第十七話 永遠の入り口

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第十七話 永遠の入り口

「咲貴、緊張し過ぎだろ?  和む話をしてやろう……」  そう言って明日香さんは黙り込んでいる私に話しかける。  彼女は私に何を言うつもりなのか……。 「普段は凛々しい千織もビビるポメラニアンの話はどうだ?」   またその話を引っ張るのか?と私は苦笑いする。  千織も不機嫌そうなのが読み取れる。 「何故明日香がそんなに犬の話をしたがっているのか分かりますか?」  隣にいる絵里ちゃんに小声で聞かれる……。  ほとんど話した事のない本物の絵里ちゃんに話しかけられてかなり緊張している。 「千織をイジって笑いたいからですか?」 「いえ、単純に犬が好きなのですよ……」  少し意外な答えだ。 「明日香が昔飼っていたチワワのラッキー、とても可愛かったですよね……?」  絵里ちゃんは昔の思い出を彼女に確認する。  話の流れが千織に行かない様に明日香さんの犬の話に方向を変えようとしているのは流石としか言えない。 「お、おお……ラッキーな、確かに可愛かったな……」  急に自分に話が振られるとは思っていなかったのか、明日香さんも変な反応になった。  それにしても彼女がチワワを飼うなんてイメージできない。  仮に飼っていたとしても大型犬の方が似合いそうだ。 「でも、だいぶ前に死んでしまって……もう長い事ペットなんて飼ってないなあ……」  そんな話をしていた時にエレベーターが到着し、皆で一斉に乗り込む。 「まさか都心の地下にこんな大規模な施設があるなんて知らなかったよ」  エレベーターは高速で地下深く潜って行く。 「我々はカタコンベと呼んでいます」  隣で絵里ちゃんが私達に言った。 「カタコンベって?」  私は小声で明日香さんに聞く。 「ん?  イタリア語で地下墓地の事だろ?  エテルナだってイタリア語で永遠って意味じゃねーか……名前なんだから深く考えるな」  入り口は複数箇所あるとは言え、その一つがカフェ・エテルナであるのは驚きだ。 「簡単に言えば、大規模な死体安置所です。  咲貴さんが千織と研究されてきたホールブレインエミュレーションは辻本教授の手によって完成されました。  更なる技術発展を考慮し、遺伝子分野の研究や工学分野での研究の為に遺体をより良い状態で検体として安置する様に作られた施設となっています」  本来の絵里ちゃんは私が知るカフェ店員の彼女と容姿だけが同じの別人だった。  エテルナでコーヒーを入れ、モーニングを作ってくれた可愛い彼女は眠りにつき、今は絵里ちゃん本人が表に出ている。  勿論彼女は私の事をほぼ知らない筈だ。 「咲貴さん」 「はい」  よく知っている容姿だが、別人な彼女に名前を呼ばれるととても不思議な感覚だ。 「そんなに緊張しないでください。  あなたは、ある意味で毎日私と会っていたのでしょ?」  クスッと笑いながら私にそう言った。  確かにエテルナのモーニングサービスが好きで、私にとっては憩の場だった。 「いやそうは言われましても別人ですし、ほぼ初対面ですよ?」  明日香さんも千織も笑っている。 「カタコンベというのは先程明日香が言った通り、イタリア語で地下墓地の事。  実際地下で遺体を安置していますから、そう呼んでいるのですよ。  人格は誰かの身体に入ってずっと生きていますから、ある意味で永遠の命な訳です。  だからその入り口である場所をエテルナと名付けたんです。  そしてそのAIを使って労働ストレスから解放された私達は永遠の幸せを得たという訳です」  なるほど、由来は分かった。  私が長期の眠りにつく前は皆が狂った様に働き、ストレスを溜め、精神疾患によって多くの人が自殺していた。  かろうじてそうならなくても、勤めていた会社が倒産したり、人件費カットの為に解雇されて仕事がなくなれば犯罪者として殺処分を受ける。  そんな時代が長く続いてきたせいで、日本人はもう限界だった。  故に私も労働こそ悪の根源だと感じているし、低賃金長時間労働というひどくいびつな世界から解放されるのであればそんな素晴らしい事はないと思っている。 「咲貴さんは色々お知りになって、こちらに来られたという事は死者をAIにして働かせるという考えに反対なのですか?  彼等にだって人権がある……とか、自分が研究してきた事が悪用されている……とか思われているのでしょうか?」  それは映画や漫画なんかで主人公が思いそうな考え方であって、私に対して使うのは単なる勘違いだ。 「いえ、そんな風に思った事はありません。  生活維持の労働とは悪の根源で、安定や安泰等何処にも存在しない。  働いていた時それを嫌というほど感じさせられました。  そもそも、嫌々やっている仕事でパフォーマンスが発揮される訳がないとも思っています。  だからAIの人権なんて知った事ではないですし、人間がストレスから解放されて次のステージに進めるのならありがたい事です」  確かにAIが死者の事だと知った時は驚いた……。  自分も死んだ後は奴隷の様に働くのか?という将来の不安はある。  でもそれはまだかなり先の話で、今考えたって仕方ない事だろう。  それにカフェ店員の絵里ちゃんは明らかに奴隷ではなく、とても楽しそうだった。  そう言う回避の仕方だってあるんじゃないかとも思う。 「でも、私にとって親友である千織もまた大切で、彼女が私の代わりに働かされてストレスを溜めていると言うならそれは最優先で助けなくてはならないのです。  死者全てを解放したい等とは思いませんが、せめて自分が大切に思う人は幸せになって欲しいと願っているだけです」  本人に聞かれている中でこんな事を言うのはとても恥ずかしい……。 「なるほど……。  千織は、仕事で今回の様に咲貴さんに危険がおよぶ事があるかもしれないからと分離を申し出ました。  それに対して、自分の代わりに働かせるのではなく千織は千織として人生を自由に生きて欲しいという理由で、分離に利害が一致したと言う訳ですね……。  だからあなたは千織の提案を受け入れる事にした……お互いが想い合っているのはとても素敵な事ですね」  彼女が微笑むと、真顔でそんな事を言ってしまった自分が何だか照れ臭くさい。 「止めてくださいよ……変な言い方されたら言った私が恥ずかしくなります。そんなんじゃないですよ……」  絵里ちゃんはこっちをじっと見る。 「咲貴さんは知らないかもしれませんが、千織も私達と働いている時は咲貴さんの話ばかりなんですよ……。  だから相思相愛だな……って思います」  恥ずかしくなったのか千織も口を挟む。 「なっ!  そういう事を言うのは止めなさい」  顔は見えないので表情は分からないが、声から想像する照れた千織は何だか可愛い。  しかしそんなやりとりを聞いていた時、ふと急に違和感を感じる。  私は目覚めて二年が経っているというのに自分に入っている人格が千織だと知らなかった。  同じ身体に入っているという意味では会いに来る事はできないにせよ、メモやスマホ、その他にも伝える手段はあった筈だ。  絵里ちゃんが言う様に私の事を考え、想ってくれているのなら千織が私の中に入っていると伝えてくれていてもよいのではないか?  教えてくれなかったのは今回みたいに危険があるから?  もしかしたら、他にも何か理由があるのだろうか……。 「でも千織……あなた、咲貴さんには……」  絵里ちゃんが言いかけたのを千織が止める。 「その話はやめなさい。  咲貴にはちゃんと私から言うから……」  何やらまだ秘密があるらしい。 「それって……?」  千織が何か隠しているのなら、それは私の事を想っての事だろう。  だから、曖昧な聞き方しかできない。 「咲貴……」 「いや、いいの……。  千織が教えてくれないのは私のためなんでしょ?  だったら言える様になってからでいいよ。  それまで待っているから……」  彼女は黙ったままで、反応がなかった。  そんなやり取りをしていた時、エレベーターが目的階に到着した。 「カタコンベ、地下六十階です。  咲貴さん、色々驚かないでくださいね」  エレベーターの扉が開くと絵里ちゃんはそう言って、薄暗い通路で先頭を歩き始めた。
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