第十八話 地下墓地

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第十八話 地下墓地

「先に行け。私は後ろから着いていくから……」  明日香さんはそう言って私を先に行かせる。 「目的の死者アドレスはS5-119-88です。  はぐれない様についてきてくださいね」  死者アドレスとは何だ?と絵里ちゃんの言っている事の意味が分からなかった。  あれ?  でもその番号は覚えがあるぞ……?  何処で見たのか聞いたのかは分からないが、そんな風に感じていた。 「そのナンバーはどういう意味ですか?  死者アドレスって?」  私にとっては知らない事が多い。  人は自由に自分の好きな事をして過ごせる時代になったけれど、そのせいで知らなくて良い事は何も知らされない。 「特に意味は無いです。遺体の数が多いから管理番号を付けているだけ。  S5区画に保存されているという様に、それが何処にあるのかが分かる仕組みになっているのです」  なるほど。  彼女が遺体を「それ」と言った事で、亡くなった人はモノとして扱われている事を痛感する。 「着きましたよ、ここです」  大ホールの様なかなり広い空間に出る。  カプセル状のガラスケースに人間が入れられ、それが見渡す限り何処までも無数に並んでいる。  見れば身体中に針や管が複数接続され、カプセル横にはモニターがついている。  そのモニターの表示によれば湿度や温度がしっかり管理され、また心電図や血液の状態の表記もある。  ホールの入り口には「S5」と書かれたプレートが見えた。 「これってAやBもあるんですよね?」  当たり前の質問をしてみる。 「当然です。  まぁAやBはこの施設ではないですが……。  S4なら一つ上のフロア、S6なら下のフロアという感じですが……」  どれ程の規模なのかは分からないにせよ、ここはSの施設……。  ナンバーが若い程上層のフロアに保存されている様だ。 「あの……咲貴……」  千織は急に私に何かを伝えたそうな雰囲気だったが、それどころではない。 「ごめん千織、身体が戻ったらゆっくり聞くから……」  ここに来るまでは遺体を管理していると聞いていたが、彼等はまだ死んでいない。 「絵里ちゃん、質問してもいい……この人達、まだ死んでないよね?  ここは死体安置所じゃなかったの?」  仮に死者に人権や権利がなかったとしても、生きているなら話は別ではないのだろうか? 「これを見て気持ちが変わっちゃったんですか?  彼等彼女等は既に死んでいます。  あなたの修士論文にもあった通り、人間の人格を取り出して活用するためには二つの問題点がありますよね?」  それは私が一番よく知っている。  一つ、脳は自分が肉体、主に臓器を保持している事を認識している。  故に臓器の存在しないチタン合金製のボディでは、自分が生きているという事が確認できず、人格がパニックを引き起こし、定着できなかった。  二つ、人格を起動しても自分がコピーであるという認識に耐えきれず起動直後に意識が消失した。 「まさか……」 「そう、そのまさかです……ここにあるのは送信機なんですよ」  その二つの問題点はこれ等の遺体によって解決される。  ここで取っている心電図や血液状態の生体データはデジタル化され、人格が保存された身体へ無線送信されている。  そうすると、延命させられている身体の臓器情報にアクセスでき、存在を認識できる。  故に自分は生きていると感じる事ができ、パニックや拒絶反応が無くなる。  また、ここに存在する遺体は人格を消去されており、人格が複数存在しない事で誰かに入っている方が本物……即ちコピーではないと認識できる……という訳か。 「なるほど、だから千織が考えた事が私の頭には浮かばなかったんだな」  私の脳を共有して使っていると思っていたが、実際は無線で通信してここの遺体の脳で処理していたという事だ。 「流石修士ですね……。理解が早くて助かります」  ここまで手の凝ったプロジェクトなのであれば私一人の考え方などもはや関係ない。 「確かに倫理という概念からは逸脱している様に感じます。  だけど、正義の意味は時代の流れによって変わるもの……。  利益重視による安全コストのカットが原因で引き起こされる労災とそれに伴う肉体的ダメージ……  低賃金長時間労働によって溜められたストレスによる精神疾患とそれに伴う自殺……  それ等が急激に減っているのは事実です」  こんな事になっているのは、時代が変わっていると言うのに高度経済成長期の考え方がいつまでも抜けぬまま労働が正義なのだと真面目に働き続ける狂った日本人のツケだ。  二〇二〇年のウイルスパンデミックで経済が疲弊した時こそ、ベーシックインカムを導入しておくべきだったのだと思う。  ベーシックインカムを導入した海外の国の多くは次々と経済が回復したが日本は利権だの法律だのと後手後手に回り、挙句経済は破綻した。  優秀な人材は海外に出て行き、残った者を強制的に働かせなければ国という存在が保てなかった。  で、結局最後はこんな倫理を無視した無茶な方法でベーシックインカムを実現させたという訳か。  それは働く事が正しいと狂った真面目な日本人のツケと言わざるを得ない。  しかし倫理を無視しているからと、このシステムを止めるというのならば日本人の多くは労働者に戻り、ストレス社会を再構築するだろう。  果たして倫理を守り、社会全体を退化させる事が本当に正しいのだろうか?と疑問に思う。 「どういう事なんだ?」  後ろからついてきていた明日香さんはこの哲学論争には参加できずにいた。 「後で説明しますから……」  彼女の頭には「?」が浮いている。 「千織を助けに行く……んだよな?」  彼女の言葉で皆が本来の目的を思い出した。 「ええ。  では行きましょうか……」  再び絵里ちゃんは先頭を歩き始める。 「そうか、千織が私に伝えようとしていた事はコレだったんだね……。AIの正体は生きている人間で、私たちが裕福になった生活の裏ではこうやって倫理が無視されていると……」  確かに千織は優しいが、少し不思議にも思う事がある。  千織は学生時代から誰よりもベーシックインカムを望んできた。  彼女の性格上仮に多少倫理が無視されていたとしても、今を生きる人間が死ぬまで奴隷の様に働かなくて良くなり、働かない人間が犯罪者として殺されない自由な社会が作れるのなら、寧ろ賛成しそうなものだ……。 「いえ、咲貴……そうじゃないわ……」  千織が何かを伝えようとした時だった…… 「咲貴さん、彼女を知っていますか?」  そう言って見せられたのはS5-118-72のカプセルに入った女の子。  モニターの表示から島田麻美だと分かるが、名前に聞き覚えも顔に見覚えも無かった。 「誰ですか?」  彼女は無言でモニター上のとある項目を指さし、私はその情報をじっと見た。 「え?」  驚いてカプセルの彼女をもう一度見直す。  指さされた情報……そこには「人格使用者」という項目があり「藤田絵里」と表示されていた。 「彼女が私のAIで、カフェ店員の藤田絵里。  あなたは毎日会っていたでしょ?」  まさかこんな形で彼女と対面する事になるとは思っていなかった。 「咲貴さんも知っていると思いますけど、AIは元々人間だから勿論ちゃんと名前があるんです。  同じ人間が違う名前を名乗るのは不便だから彼女も私の名前で生活しているのです。  いや、名前や生年月日の様な基本的な情報はインストール時にチューニングされているのですよ」  彼女とはほぼ毎日話していたのに容姿も名前も知らなかった。 「でも、それって寂しくないですか?  毎日話していたのに私は彼女の事を何一つ知らない……」  絵里ちゃんはため息をついた。 「それが労働ってモノですよ?  今は少し違うにしたって、生活維持のために仕方なく自分を殺して他人になりすますのです。  やりたくもない事に時間を費やし、自分を騙して偽り続ける。  働いている自分と、普段生活をしている自分は基本的に別人です。  働かなければ犯罪者として殺される残酷な世界でやってきた事と何が違うと言うのです?」  そう言われれば確かに大差はない。  寧ろ働かなくても自由で裕福に暮らせる様になった今の時代の方がよほどマトモで幸せだ。 「麻美は学生時代に知り合った親友の一人でした。  彼女とは毎日一緒に過ごし、夢を語り合った……」  絵里ちゃんは彼女の話を語る。 「彼女の夢はカフェ……。  いつか自分のお店を持つ事」  だから、絵里ちゃんは彼女を使ってカフェをやっているのか……。 「でもある時、一家惨殺事件が起こりました。  彼女のお父さんは仕事で成功成しており、裕福で温かい家庭だった。  私も家に呼ばれては、何度も夕食をご馳走になったものです……。  でも、事件は起こりました。  犯人は中小零細企業で人員削減により解雇された中年の男性。  精神疾患により再就職もできず、監督官に執行されるのを待つだけの存在。  彼が絶望していた時、裕福に暮らす富裕層が非常に腹立たしく思えて憎かったそうです。  どうして同じ人間なのにこうも違うのかと……?  後の裁判で彼はそう語っています。  この事件は世間に衝撃を与えました。  本来非労働者として殺されるべき犯罪者によって成功者一家が惨殺され、更に裁判の為に働いていないにも関わらず例外的に執行されないという現実……。  無職落ちした非労働者は死にたくないという気持ちで彼の様な事件を起こす様になっていきました……」  法に穴があるせいで、更に残酷な事件が起こる。  私はそれを聞いて過去に何処かで得た情報、飲酒運転と轢き逃げの事を思い出した。  飲酒運転による事故が増え、取り締まりを厳しくすると事故を起こした人間は一旦その場を離れ、酒が抜けてから轢き逃げとして自首するようになっていった。  飲酒運転の方が重罪扱いだったせいで、轢き逃げ扱いとなる彼等の罪は軽くなった。  その場で救急車を呼べば助かった命も、放置される事で被害者は死ぬ。  それと同じく、解雇されて職を失っても犯罪を犯し懲役刑を受ければ社会復帰のために公の機関からの紹介で仕事が見つかり、死の恐怖を回避できる。  こんなおかしな話はない。 「彼女は一家惨殺事件の生き残りだった……」  絵里ちゃんは再び語りはじめる。 「父、母、弟、妹は殺され、彼女は家族の遺体の隣で一晩中暴行を受け続けました。  肉体も精神もボロボロで以前の様な明るい性格は失われ、口を開けば「死にたい……」とか、「殺して……」と呟き続けている状態だった……」  とても酷い話だ。  何と言って良いのか分からない。  明日香さんは私の後ろで何も言わず泣いている。 「でも、私は生きていて欲しかった……」  絵里ちゃんは袖で涙を拭く。 「傷付いた彼女の心の一部を消し、私の身体を与える事にしました。  また昔みたいに笑ってくれればと思って夢であったカフェをやってもらっているのです……。  エテルナとはそんな彼女が永遠に笑っていられる場所という願いを込めて付けた名前でもあります」  そんな話を聞いたら涙が止まらない。 「確かに倫理問題において死者を冒涜している様な所はあります。  でもそれを否定したらまた労働ストレスと戦う日々が始まり、こんな事件が再発する可能性だってあるんですよ。 「倫理」と言葉にする事は簡単ですが、そんな事も含めて考えて欲しい」  私も袖で涙を拭きながらカプセルで眠る彼女を再び見る。  最初は気が付かなかったが、右の肘より先と左の膝より先がない。 「ああ、それは事件の時に……」  私は何も言えなかった。 「咲貴さん……」  まだ何かあるのか? 「これ以上悲しい話はしたくないから、詳しくは省略しますが……麻美の隣で寝ているS5-118-73の男の子、丸山翔太も交通事故で生死をさまよっていました。  彼の身体は麻痺状態でベッドの上から一歩も動く事ができず、本人も死を望んでいた。  分かって欲しいのは、ここにある遺体のほとんどはそういう事情を抱えた状態だったという事。  やりたくもない仕事を強制させられている訳じゃない……命を救われて他人の身体の中で生き続けているという事実ですよ。  逆に言えば倫理や奴隷という言葉にスポットライトを当て、このシステムを否定してしまえば彼等は死ぬしかなくなる……」  絵里ちゃんの言葉を聞いて思う事は、このシステムは死者にとっても生者にとっても必要なモノではないのだろうか?という事だ。 「そうですね……私もそう思います……」  死者にも事情がある事を知り、関係のない第三者が倫理だの奴隷だのと勝手に助けたいだとか、解放したい等と考えるのはただのエゴなのではないだろうか?  そんな葛藤をしたって仕方のない事だ。  死者の魂は労働からの解放を望んでいないのだとしたら救いの手等不要だ。  カフェ店員の絵里ちゃんは常に笑顔で楽しそうだった。  それが全ての答えではないのだろうか?  自分のお店を持つという夢を叶えているのに、お前の家族は殺されたんだと真実を言って地獄に突き落とす様なマネは私にはできない。 「とりあえず……先に千織の身体を見つけましょう。  話はそれからです……」  千織を私から分離する事こそここにきた本来の目的なのだと皆が私の言葉で再確認した。 「ここです……」  絵里ちゃんが指さしたカプセルを見て、頭が真っ白になる。 「え?  まさか……どういう事?」  理解が追いつかない……。  そこに寝ているのは千織ではない……。  慌ててモニターを確認する。  名前は西岡咲貴。  人格使用者は皆谷千織……。 「千織、どういう……事なの……?」
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