第一章 五月上旬~五月中旬 9

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第一章 五月上旬~五月中旬 9

           9   「子守り役ねえ」、その夜、風呂上りの春夫はパジャマ姿でベッドに寝転がって、ぼんやりと天井を眺めて呟いた。西野明美、本名は、何ていうのだろうか。オネエキャラで売っているタレントで誰かいたな、本名が「テツタロウ」とかいうのが。そんな名前だったら、受ける。  春夫は、西野明美の容姿を一度だけ見ていた。  営業回りから帰ってすぐの時間だった。フロアーの一番奥にある無料の自動販売機でコーヒーを飲もうと向かった春夫は歩いて来る白のブラウスにグレーのスーツ姿の女性とすれ違ったのだ。「綺麗な女性だ」瞬間的にそんな印象を受けた。  女性は、すれ違う寸前、笑みを浮かべて目礼して来た。春夫も軽く頭を下げて応えたのだが、ひょっとして、とすれ違ってから思った。それは、綺麗な女性と同時にそれだけでないわずかな違和感を表情から感じたからである。  炭酸の飲み物を自動販売機の前で飲み干し、紙コップを捨てたところに総務課の若宮がやって来た。入社二年目の眼鏡を掛けた小柄な男性社員である。  若宮は、小さな声で言い、軽く頭をさげて来る。 「オウッ、あのさ、綺麗な人とさっきすれ違ったんだけど、噂の」 「ええ、ニューハーフの人ですよ。美人だったでしょう?」 「うん。可能性はどうなの?」  春夫が聞くのに 「いい感触みたいですよ。やる気あるって、課長が言ってました」 という答えが返って来た。    あの日の段階では、まだ、営業配属とは決まっていなかったはずである。営業部所属になるという新たな噂が広がったのは少し経って木川課長が面談をしてからであった。  グレーのスーツは、借り物だろうか。ニューハーフクラブで働いていて、OL生活の経験がないのだから、普通なら持っていないのではないか。わざわざ、購入したのなら、本気度がかなりあると見ていいだろう。綺麗な女性という印象の中に感じられた男性の部分を春夫は探っていた。頬骨が高かったろうか。元来の男性ホルモンの力が、男性特有の表情を作り出すのだろうか。そんなことも考えた。
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