしていた気がするんだけど……夢の話なのに凄くリアルなんだよね……」  千織は少し考えている様だったが、彼女の考えは言葉からしか読み取れない。  勿論、単語間の長さや話すスピード、イントネーション等から読み取れるノンバーバルコミュニケーションはあれど、表情やジェスチャーなどは存在しない訳だから特に難しい。  そもそも同じ脳で考えている筈なのに何故彼女の考えは直接頭によぎらないのかが不思議でならない。  後になってそれは夢ではなかったと千織から真実を聞く事になるが、この時は何も教えてはくれなかった。
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