第十五話 多重人格

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第十五話 多重人格

 本来なら咲貴がベッドで寝れば私が目覚め、私が寝れば彼女が目覚める。  個人差があるらしいので、普段私達が眠ってから相手がどれくらいの間隔で目覚めているのかは分からない。  五分なのか十分なのか、はたまた一時間なのか……。  まあ、日によっても差はあるのだろうが……。 「ねえ千織、まだ起きてる?」  ベッドに入って一時間半くらいが経った頃咲貴に聞かれた。   自分の口から発せられる言葉で聞かれると何だかとても不思議な感覚だった。 「ええ、まだ起きてるわ」  半覚醒した日の夜なのに眠れるはずがない。 「今日起こった事をずっと考えていたんだけどさ、もしかして襲ってきたのって労働基準監督官なんじゃないかな?」  咲貴のカンは時々本当に怖いと思う。 「どうしてそう思うの?」  疑問系な所を考えると明日香や絵里から聞いた訳ではない事は分かるが、何故その結論に至ったのだろうか? 「私思い出した事があるのよ。  朱美さんと話したあの時、襲ってきた男の一人は確か厚生労働省労働基準監督官の西田って名乗った。  今回の事はデジャヴって言うか、彼等に同じ臭いを感じた気がして……」  やはり咲貴は凄い。  彼女の考えは当たっている。 「でももしそうだとしたら、分からない事が山積みなのよ。  あの時は非労働者処置法があって、働けなくなった人は次々に殺されたけど、今はベーシックインカムが普通になった事で働けない人も働かない人も犯罪者ではなくなったよね?なのに何故彼等は襲ってきたの?」  それは当然の疑問だろう。  法が変わった今、非労働者が襲われる理由はないし、そもそも日本人の多くはAI技術を駆使して働いているのだから非労働者ではない。  誰だってそう考える筈だ。 「千織は私に何を隠しているの?奴等が来た時、私の名前ではなくてあなたの名前を呼んだのよ……何か知っているんでしょ?」  咲貴は昔から頭がよかったが、まさかここまでとは……。 「それは……」  誤魔化そうとしていると彼女はそれをさえぎってさらに質問を重ねてきた。 「それに、ずっとAIと言われてきた人格は千織だった……。  学生時代にあなたと必死になって研究したホールブレインエミュレーションは結局上手くいかなかったのに何故あなたは私の中に定着できているの?」  確かにそうだ……あれだけ研究して結果を出せなかったのだから、もっともな疑問だろう。 「この技術が実際に使える所まで進んでいると知った時は信じられなかった……。  必死になって咲貴と研究してきたのだからその難しさは私だって知っているつもりだったから……」  咲貴は悔しそうだった。  そりゃそうだろう、自分達が信じて突き進んできた研究が他の人間によって完成させられたのだと知ったら誰だって悔しい。 「誰なの?」 「え?」 「誰がこの技術を完成させたの?誰が技術論文を書いたの?何処の研究機関の人間?」  彼女は自分達が断念したモノがそこにある事にやるせない気持ちでいっぱいだった。 「辻本教授だよ……」  このベーシックインカム社会に必要不可欠なAI人格技術の元となる技術論文を書いた研究者の名前を彼女に教えた。  彼は恩師だ。  私達は学生時代彼の研究室に所属し、彼の指導の下で学んできたのだ。 「そう……。  彼には敵わないね……。  でも良かった、別の誰かじゃなくて……」  彼女は涙を流している。私も同調して泣いてしまったが、それは一人の身体から倍の量が流れているだけに過ぎなかった。 「ちょっとー、千織まで泣かないでよ。  酷い顔が更にぐしゃぐしゃになるでしょー」  その言葉はこんな真面目な話をしている中では何だか妙に笑える。 「何がおかしいの……?」  クスッと笑いながら言われる。  私が流す彼女の涙は気持ちを理解する上で何だかとても心地良い気がして、不思議な感覚だった。  もう誤魔化さずに話しても良いんじゃないだろうか?と少し思う。 「咲貴、ちょっと寝返りを打ってくれない?同じ体制で辛いのよ……」  私の意思で身体を動かす事はできない。  因みに余談だが、私が覚醒している時に彼女を覚醒させれば、身体の使用権限は私が得る事になる……。 「これで大丈夫?」  彼女は快く寝返りを打ってくれた。 「ああ、ありがとう。少し楽になったよ」 「不便な話よね……意識があるのに身体が動かせないなんて……」  確かにそうだが、相手が悪さをしない様に拘束するセフティシステムなのだから仕方がないだろう。 「ねぇ咲貴、あなたのカンは正しいわ。  奴等は厚生労働省労働基準監督官よ」  彼女は頷く。 「やっぱり……そうなんだね……それで?」  それを知ると他にも疑問が生まれる。 「咲貴は今の厚生労働大臣って知ってる?」  質問されているのに質問で返すのは申し訳ないと思いながらも確認しつつ話を進める。 「ええ、確か須藤という人……だったかな?」 「そう。その須藤は私の幼馴染でね、彼は非労働者処置法を撤廃する為に尽力した……」  彼女は凄く驚いた様子だった。 「え?  厚生労働大臣が千織の幼馴染なの?それも凄いけど、厚生労働省がメインで非労働者を執行してきたのに撤廃ってどういう……」  そう思うのも無理はない。 「彼は働けない人が殺されるという法のあり方は間違いだと言って自ら厚生労働省に入り、内側から変えようとした。  それに私達の研究であったホールブレインエミュレーションで労働力を確保し、ベーシックインカムを現実のものにした。  実際にその研究を完成させたのは辻本教授だった訳だけどね……」  咲貴は頷き、深く考えている様だ。 「じゃあ、ベーシックインカムって言っても働く人と働かない人が二つに分離されているって事?  それってある意味差別じゃないの?」  違うんだ咲貴、AIは人間と違ってモノであって人権なんか存在しないんだよ。 「ねぇ、こうやって話すまでは私の事を死んだと思っていたでしょ?それって何故だと思う?」  少しの沈黙の後、彼女は質問した。 「まさか……AIって死者の事なの?」  やはり彼女のカンは良い。 「正解だよ。  今の社会だと生きている人間が大切で、死者に人権やら権利なんて物は存在しないんだよ……だから差別ではないし、あくまでも死者は道具としての扱いなんだ」 「じゃあどうして監督官はあなたを殺しにきたの?」  そう言えばそれを説明する為にこんな話をしているのだった。 「それは仕事の話になるのだけど……私と明日香の仕事が労働基準監督官の残党討伐だからだよ」  不気味な話が始まったというのに彼女はしっかりと聞いてくれている様子だった。 「非労働者処置法が撤廃され、監督官は集団解雇された。  しかし今まで人を殺してきた背景もあって彼等は危険分子とみなされ、AI人格インストールやベーシックインカムの対象外になってしまった」  本来なら国民全体に分配されるのがベーシックインカムなのだが……。  普通に考えれば理不尽な話だ。  自ら望んで殺戮者になった訳でもなく、仕事を真面目にこなしただけだというのに。  アウシュヴィッツ強制収容所の様なものだろうか?  看守は仕事だからユダヤ人を何の躊躇もなくガス室に送れた。  彼等もそうだ。  仕事だからという理由で働けない人を殺してきた。  そういう意味で言えば仕事とは時代や法によって倫理を捻じ曲げ、良心を麻痺させる。 「人を殺す事で生計を立ててきた彼等は他の事が出来ず各地でテロや暴動を起こす存在となり、それを討伐しているのが私達……」  私も明日香も人を殺したい訳ではない。  今までの非労働者処置法が間違っていた。  働けなくなっても殺されず、また死ぬまで一生奴隷の様な強制労働をさせられる事の無い平和で自由な生活の為、テロを駆逐し治安を守る事は大切な仕事だと考えている。 「今回は私を捕獲するのか、殺すのかは別にして本人の人格の時に襲ってきたという事」  彼女は最後まで口を挟む事なく私の話を聞いていた。 「つまり、千織が覚醒している状態では勝てないから私の時に襲ってきたって事?」  実に分かりやすくまとまった質問だった。 「そういう事だろうね……。  緊急覚醒機能っていうのは知らなかったみたい……。  今回は咲貴の事を守れたから良かったとは言え、このままではこれからもあなたを危険な目に遭わせてしまうかも知れない。 そこで私から一つ提案があるんだ」 「提案?」  彼女は聞き直した。 「今回の件で思ったんだけど、私がこんな仕事をしていると、また咲貴を狙ってくる監督官が出てくるかも知れない。  私はあくまでも裏の人格で、毎回対応出来るとは限らない」  私は咲貴の為に強くなり、彼女を守る為にここにいる。  なのに、彼女に危険を与える存在になってはいけない。 「だから自分の身体に戻ろうと思うの……。  そうすれば、咲貴を守る為にずっと一緒にいられる。  勿論ベーシックインカムとは別に支払われるAI人格労働による報酬は一旦ゼロになってしまうけど、それはまた別のAI人格をインストールすれば良いわ……」
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