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第十六話 平和なひととき
毎日朝日を浴びながらジョギングした公園のコースを今日はゆっくりと歩く。
亡くなったと思っていた親友と会話をしながら歩くその道はいつもと違って見えた。
私と同じ様にいつもジョギングしている男性とすれちがい、挨拶を交わす。
雲一つない快晴と心地良いそよ風は散歩するのにベストな状況だ。
「普段はこの時間咲貴が起きていて私は寝ていたから、何だか新鮮な感じがするわね」
そう言われるとそうかも知れない。
そもそも自分の中に入っていたのが千織だと知ったのは昨日だったけれど、生活のリズムは私と真逆だったのだから無理もない。
「そう言えば、明日香さんは仕事仲間だとしても何故絵里ちゃんの事も知ってるの?
明日香さんは彼女の本当の人格を知ってるみたいだったけど、千織も知ってるの?
彼女は何者なの?」
私の質問に千織は少し答え辛そうだった。
「彼女も私達の仲間よ?
元々藤田絵里の勤めていた会社は倒産して、仕事のストレスで働けないまま二週間。
監督官に執行されるギリギリのところで助け出したの……」
その話を聞いて何かが引っかかる。
「不思議な感覚なんだけれどその話、何だか知っている気がする……。
夢で見た内容と重なるのよ。絵里ちゃんを殺そうとしたのは私……監督官の西田って男と二人で追い詰めて、千織と朱美さんが彼女を助けに……?
そんな事あるはずないよね……」
記憶の曖昧さがみられる。
「その件については今話しても混乱するだけだから全てが終わったらちゃんと説明してあげるわ。
一気に聞いても理解できないだろうし……」
千織がそう言うなら承諾するしかない。
「じゃあ、カフェ・エテルナに絵里ちゃんが居るのは偶然じゃないよね?」
関係のある人間がこんなに近くに何人も居るのには理由があるはずで、偶然ではない。
「ええ。自分の意思で通い始めたと思っているの?
絵里が居るお店だったから咲貴がよく行く様に誘導したのよ……」
それは何ともビックリな話ではあるが、理解はできる。
エテルナに私がいる事で、絵里ちゃんが襲われても千織を緊急覚醒させて助けられる。
仲間の安全を守るボディーガードを呼び出す為の監視役として使われていたという事だろう。
「私に入っていたのは千織だったけど、何故私の知る店員さんも、本来の人格も、絵里ちゃんなの?」
「ああそれね、基本的にAI人格は本来の人格と同じ名前に記憶をチューニングされる仕組みになっているの。
だからカフェで働く彼女も名前だけは絵里ではあるけど、本来の絵里ではないし、元々は別の名前があったはずよ?
生前に使っていたものがね……。
まあ記憶から消されて忘れているだろうけど……」
そう言われてとても複雑な気持ちだった。
生者がストレスから解放されたという喜ばしい結果の裏に、名前も忘れて働かされる道具となってしまった人達が居る。
進み過ぎたテクノロジーはある意味で死者や神への冒涜ではないのだろうか?とさえ考えてしまう。
しかし私もまた彼女同様にそれを研究し続けてきた一研究者なのだから人の事を言えた立場ではない事は十分に理解しているつもりではある……。
「因みに私は本来の「千織」という名前を使う事を認めさせた特例なの」
特例ってなんだろう?
私が寝ている間に何かあったんだろうな……。
そもそも千織は何故亡くなったのだろうか?
凄く気になる点ではあるが、私には怖くて聞くことができない。
私の中に千織が入っている事は彼女自身が希望したのか、別の理由があるのかは分からないけど何か意味があるはずだ。
ランダムに算出されていたとすればまず当たる筈のない確率だ。
「ヤバいよ咲貴、大きい犬がこっち見てる」
彼女は何を言っているのか?と確認すると次の瞬間犬に何度も吠えられる。
「きゃ!」
「すみません。
この子いつもはこんなに吠えないんですが……。
何してるの!こっちよ」
飼い主がリードを引く。
「すいません。
大丈夫ですので……」
小走りで逃げる様にその場を離れる。
「犬って感覚が鋭いから二重人格の人間が怪しくて警戒してたんじゃないかな……それにしても、千織が犬を怖がるなんて意外だったなあ。
そんなに驚くなんて……」
返事が返ってこない。
「おーい、千織どーした?大丈夫?」
「ビッ……ビックリして……声が……出なかっただけよ。
あんな大きい声で吠えられた事久しくないから……アレは何なの?
次会ったら駆逐してやる!」
物騒な事を言っている。
「いや、駆逐って……。
ポメラニアンだよ……知らないの?」
「知る訳ないでしょあんな怖いも……」
彼女は咳で誤魔化した。
おそらくは「怖いもの」と言おうとして、途中で犬にビビっている事に恥ずかしさを感じたのだろう。
彼女が何かに恐怖を感じている姿が何だかとても新鮮で可愛かった。
そうこうしているうちにエテルナに到着し、扉を開ける。
「いらっしゃいま……あ、咲貴さんおはようございます。
明日香さんこられてますよ。
テーブルへどうぞ」
案内されたテーブルに行く途中で注文する。
「カスクートにアイスコーヒー、ミルクとガムシロップを一つずつ」
昨日は千織に甘党だの何だのと色々言われたので気を使う事にした。
「咲貴さんがアイスって珍しいですね。
了解しました、すぐにお持ちします」
絵里ちゃんはオーダーを聞いて用意しに急いでカウンターの中へ戻って行った。
テーブルに着くと明日香さんが既にいて、朝食を終えていた。
「遅かったな。何かあったのか?」
何か変わった事があった訳ではなく、千織との会話を楽しみながらゆっくりと歩いてきたというだけの話なのだが。
「それが……来る途中で犬に吠えられたんですけど、千織がビビってしまって気持ちを落ち着けるのが大変で……」
我ながら何と意地悪な言い方だろうか……。
「は?何言ってんのよ!
私のせいだって言うの?
あんなの全然怖くないから……」
明日香さんが笑いだす。
千織は彼女に何がおかしいんだ!と問う。
「本当に怖くなかったのならそんなに声は震えないぞ。咲貴の言い方だけなら冗談なのかとも取れるが、千織の返答で本当にビビっていたのが証明された訳だ……」
私の顔なので表情は分からないが、彼女の心では今顔を赤くしてむくれているだろう。
その証拠に彼女は黙り込んで言い返せなくなっている。
明日香さんは真顔で私に手招きをして顔を貸せという合図をしてきた。
何か重要な情報でも教えてくれるのだろうかと彼女の指示通り顔を近づける。
「で、犬種は何だ?」
どうやら彼女は千織をからかいたいらしい。
そもそも、内緒事の様に顔を近付けて小声で話してはいるものの私が近付けば勿論千織にも聞こえるのである。
だが、それを分かっていてこんなやり方をする彼女のセンスはとても好きだった。
「それがですね、ポメラニ……」
「わーわー」
そんな恥ずかしい事を最後まで言わせまいと私の口は大声で妨害してくる。
隣の席でモーニングを楽しんでいた二人組の客がその声に驚き、立ち上がると声をかけてきた。
「どうされました?大丈夫ですか?お気分でも……」
気遣いはありがたいが、このやり取りを余計に恥ずかしいものへと変えて行く。
「すいません、大丈夫、大丈夫です」
親切な客に笑わず対応するのが難しい。
明日香さんもまた私の目の前で大笑いしている。
「分かったわよ……。
そのポメラニアンってのに相当ビビってました。
コレでいい?」
「素直でよろしい……」
明日香さんも満足そうな顔で笑っていた。
「カスクートとコーヒーお待たせしました。
ところでポメラニアンがどうされたんですか?
可愛いですよね、私も好きなんで……」
「ヤメイ!」
間髪入れない千織のツッコミ。
もはや再び笑うしかなかった。
「あれ?
そういう話とは違うんですか?」
彼女は流れを理解しないままポカンとしていた。
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