第一話 襲撃

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第一話 襲撃

早朝の公園  ペットと遊ぶ人、散歩をする人、ヨガを楽しむ人など思い思いに朝を過ごす人で溢れている。 「おはようございます」  ジョギングをする私もすれ違う見知らぬ誰かと挨拶を交わす。  実に気持ちの良い事だ。  通勤ラッシュで誰一人笑っていなかった労働ストレス時代とは違い、道行く人が皆笑顔で明るくなった。  社会はとある技術の発展と新エネルギーにより長期にわたるストレス社会を抜け、幸せに暮らせる様になった。  日本は生活を維持する為の労働から解放され、仕事は一部の人間が人生の充実感を得るため、あるいは使命感に駆られた者が従事するものである。 「いらっしゃいま……あ、咲貴さんおはようございます」  行きつけのカフェ・エテルナに到着するとカウンター席に座り「いつもの」と注文する。  常連客ともなれば、店員とも打ち解けて話せる様になる。 「いつものですね、了解しました」  最低限の生活を保障するベーシックインカムはかつて、人が働かなくなると非難され続けたが、今となってはその考えが如何に馬鹿げていたのかが理解され、誰一人として反対する者はいないだろう。  そもそも「お金をもらうと働かなくなる」という発想こそ「働く事にお金以外の意味がない」と言っている様なものだ。  しかし現実はどうだろう……ベーシックインカムによって労働による人間関係のストレスは軽減され、精神疾患に悩まされる人はほぼいなくなった。  他にも、家庭内暴力を受けても子供を育てる費用の為に離婚に踏み切れなかった女性達が独立し、家庭環境が改善。  低所得により子供が育てられなかった世帯での出生数が伸び、高齢社会の問題も解決しつつある。  国民に時間と経済の両方に余裕ができ、自分の夢や目標に向かって努力する人が増えたおかげで、生産性は上がり経済はV字回復した。  今では日本が「住みたい国ランキングの上位」になり海外からの移住者が増え、様々な言語が飛び交う世界で見ても飛躍的に成長する国となっている。 「お待たせしました」  ホットコーヒーと共にカマンベールとロースハムのカスクートがお皿に乗って登場する。  一口かじると、生きていて良かったと思う程にこの店のコレは絶品と言えよう。 「軽い運動の後のコレは最高だね」 「そう言ってもらえると作りがいがありますよ」  店員絵里ちゃんは照れる。  仕事とは本来こうあるべきなのだ。  やりたい事や夢の為に努力したり、人に喜んでもらえるのが好きで働く。  生活維持の為にやりたくない事に時間を割いてきた私達のやり方は間違っていたと言わざるを得ない。  一九四五年終戦。敗戦国として焼け野原となった日本は、モノが何もなくなった事で作れば売れるという好景気が到来した。 「欧米に追いつけ、追い越せ」という思想の元で頑張れば儲かり、豊かな生活ができると国は急成長した。  それが高度経済成長である。  しかし、その反動もあり一九九一年のバブル経済の崩壊に伴い社会は低迷期に突入する。  それでも生きて行く為に働かなくてはならなかった我々は身体や精神を犠牲にして働き続けた。  日本人は真面目だと海外から賞賛されたが、その裏で人々はストレスに悩まされ、十代二十代の自殺者数が世界一位と不名誉な記録を更新した。  そんな暗黒時代を経て今のこの豊かな生活を手に入れた。  人類は次なるステージへと進んだのだと思う。 「AI人格インストール」と呼ばれる新技術によってベーシックインカムが導入され、生活維持の労働を辞め、豊かな生活が可能となった。  AIを自分の脳にインストールし、労働人格として使用する。  本人が睡眠をとっている時にAIが代わりに働いてくれる。  仕事と生活は切り離される事で労働によるストレスを感じる事がないどころか、そもそも人は自分がどんな仕事をしているのかさえ知らない。  私の仲良くなったこの店員さんも、本人が好きでやっている仕事なのかAI人格で処理されている労働なのかを他者が知る術はない。  そして私達を豊かにしたもう一つは「新エネルギー」である。  原子力や火力に変わる新しい発電方法があるらしいが、国家事業として一般には公開されていない。  つまりは、ライフラインとして電気はスイッチを押すと普通に使えるが、どうやって発電しているのかは謎のままである。 「そう言えば咲貴さん、少し痩せましたね」  絵里ちゃんは別のお客さんにコーヒーを入れながら私に話しかける。 「そう?あまり実感はないけど……。  まぁ、最近ジョギングしたり運動してるからね。  それに、もしかしたら仕事が結構ハードなのかも……体力仕事だったりして?」  そう、私はどんな仕事に就いているのか知らない。  彼女はクスっと笑い、 「でもまぁ、働いてる記憶が無いというのは本当に素敵な事ですよね。  生活維持の為にやりたくも無い事でストレスを溜めるのもゴメンですから」  この言葉は彼女本来の人格で話している様に聞こえるが、AIが接客の為に話を合わせるプログラムが作動しているとも考えられる。 「咲貴さん綺麗ですし、接客とかしているならお客さんたくさん付きそうですもんね。  もしかしたら咲貴さんって、キャバ嬢さんとかホステスさんなんじゃないですかね?」  口に運びかけていたコーヒーを吹き出しそうになる。 「はあ?私が?そんな訳ないでしょ?……たぶん」  彼女は私の反応を見て笑っている。 「たぶんなんですね?まぁ働いてる記憶が無いんですから、可能性あるんじゃないですかね?綺麗なのは本当ですし」  からかわれているのは分かっているが、綺麗と言われて悪い気はしない。 「ホステスなのかは別にして、自分がどんな仕事に就いているかなんて考えた事もなかったよ」  実際に眠っている時の記憶なんてないのだからどんな仕事をしているかなんて知らない。私は何者なのだろうか?  入り口の扉が開く音がする。 「いらっしゃいませ」  男性二人組が入ってくるなり、私に話しかける。 「皆谷千織だな?」  彼らが何を言っているのか分からなかった。 「いえ、人違いかと……」  そんなバカな話はない、皆谷千織は十年程前に亡くなった私の親友の名だ。  次の瞬間、激痛を感じたかと思うと腹部に彼の拳がめり込んでいる。 「うるさい、お前のAI人格の事を言っているんだ。いいから一緒にこい」  そこからは記憶が無く、次に気が付いた時には男性二人は血塗れで倒れている。  私の手にも血がついている。 「絵里ちゃん?大丈夫?」  カウンターの内側で震える彼女。 「た……た……助けていただきありがとうございました」  私に記憶はない。  AIが作動したのだろうか? 「もしかして……私がやったの?」  震える彼女は無言で頷いた。
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