第二話 絶叫

1/1
29人が本棚に入れています
本棚に追加
/34ページ

第二話 絶叫

「明日香、助けて……」  息切れした声で友人に助けを求めつつ、メイン通りから一本入った薄暗い裏路地を女性が走り続ける。  設置された数メートル毎の街灯も役目を果たしておらず視界に映るのは闇だけ。  それでも彼女にとって恐怖から逃げる事の方が優先であった。 「もしもし、大丈夫?凄い息切れしてるけど……何処にいるの?」   ハイヒールのかかとが折れて転倒、長距離を走り続けた事が原因と考えられる。  すぐに立ち上がるとソレを脱ぎ捨て、走りやすい様にスカートを破く。  電波は悪く、友人に助けを求めたスマホの通話は切れてしまっていた。  冷たいコンクリートに捨てられたガラスあるいはプラスチックの破片が突き刺さり、出血した両脚が悲鳴をあげている。  激痛より遥かに上回る恐怖は出口の見えない闇の中を逃げ続けるための原動力だったが、体力の限界が近いと理解していた。  追跡者の地を踏む音がだんだんと大きくなり、逃げ切る事が不可能と悟った彼女は物陰に身を隠す。  同じリズムのままだんだんと遠ざかり、徐々に消えていく音。静かに呼吸を整えたが、その安心も束の間だった。  次の瞬間にはポケットにしまったスマホが着信とともに音を鳴らした。  必死に消そうとしたが時は既に遅く、先程のリズムがボーリュームを上げて再び闇夜に響き渡る。  画面表示「堀江明日香」は切れた通話を心配してかけ直してくれているという意味ではありがたい事ではあるが、こんな時に限って何故マナーモードではないのかと恨む。 「もしもし、いきなり通話が切れたけど本当に大丈夫なの?」  電話をとった彼女の目にはニタニタと不気味に笑う中年男性の顔が映る。 「ありがとう。もう大丈夫だから……」  泣きそうな気持ちと恐怖心を必死に堪えて笑いながら対応した後スマホを男に向かって投げ付け、再度逃げる。 「本当に大丈夫なの?凄い音がしたけど?何があったの?」  衝撃で画面に蜘蛛の巣状のヒビが入ったスマホは通話が繋がったまま男に拾いあげられる。 「もしもし、お電話かわりました。堀江明日香さんですね?」 「あなたは誰?彼女に何をしたの!早く代わりなさい!」 「申し遅れました、わたくし厚生労働省労働基準監督官の西田と申します」 「厚生労働省?まさか、非労働者処置法で執行対象に……」 「彼女が勤める会社は莫大な借金を抱えて倒産し無職となられましたが、その後二週間再就職なさらなかったのでお迎えにあがりました」 「待ってよ、そんな……」 「申し訳ありませんが、ルールですので。五日後にはあなたの所にも、ちゃんとお迎えにあがりますので他人の心配をなされている場合ではありませんよ?  それとも公務執行妨害で今殺処分される事をお望みですか?」  そう問うと男は返事を待たずして通話を一方的に切断し、その場にスマホを捨てた。  地に転がるソレは「堀江明日香」と表示させながら着信音を闇夜に響かせているが誰も出る事はない。  シャッターの閉まる真っ暗な商店街の中を二つの足音だけが一定のリズムを刻み続けた。  その一つは短い間隔で恐怖がよく現れている。  スマホを失った彼女は誰にも助けを求める事が出来ないまま、路地という迷路を敵から逃げ続ける。  どれくらいの時が流れただろうか、体力の限界など既に越えていたが、それでも死にたくないという一心で走り続けた。   しかし前からも彼等の仲間と思われる女性が現れ、挟み撃ちにあう。  男は息を切らせ、やっとの思いで追いついてきたのだろう。 「まったく、てこずらせますね……しかし、こんなに体力があるとは予想外でした」  汗だくで息を切らせ、両手をあげ降参の合図をおくる彼女に銃を向ける。 「これだけ頑張って逃げたのですから、言い残す事があれば聞きますよ、藤田絵里さん」  黙り込んでいたが、恐怖で声が出ないのか走った後の息切れのせいなのかは他者には分からない。  少しの沈黙が途切れ、やっと口を開く。 「法だからと言って、それに従うだけなんて変だと思わない……?あなたは人を殺しても何も感じないの?」  彼女の声は恐怖で震えていた。 「それが厚生労働省の仕事ですから。働かない者は日本に必要なく、国の成長の妨げになるだけですし」 「あなたは最早人間ではないわ……国民はこんなにボロボロになるまで働いてストレスに悩まされていると言うのに……それでも働き続けたいなんて、この国は狂っている」  男は呆れた顔で彼女の言葉に返す。 「弱者は強者が作ったルールに従わなくてはならないのです。  今回はそのルールに死が関与したというだけの話だと思ってください。  労働という意味では昔から経営者に利益を巻き上げられ、その上稼いだお金も税金という形で国に取られてきたのです。  弱者はいつも一方的に奪われる存在で、今更そんな当たり前の事を問うて何か変わるとでも言うのですか?」  彼女は悔しくて仕方がなかったが、男の言っている事が全くその通りだとも理解していた。  この世の中は実に理不尽で残酷なのだと知っているつもりでいたが、本当は何一つ知らなかった。いや、知ろうとしなかったという表現の方が正しいのかも知れない。  そんな事を考えていた時、闇夜に銃声が響く。
/34ページ

最初のコメントを投稿しよう!