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第七話 山岳要塞
「ここで待て」
そう言われ、銃で武装した二人組の男に目隠しと拘束具を外された。
目隠しのせいで連れてこられた場所は分からなかったが、見た限りではかなり広めの部屋だ。
要塞内部のフロアだろうか。
監督官ではないとは言え、あんな騒ぎを起こしたのだ、警戒されても当然だろう。
ある意味騒ぎのおかげですんなりとコミュニティに接触できたのはラッキーだったが、長がどんな人物なのかわからない以上油断は禁物と言うべきか。
もし対応を間違えて失礼な態度を取れば、私だって消される事もありうる。
*
山小屋への到着を喜んでいた時だった。
「全員離れろ!」という声が私の後ろで聞こえたかと思うと、私は後ろから腕を回されて首にナイフを突き付けられている。
先程聞こえた銃声で放たれた弾は彼の肩に当たり、負傷している。
監督官から逃れる為に山岳ガイドを付けたというのに、そのガイドである彼こそが監督官であったとは笑える話だ。
「佐藤さんやめてください、私はまだ無職落ちしていません。これではただの殺人です」
労働基準監督官であったとて無差別に人を殺したいサイコパスではないはずだ。
法に則って罪人を処刑しているに過ぎない筈だ。
ならば、ここで労働者である私を殺せば罪に問われるのは彼の方だ。
「私に優しくガイドをしてくれたあなたがどうして?
山がお好きなんでしょ?」
「そんなものは、お前を騙す為に決まっているだろ!
山だって今回が初めてだ。
お前に語った話は全部下調べしたこと」
私の見立ては間違っていたのか。
登山客でごった返す山小屋前でこんな騒動が起きているが、圏外のために誰も外部に助けを求める事は出来ず、仮にできたとしてもすぐに誰かが助けに来られる場所ではない事も分かっている。
「どうしてガイドを?」
私は彼の顔に見覚えがある訳ではなかった。
狙われているなら非労働者コミュニティに接触しようとしたからだろうが、何故それがバレたというのだろうか。
「私の息子も少し前に職を失い、殺された。それまではこの法が日本のためになると信じていたんだ。
殺処分の抑止によって、若者の働くムードが高まり労働力が強化されると本気で思っていた。だけどそれはこの社会にとって幻想だった……。
息子が執行対象になった事で気付くなんて俺はバカだ。
国民はこんなにも苦しんでいたというのに……」
「そう思う様になったのなら、息子さんの死にも意味があったのではないですか?
息子さんのためにも……」
言葉の途中でさえぎって話を続けられた。
「そう思いながらも又、上からの指示で殺処分をしてしまった。
やらなきゃ、俺が仕事を失って殺されちまうんだよ……」
悲しみの連鎖、負のスパイラル、言い方はなんだって良い。
こんな法が間違っている事は明白だ。
「少し前、同僚の西田という男と一緒に執行対象の大森朱美という娘を追っていた。
私は必死で彼女を庇おうとした西岡咲貴という娘を執行妨害で処分した。
彼女には本当に悪い事をしたと思っている……」
はらわたが煮えくり返る思いだった。
気が付けば、私は手に噛みつきナイフを奪い取ると、彼の腹に刃を突き立てていた。
「うぁぁぁぁぁ!!」
自分でも驚く程の叫びだ。
「彼女達がどんな想いだったと思っているんだ!」
彼は懺悔している様だった。
「すま……ない……私にはどうする事もできなかった……須藤が……調べ回っていた情報を知り、派遣……した千織という人物と……共にポステリタスに接触しようと先回りしていた。
彼等に救いを求める為に……」
倒れた彼は喋るので精一杯の様だった。
しかし、何処からともなく聞こえた銃声で頭を撃ち抜かれ、静かになった。
私は正当防衛であるはずだ……やらなければ私がやられていたのだから。
力が抜け、その場に座り込んでしまった。涙が止まらない。
登山客だと思っていた周りの何人かが近寄って来たかと思うと興奮状態で抵抗する私の首に注射針を刺した。
睡眠薬、あるいは鎮静剤の類だろう。
*
「そんなに緊張しなくても良いから、楽にして頂戴。
コーヒーか紅茶は如何?」
そう言って、女性が入ってくる。歳は若く見えるが自分の母親、あるいはそれより少し上くらいだろうか。
身長はスラリと高く、細身でスタイルが良い綺麗な人だという印象を受ける。
こちらの情報は極めて少なく、彼女が敵か味方かも分からないのだから緊張するなと言われても解く事はできない。
「いえ、お構いなさらずに」
彼女は顔を上げ、私の方を見るなり「あら、千織だったの?お久しぶり。
なら、砂糖多めでコーヒーにした方が良いわね」と言った。
どういう事だ?
私はこの人を知らない。
いや、覚えていないだけなのか?
「失礼ですがあなたは私の事をご存知なのですか?」
彼女は黙り込む。
失礼な事を言ってしまったのだろうか?
覚えていて当然であるべき存在なのだろうか?
謎は深まるばかりだが、警戒しなければならない相手である事はたしかだ。
こちらが何も情報を持たないままここに来ている事を悟られないようにしなければ、駆け引きはできない。
「忘れてしまったの?
千織は全てを知ったからここに来たのでしょ?」
この質問はまずい。
何も理解していない事がバレてしまう。
どう答えれば良いのだろうか?
そんな時扉がノックされる。
「奏様、コーヒーが入りました」
奏?
この人の名前か?
全く記憶にない。
「そこに置いてくれるかしら」
女性が部屋に入ってきたかと思うと、隅のテーブルに二人分のコーヒーが置かれる。
用意してくれた彼女はすぐさま去った。
「緊張しているようね、無理もないわ。大阪からの長旅の上、初の登山だものね。取り敢えず冷めないうちにいただきましょう」と私にカップを渡す。
砂糖とミルクは好きなだけ入れて頂戴等とニコニコと微笑んでいる。
大阪から来た事も知っているなら変にここで知ったかぶって駆け引き等できる訳もなく、素直にありのままの自分で話すしかない。
「申し訳ありません。
あなたは私をご存知の様ですが、失礼ながら私は存じ上げません」
相手が優位に立ってしまっても仕方のない状況だった。
何も知らないのは事実なのだ。ここでは隠す方が失礼ではなかろうか。
「合格です」
彼女は微笑みながら言った。
「この部屋に入って来た時の顔で、そうではないかと思っていました。変に知った様に話すのであれば、お引き取り願うつもりでしたよ。
でも私はあなたが素敵な娘に育っていて嬉しく思います」
意外と好印象な対応ができた様で良かった。
素敵な娘に育った?
という事は幼い頃を知っているのだろうか?
だとしたら、何故私はコーヒー派の甘党だと知られているのだろう。
謎は深まるばかりである。
彼女は口をつけたコーヒーカップをテーブルに置くと謎解きをし始めた。
「自己紹介がまだでしたね。
私は西岡奏。この非労働者コミュニティ、ポステリタスの長をしています。
ポステリタスというのはラテン語で「未来」という意味。
厚生労働省から国民を守り、支援する活動をしているの」
この人が須藤の言っていた非労働者コミュニティのリーダーで間違いない。
「西岡さん……って、まさか?」
「そう、あなたのよく知る西岡咲貴の母です。
娘がお世話になっているわね」
いや待て、仮にこの人が咲貴の母親だったとして、彼女から私の話を聞いていたとしても大学生になってからの事しか知らないはずだ。
そもそも実際に会った事はない。
「その顔だとまだ疑問だらけの様ね。
本当に偶然ここに来たの?自分の置かれている状況を理解した上で私を訪ねて来てくれたのかと思っていたから少し残念だわ」
「申し訳ありません」
もはや駆け引きで情報を引き出すどころの話ではなかったと訂正しておこう。
自分には謝る事しか出来なかった。
「謝らなくても良いけど……。
偶然にしろせっかく会いに来てくれたのだから色々と教えてあげるわ」
どういう事だ。
何を語ろうというのだろうか?
そもそも彼女は何者なのだろうか?
「千織が何処まで知っているのか分からないから、何から話すべきか迷うわね」
私の知らない話はそこまで複雑だとでも言うのか……。
「咲貴と知り合ったのは大学時代でした。
彼女から私のお話を聞かれていたとしても数年分の友人関係しかご存知ないのではないですか?
それに私は奏さんにお会いした事はないと記憶していますが……」
心を読むスキルのない私ですら「そこからか?」と思われている事が分かった。
「本当に何も知らずに偶然訪ねて来たのね」
そんな言い方をされると凄く悔しい。
「千織と咲貴の出会いが本当に偶然だと思っているの?」
は?
仕組まれた出会いだったとでも言いたげだが、果たしてそんな事があるのか。
「千織を守って欲しいとあなたのお母さんに頼まれたのよ……だから私が咲貴にあなたの護衛任務を命じた」
余計に分からない。
私の知る限りそんな事を頼む様な人ではないはずだ。
「母さんがですか?」
「いえ、育ての親である皆谷信子は私達の協力者ではあるけれど、産みの親ではないのよ。
私とあなたのお母さんは二人で非労働者を支援する為にこのポステリタスを立ち上げた。
その事で厚生労働省から狙われる存在となり、彼女はあなたを危険な目にあわせたくないと戸籍を偽造し協力者である信子に託した」
そんな衝撃的な事実をサラリと簡単に話されて、どうやって信じろと言うのだろう。
「しかし、そんな話は母さんにも咲貴にも聞いた事などありません」
「そりゃそうでしょ、反逆者の娘だとバレればあなたは厚生労働省から命を狙われる存在になってしまう。
特殊な訓練を受けている信子や咲貴と違って拷問や洗脳に耐えられないあなたを守る為、何年も秘密を守り続けてきたのだから」
何という事だろうか、そんな真実を知らぬまま彼女から情報を引き出す駆け引きをしようとしていた私は愚か者だ。
他にも聞きたい事は山の様にあったと言うのに頭は真っ白になって何を聞いて良いのか分からなくなってしまっていた。
「私の本当の名前は何と言うのですか?」
危険を回避する為に戸籍を偽造したと言うのなら、皆谷千織というのも偽名な筈だ。
「咲那。あなたの名は夜神咲那と言うのよ」
しばらく私は何も話す事ができないまま黙りこんでしまった。
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