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「わあ!すごい!似合う!!」
「ふふふ。ありがとう」
色々あって、ようやく落ち着いたある日。四人で食事でもしようという話がようやく実現し、オオクマと多岐の行きつけの店で落ち合うことになった。
先に多岐とミハナが着いていて、あとからやってきたオオクマと珠の進が座敷に通されるなり、ミハナは歓声を上げた。珠の進が洋装だったからだ。なんでもないシャツに、なんでもないズボン。顔を隠すためかつばのある帽子を被っていて長い髪を無造作にひっつめにしている。本当に地味な装いのはずなのに、ミハナが顔を赤くするほど素敵に見える。多岐も目をぱちくりさせていた。珠の進はにこりと笑って帽子を外す。
「この間着るものがなくて、試しにクマさんのを着たら楽ちんでね。それにこれだと誰も僕だと思わないんだよ。すごいでしょう」
「すごいです……すごい……」
「うん、綺麗でしょ」
「綺麗ですぅ……」
「ありがとう」
これはいいぞと、外出用に自分の身体に合わせたものを誂えたらしい。長い手足が際立ち、どう動いても動かなくても、理想を完璧に再現した人形のようですらある。顔はそもそも非の打ち所がないのだから。
「ミハナも着てみるといいよ。この、釦がね、いっぱいあって面倒だけど」
「へぇ」
「裾を絡げなくとも走れるよ」
「へぇ」
「珠のもミハナくんも、走らなくていい」
「でも走った方がいい時もあるかもしれません」
「例えば」
「わかりませんけど、今度俺もお店覗いてみます。お珠さんみたいにはなれませんけど、ちょっと興味出た」
「……とにかく、珠のもクマも座れ」
「お、多岐の機嫌が悪いぞ」
「うるさい」
「あ、オオクマさんは多岐の旦那の隣に座ってください」
「なんでだ」
「俺がお珠さんの隣に座るからです」
「ほぉー……」
苦笑いしながらも、オオクマは多岐の隣に腰を下ろし、珠の進はにこにこしながらミハナの隣に座った。久しぶりに顔を合わせて、お互いの近況をさっそく話し始める。
「注文したか?」
「いつものにした」
「鶏鍋か。じゃあ少し時間がかかるな。先に何か」
「もう頼んだ」
「よぉ、何拗ねてんだ?機嫌直せよ」
「拗ねてない」
「たまきの洋装がそんなに気に入らねぇのか」
「そんなことはない」
ただ単に、びっくりしただけだ。そして多分、緊張している。洋装は目に見える変化だ。珠の進は色々と変わった。それを知っているし理解しているものの、こうも鮮やかに見せられては、緊張は増し、態度も頑なになってしまう。珠の進はもちろんそれを察していて、何も言わない。ミハナがどうしたんです?と聞く。多岐は何でもないよと答えて、ミハナのかわいい顔を見てこころを落ち着ける。そんなやり取りを、珠の進はにこにこと眺めていた。
珠の進は今、孔雀屋で働いている。しかし男娼と妓楼という雇用関係ではなく、住まいもオオクマの家に移し、時々後進の指導のために孔雀屋を訪れて何くれとなく教えたり、相談に乗ったりするという形だ。年季が明けて身請けされない者は見世を出たら自宅で教室を開いて生徒を取って生計を立てることが多いが、珠の進はそれに近いことを始めたということになる。
孔雀屋を離れ、男娼を廃業し、オオクマの元へ身を寄せることは、身請け同然といえるのだろうけれど、そういう扱いにはならなかった。色々、あったらしい。そして、珠の進はたまきという新しい名を得た。それも、色々あってのことだという。今日は気の知れた四人しかいない。そのあたりの話を、少しは伝えようと珠の進はミハナと言葉を交わす。多岐はあまり口を挟まず、オオクマも珠の進を眺めているだけだ。
「お珠さん……って呼んでもいいですか?」
「もちろんだよ。僕は別に、珠の進じゃなくなったわけじゃない。珠の進って男娼は引退したけどね。僕は僕。今でも孔雀屋のみんなは僕を珠の進と呼ぶよ。親父さんはたまきって呼ぶかな。ま、ミハナもそうだけど、たいていの人はお珠ちゃんとか珠のお兄さんとか言うから、あんまり変り映えはしないよね」
「そうですか。じゃあ、俺も変わらず」
「うん。ありがたいことだよ。僕が僕じゃなくなるかと思っていたけど、そんなことにはならなかった」
「当たり前だ」
ミハナと話す珠の進を見ていて、多岐もようやく落ち着いてきた。酒を口にし、本人の言葉で聞けば、長い付き合いの弟分は相変わらず美しく、愛おしい。当たり前だ。生業が変わり、名を変えても、それは彼の望んだ道。歩く足は、意志は、珠の進のものなのだから。そんな多岐を見つめ、珠の進は嬉しそうに笑った。
「よし、鍋が来たぞ」
オオクマが早速土鍋の蓋を取ると、多岐とオオクマがいつも食べているよりも、なんだか具材が豪勢だった。一緒に運ばれてきた大皿に乗った後入れの具も彩り豊かだ。店の人が気をきかせてくれたらしい。鍋は大人数で、量が多い方がおいしくなるものだ。どれから食べようかと一頻り盛り上がり、みんながおかしくなって大笑いして、賑やかな会が始まる。
あまり色々聞きだしても申し訳ないかなと思いつつも、ミハナは心配事を口にしたり、不便はないですかと気遣う。珠の進が生活に疎いことは間違いないからだ。珠の進はそのたびにミハナに微笑み、頷く。
「まだそんなに日が経っていないから、一人で出かけたりはしたことがないんだけどね」
「はい」
「掃除洗濯食事の支度は下働きの時に経験があるから、僕は何でもできるんだよ」
「そうなんですね。さすがですね」
「そうなんだよ、僕もさすがだなって思う。やっていた頃は嫌で嫌でしょうがなかったんだけど、身につけておいてよかったよ」
「じゃあ、おうちの中で色々なさって」
「そうだね。まあ、クマさんがあんまり帰ってこないから暇でね。二日と空けずに孔雀屋に入り浸ってるよ」
「そうですか。あ、すずらんさんはお元気ですか?」
「すずらんね、うん、すごく元気。新しいお兄さんにも懐いて可愛がってもらえてるよ」
「よかったです」
「ありがとう」
「今度暇なときは、俺を誘ってください。どこかへ遊びに行きましょう」
「うん!いいね、それ」
二人は箸と口を忙しく動かして、おいしいね、と笑ってはまた話を続ける。多岐とオオクマは時々酒を注いだり、足りないものを注文したりする。
「身辺は、落ち着きました?新聞はまだまだ大騒ぎですが」
「ん-、もう少しかかるよね。珠の進のことを、みんなが思い出にしてくれるまで」
珠の進引退の報はコトを震撼させた。なぜか彼は永遠に美しいまま、孔雀屋の座敷で笑っているのではないかと、みんなが思っていた。すでに馴染みの客しか相手にしないような伝説と化した男娼で、この度現役を退くにあたって正式に知らせが新聞に掲載されたのも意外だった。確かにわざわざ世間に知らせる必要はなかったのだけれど、珠の進は、自分は今までと違う生き方をするけれど、これからもコトにいるのでちゃんと知らせておきたいですと孔雀屋の親父に頼んだのだ。
引退ともなれば、当然身請けされたのだろうと想像される。しかし孔雀屋はそのようには言わなかった。あくまでも、この度孔雀屋から珠の進という男娼は除籍と相成りました、長らくのご愛顧誠にありがたく心より御礼申し上げ奉りますと、それだけだ。ミハナが読むような新聞は、孔雀屋の発表以外のことを書かない。せいぜい珠の進のこれまでの華麗な遍歴や、孔雀屋から提供された写真が載る程度だ。いつもであれば、相手を特定し、あることないこと書き連ねる新聞はあるのだけれど、さすがに孔雀屋を向こうに回す気概のある新聞社はなかったようだ。彼らは今後もコトで商売をしなければならないのだから当然ではある。孔雀屋の抱える顧客はコトを多少動かせるからだ、どうにか売り上げを上積みしたかったのか、数紙は多岐のことを書いていた。コトで珠の進の相手と言えばいまだに多岐なのだ。ミハナはそういう記事を目にしていないので気にしていないし、そのうちすべては珠の進の言葉通り思い出に変わり、珠の進という存在は遠くなり、たまきという人がコトの街で生きていくのだろう。
身請けという形はとらなかったとはいえ、珠の進を引き受けたオオクマは、珠の進の身代金を当然見世に支払わねばならず、その金策に駆け回ったという。本人は格好悪い話だから言いたくないと渋い顔をして詳細はごまかしたが、ミハナは心底驚いた。どのくらい必要なのかまったく想像もつかないが、とんでもない大金だろう。そんな金は、普通は努力でどうにかできるものではないし、用意の目処さえ立たないのが普通だ。にも拘らずオオクマは金を集めてまわったと言う。つまり、どうにかすればどうにかできるということだ。多岐も、オオクマの出自に薄々気づいてはいるものの、さすがにびっくりした。ただ、オオクマが用立てた金が使われることはなかった。意外なことに孔雀屋が金を請求しなかったからだ。だからすでに年季の明けていた珠の進の足抜けは実質金がかからなかったのだけれど、珠の進が自らの蓄えから見世中の人間に祝儀を出して大宴会を数日催したという。オオクマはそのくらいは自分が出すと申し出たらしいが、珠の進は断った。だって僕の門出だからねと笑いながら。長く働き盛大に孔雀屋を潤わせた珠の進にはそれなりの蓄えがあったし、珠の進はオオクマと一度も金のやり取りのない関係でいたかったのだ。情けに縋らず、好きだという感情で結ばれた。珠の進は自分のそんな嬉しい出来事を見世のみんなとお祝い出来て、幾ばくかのお礼ができて、とても有意義な金の使い方だと思った。
そういうことで、珠の進は自分ですっかりきれいに身辺整理をしたうえで、晴れて堂々とオオクマのところへ転がりこんだのだ。
「お珠さんは、本当にかっこいいですね」
「だよね、僕もそう思うよ」
華やかな生き様、鮮やかな引き際だと、つくづく感心する。ミハナにとって仕事は、蝋燭職人は、一生やり続けたい大事で大好きな仕事だ。珠の進とは少し毛色が違う職だけれど、彼と同じように極めたいと思うし、もしもその仕事を辞める時が来ても、やり切ったと胸を張れるくらい精進したい。
食事は進み、酒も進み、楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。店の前でオオクマと珠の進は車に乗り、二人で帰って行った。それを見送り、多岐は傍のミハナに微笑みかける。
「家まで、送るよ」
ここのところ多岐もミハナも仕事が忙しくて、時々どこかで待ち合わせて一緒に夕飯を食べる程度で、まともにゆっくり過ごすことができていない。今日顔を見られてよかった。次はいつ会えるかな。ミハナはそんな多岐の顔を見上げ、寒さに襟巻をぎゅっと握りながら微笑み返した。
「俺、明日仕事休みです。ようやく在庫も確保できて、新作の方もいい感じで、いち段落です」
「……そうなのか」
「はい。多岐の旦那は、まだしばらく忙しそうですか?」
「ああ……でも、明日は夜からなんだ」
「……家まで、送ってください」
「うん」
「それで、俺んちお泊りとか、……どう、です、か」
「うん」
大きく頷く多岐を見て、あー、どきどきしたとミハナが呟く。そんなミハナの手を、多岐が暗い道を歩きながら探って握る。
「俺もドキドキした」
「なんで旦那が」
「そりゃ、君にそんなこと言われたらドキドキするよ」
酒に火照った顔に当たる夜風が気持ちいい。春は近いけれど、まだまだ寒い日が続くようだ。雪はもう降らないだろう。
「お珠さん、元気そうでよかったです。環境が変わると体調も崩しやすいですし」
「そうだな。そういえば、珠のは昔から風邪一つ引かないな」
「そうなんですか」
「ああ。なにか秘策があるのかな」
「病気の方が遠慮するんだと思います」
「かもしれない」
きっとそうだ。そうに違いない。のんびりと歩いてミハナの住む認可待ちの集合住宅に着く。初めてここへ来た時、自分はなんだってあんなに慌てて駆けつけたのだろうと多岐はぼんやり考えた。多分、もう気になる存在だったのだろうこのかわいい子は。オオクマの事を笑うことはできない。自分だって、ミハナが健気に動いてくれなければこういう関係にはきっとなれなかったのだろうから。
「どうぞ」
「お邪魔します」
「お茶淹れますね」
「あ、うん、ありがとう」
ミハナは多岐に座布団をすすめてくれて、お茶を淹れに台所へ行った。多岐は少しソワソワしながら座り、意味もなく部屋を見回す。箪笥しかない部屋なので、特に見るものもなく、結局くるくると首を回しただけに終わった。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
「お鍋美味しかったですねー。寒い時のお鍋は最高」
「うん、そうだな」
「いつもあのお店に行ってるんですか?」
「クマが、あそこが贔屓で」
ミハナの淹れてくれるお茶は美味しいし、彼の声は耳に甘い。しかし多岐は半分上の空だった。なぜなら、あの夜以来だからだ。あの夜は流れというか勢いというか、とにかくうまくいって無事に恋人らしい行為に及べたわけだけれど、それ以降その機会がなかった。今日は、致してもよいのだろうか。独り善がりではいけないからちゃんとミハナの気持ちを確かめないと。しかしどう言えばいいんだろう。
「旦那?」
「……ん?」
「お酒、結構飲んでましたもんね。眠いですか?」
「まさか。あのくらいじゃ酔わないよ。眠くない」
「そうですか」
「ミハナくんは?仕事、頑張ってるんだろう。肩が凝るとか言ってたけど」
「バキバキです。こことか」
「大変だ。揉んであげようか?」
ミハナが自分の肩を掴む仕草で、首を傾げる。肩こりも、度が過ぎればとても辛い。多岐は本心からミハナの心配をし、下心から一瞬脳裏に浮かんだ彼の鎖骨や肩甲骨やその周辺の肌の薄さを必死の努力で打ち消した。ミハナは少し困ったように笑う。
「あの、旦那」
「うん?」
「……結構、ずっと、俺、誘ってたんですけど」
「え?」
「今も、誘ったつもりなんですけど」
「え?」
「えーっと。その……嫌じゃなければ、したいなって」
「うん、したい」
「えー?旦那調子よくないですか?俺は頑張って」
「俺も、仄めかしたりしてた」
「嘘だー。いつですか。どんなふうに?」
「俺のはいいよ、君が誘ってくれてたなんて気が付かなかった。もったいないことをした。ちょっと、もう一度やって見せてくれないか」
「嫌です。気づかない旦那が悪いので」
ミハナとしては本当はもっと早くに二度目をしましょうと言いたかった。二度目の後は三度目。あまり会えなくても、会えたならしたい。でもあまりはっきり言葉にするのは躊躇われた。恥ずかしいとかではなく、多岐の体調を考慮していた。今日は勃ちそうですかと、確認しているようなものだからだ。すでに同居していないから、家に行くのにも理由がいる。さりげない理由は、思いつかなかった。
お前が悪いと言われれば多岐に返す言葉はない。詫びながらミハナを引き寄せて、久しぶりに口づける。
「俺の身体のことを心配してくれた?大丈夫だよ。ミハナくんのおかげでもうすっかり治った。いつ振りかわからないほど久しぶりに、自分でしたくらい元気だ」
「は?なんでそういう時に俺に言ってくれないんですか?」
「そりゃ君が忙しくて、俺もバタバタしていたからだよ」
「でもちょっとくらい」
「今後はそうする」
ミハナの帯に手を掛けつつ、多岐がミハナを押し倒す。ふと、ここは寝室ではないのでは?と思ったけれど、寝室以外でしてはいけないということはないだろう。ミハナも一瞬布団のある部屋へと言おうかと思ったけれど、どうでもよくなった。手荷物はすぐそばに放り出してあって、その中には今日もしも多岐が誘ってくれたらと少し期待して、そういうものも入っているし。
「ミハナくん」
自分の名を呼ぶ多岐の声が、ひどく官能的で、何も考えられなくなっていく。多岐の服を脱がせようとしてうまくいかず、ああやっぱり自分も洋装に慣れなければと見当違いのことが頭をよぎる。多岐は自分の胸の辺りをさまようミハナの手を両方まとめて掴んで畳に押し付け、空いている手で手早く自分の服とミハナの着物をはだけていった。ミハナがびっくりするほどの手際で、あっという間だ。これは多岐の職業柄身についたもので、不審者を取り押さえて拘束するのに着衣が有効だからだ。もちろんミハナに対して拘束などしない。手はちょっと押さえてしまったけれど。
「旦那、すげぇー……」
「え?」
「かっこいい、です。惚れちゃう」
「え。惚れてなかったのか」
「言葉のあやですよう」
惚れなおしまくってるだけです。手を離してもらってすっかり露わになった肌をすり合わせるように多岐にしがみつき、口づける。畳の上で、灯りも煌々と点したまま、こんなお行儀悪くしたことないけど、多岐とならしたい。抱き合えば、多岐の昂ぶりを感じる。嬉しい。
「今日はうまく、できそうだ」
「この間も、すごくよかったです、俺は」
「俺もだよ。ああ、でも、だめだ。今日はもたないかも」
この間射精もできるようになったし、自慰もした。一人の時もミハナの中の感触を思い出しただけで、陰茎に血が集まっておさまらなくなる。難しいことなど何もなく、ただミハナを抱きたくてたまらなかった。自分を好きだと笑ってくれるかわいい恋人を。だからいざ挿入すれば、すぐに気をやってしまうに違いない。そうしたらさすがに呆れられてしまうだろうか。
ミハナは多岐の金の髪を緩く握ったり梳いたりしながら、熱っぽい溜息を零して多岐に囁く。
「一回や二回で、勘弁しませんよ。俺が何回誘ったと思ってるんですか」
「そんなに?」
「覚悟してください。たくさん、しましょ」
「ああ」
多岐の手は、意外なほど柔らかくて滑らかだ。ミハナの手とは全然違う。その手で身体中に触れられて、ミハナは声が押さえられない。前回は、お互い探り探りのような状況で、だからこそ正気を保っていられた。相手のことをちゃんと確かめながらだったからだ。でも今夜は、あの夜の経験と記憶がある。脳味噌がとけるような強烈な快感と、すべてを手に入れられたかのような恍惚感。あれを、味わいたい。涎が出るほど、あれが欲しい。
「あ、あ、あ」
焦りながら、逸りながら、多岐は何とかミハナの痛い思いをさせないようにそこに指を入れて拡げていく。ミハナは、そんなの適当でいいからと多岐のかたいものに手を伸ばして先を急がせようとする。
「だめだよ、こら、ちょっと」
「早く、もう無理、もういいってば」
「いい子だから、待って」
「俺の言うこと聞いてください」
「だから」
「最初ちょっとくらい痛くても、それはそれで、痛いのなんか忘れるくらいどんどん気持ちよくなってやばいんです。痛い方がマシっていうくらい、すごいんです」
「君は」
「そういうの、俺、結構好きかも」
「……君は、俺に悪いことばかり教えるな」
「そうですか?」
挿入時の多少の痛みや苦しさは、ない方がいいに決まってはいるが、結局は全部報われてお釣りがくるとわかっていれば別にかまわない。お互いこれほど興が乗っているのだし、それに、もう本当に十分すぎるくらい拡がっている。結局多岐はミハナの甘い誘惑に乗り、ミハナの手荷物から取り出した避妊具をつけた。初めてのことだが、装着は容易い。すでに封を切って使っている潤滑剤をそこへ塗り足して、腰を揺すって多岐のを強請るミハナの中に入り込む。たちまちこみ上げる射精感は、根性で我慢した。ミハナはと言えば、想定よりも多岐のが大きくて、予想していたよりも痛くて、ゾクゾクした。ああ、すごい。本当にこの人、俺のこと抱きたいと思ってくれてるんだ。こんなにもあれがガチガチになるくらい。
「あまり、無理はしないでくれ、痛いなら」
「痛いから、早く、もっと中に来て」
「ミハナくん」
「知ってますよね、旦那、俺が気持ちよくなるやり方」
「……ああ、こうだったかな」
「ん、あ!ぅぐっ……!」
呼吸が荒い。吐息が熱い。汗が噴き出す。多岐は怒りにも似たような気分で、ミハナの中を何度も擦る。しがみついてくる彼を軽く畳に押さえつけて、変わってゆく表情を、肌の色を、見逃さないように凝視しながら何度も何度も、腰を振る。ああ、かわいい。かわいくてたまらない。こんな痴態を目の当たりにさせられて、正気でなどいられない。
「あ、ん、ん、だんな、あ、や、ぎゅって」
「君はすぐ俺に悪いことをさせるからダメだよ」
「ダメ、なんですか?」
ミハナは隙あらば多岐の耳元でかわいい声であられもないことを言い、ねだり、多岐を悪い男にしようとする。もっと激しくして、もっと奥まで入れて、すごい、気持ちいい、大好き。甘い言葉を真に受けて、ミハナに無理をさせてしまいそうになる。初心者なのだこちらは。力加減に不安があるのだから、あまりそういうことはしないで欲しい。でもミハナは、多岐にもっとがむしゃらに抱いて欲しいと思っているし、多岐が思うほどひ弱ではない。
「悪い旦那も好き」
「俺はいい子にしているミハナくんが好きだよ」
「俺はいつもいい子にしています、我ながら」
「ああ、いつもはいい子だな」
「旦那とこういうことしてる時だけ、ちょっとだけいい子じゃないだけです」
最近の若い子は、と年寄りくさい感想が湧く多岐だけれど、職場の後輩や知り合いを含めても、ミハナの様な性格はあまり見ない。普段は仕事に真面目で友達思いの控えめないい子で、でも、こういうとき笑う目元がとても色っぽくて参ってしまう。かわいいな。押さえていた手を離すと、ミハナの腕に少し赤い痕がついている。悪いことをした。そこに舌を這わせて、ぎゅっと抱きしめて、首元にも吸い付く。腹筋を縮めるように背を軽く丸めて、さらにミハナの奥へ入り込もうと腰を押し付ける。
「う、わ、あ、すご……!」
「痛くない、か」
「ん、へぇ、き、あ、んん、すごい、はぁ……それ、好き……」
「うん」
「あ、ああ、きもち、きもちい、もっと、あ、あ!あ!ああ!」
「俺もだ、俺も、きもちいい、ミハナくん、好きだよ、好きだ」
「あ、だめ、んん、んぁ……!あー……!あ・あ・あ……ああ……!」
溜まりに溜まった性欲が、解放される。大きすぎて、尿道から吐き出される勢いがすごくて、それだけでまた別の絶頂を得るような感覚だった。だらしなく開いた口から声がこぼれるけれど、それが遠く聞こえる。多岐の手に導かれて自分の腹に吐精したミハナは、その快感にまだ身体が強張ったまま震えている。多岐も、ほとんど同時に気をやった。ミハナの尻にぴたりと密着させたぶら下がる袋が、まだ精液を送り出そうと上がっている。お互い苦しいけれど、口づけをやめられない。ああ、気持ちいい。
「だ、んな」
「うん?大丈夫かい?」
「多岐の旦那はぁ……才能がある……」
「才能?なんの」
「俺を抱く、才能」
「ありがたいね」
気だるげに多岐を見上げて微笑むミハナは、劣情を煽る。黒い髪が額に貼りついて、白いはずの頬が赤らんで、それはそれは、かわいい。避妊具を外して始末して、ちゅ、ちゅ、ちゅとそこらじゅうに唇を落としてから、多岐はミハナの上に再び圧し掛かった。
「意外とすぐ、できそうだよ」
「えー……才能の塊じゃないですかぁ……」
最高。そう言ってミハナは笑うと、畳に突いている多岐の腕をぐいぐい動かして、反対に多岐を押し倒した。これは中々、絶景だ。
「俺が上でもいいですか」
「もちろんだよ」
「俺はいい子なので」
「うん」
「まだ完全には復活してない旦那のを、元気にしてあげますね」
ミハナはぺろりと自分の唇を舐めると、身体をずらし、多岐の股間に顔を埋めた。確かにまだ完勃ちではなかったそれが、一気にかたさを増す。ミハナは笑って嬉しそうに舌を這わせる。
「ここも、才能ありますよね」
「知らんよ、君、そんなこと、しなくても」
「全部貰わないと、俺、気が済まない」
「だからって」
「んー、へたっぴかもですけど」
多岐の陰茎の先にちゅうと吸い付いて、両手で握り、ミハナは殊更にっこり笑ってから自分の口に咥える。多岐の口からは思わず低い声が漏れた。これは、すごいな。這いまわる舌の感触や口の中の温度や頬の内側の粘膜の柔らかさ。それらに加えて時々全体を吸い上げられる。一つ一つの動きはたどたどしいけれど、ミハナの口淫は多岐を追い詰めるのに十分だった。
「うっ……!も、待って、くれ。放して、ミハナ、く」
「んーん」
「これは、このまま、出してしまったら、ん、腑抜けに、なりそうだ、よ」
「……それは、困ります」
ミハナは素直に多岐を口から出し、名残惜し気に片手で擦りたてながらもう片方の手で放り出してある避妊具を摘まみあげる。ミハナくんの床上手には、初心者の俺はついていけない。そのようなことを、多岐は忙しなく胸を上下させながら呟く。ああ、気持ちよかった、やばかった。
しっかりと準備の整った多岐のものを、ミハナが多岐に跨ってゆっくりと受け入れていく。
「あー……かたぁいー……ん、んふ、ぅ……ふ……」
多岐と出逢った頃。多岐に片想いをしていた頃。誰かと恋仲になることにも性行為そのものにも興味を失ったままこの金の色彩の美丈夫は生きてきて、それは自分に対してもそうなのだとミハナはちゃんと納得していた。万が一彼が自分を好きになってくれてもこういうことは出来ないのだと。でも、彼と今こうしている。お互いに求めあって、それに応えることができている。なんて幸運なんだろう。
「ミハナくん?」
「んー……?」
「休憩しよう」
「やです」
「なんで泣く?」
「嬉しくて」
「ちょっと、おいで」
気持ちいいのと嬉しいのとで、少し感極まってしまい、ミハナは多岐の上に乗っかったままベソをかいてしまった。状況が状況だけに、涙が出るほど辛いのかとまでは心配しない多岐だけれど、かわいい恋人の涙には弱い。ミハナの腕を引っ張って、自分の胸に抱え込んでトントンと背中を擦る。
「大丈夫かい」
「ん……ふふ……旦那、やさしー……」
「泣くほど嬉しいことがあったのか」
「多岐の旦那と、こんなことしてるなんてって、急に、実感して」
「そうか」
「旦那が、俺のこと好きなんだなって」
「そうだよ」
「俺の方が好きになったの先なんで、俺の方が先輩なんですけど」
「うん?ああ、そうなのか」
「そうなんです」
多岐の柔らかい指先がミハナの目尻の涙を拭い、柔らかい唇があちこちに触れる。赤い頬をして嬉しそうに笑うミハナが可愛くて、多岐も頬が緩む。
「後輩なりに頑張るよ」
「ふふ」
「後輩としては、生殺しなんだが」
「ふふふ」
「下剋上は許されるのかな」
「不可です」
すっかり元気になったミハナは多岐の腕を抜け出して身体を起こし、自分の中に収めた多岐の陰茎をきゅううっと締め上げる。多岐はうめき声をあげて腹に力を入れた。腹筋の浮き出た多岐のその逞しい腹を掌で撫で、ミハナがゆるゆると腰を動かし始める。
「ね、ん、ねぇ、自分でした時、俺のこ、と、考え、た?」
「他に何を考えるんだ」
「気持ちよかった、です?」
「本物に敵うはずがない。それでもしないと収まらなかった。君のせいだよ」
ぺたりと多岐の上に座り込んでいるミハナを促して体勢を少し変えてもらう。膝を立てて、しっかり脚を開かせ、何もかもがよく見える体勢へ。身体を少し反らすように、ミハナも多岐の太ももに手をついて協力した。
「こういうの、興奮、します?」
「する。すごくする」
「やらしいなぁ、旦那……」
「うん」
多岐の目が、結構真剣に自分の股間や多岐のを受け入れている様子を凝視しているので、流石にミハナも恥ずかしくなってくるし、すっごい見るじゃん、きれいな金色の目でさぁ……と煽られる。ドキドキしながらさらに脚を開いて、腕と足首のあたりに力を入れて、根元まで飲み込んだ多岐のものをゆっくりギリギリまで抜いていき、ストンと腰を落として一気に受け入れる。大きく反らした胸に多岐の手がかかり、乳首を少し強く捻られて、また腰が浮く。動きは徐々に大きく速くなっていく。
「う、あ゛、ああ゛!んああア゛……!」
気持ちいい。気持ちいい。浅いところも奥の方も気持ちいい。お腹の中いっぱいで、溶けそう。あまりの快感に慌てて多岐の手を払いのけ、膝を閉じて身体を丸めて、ミハナが震える。まだ、いきたくない。もっと気持ちいいの、知ってるから。足の指までギュっと力を込めて気をやりそうなのを耐えているミハナがかわいくて、そのかたく丸められたつま先を握り込んでするすると指先で撫で、ミハナがまた自分で身体を開いていくのを、多岐はじっくりと見上げている。なるべく長く見ていたいから、ものすごく気合を入れながら。
やがてまた少しずつ、ミハナが多岐と手をつなぎ、恐る恐る、でも貪欲に快楽を求めて動き始める。力が抜けそうになりながらもどうにか身体を持ち上げて、ズルズルと抜けていく感覚にぶるりと震えては、耐えきれなくなったように腰が落ちて、悲鳴を上げる。健気に膝を開いていたミハナでも、だんだんとそれが閉じていく。そのたびに多岐はミハナの内ももを何度も撫でて、優しく、断固として閉じさせず、多岐を受け入れて限界まで拡がり赤くなったところや、パンパンに膨れた揺れる袋までを眺めていた。ああ、かわいいな。もっと気持ちよくしてあげたい。多岐はそんな気持ちで、何度目かに落ちてきたミハナの尻を迎えるように自分の腰を浮かせた。思いがけず強く奥まで衝撃が来て、ミハナの陰茎から少し透明な液体が飛んだ。
「……っあ゜!」
今までよりもずっと低い声で、ミハナが呻くのが新鮮で、これは多分気持ちいのだろうと判断した多岐はミハナの腰骨を掴んで何度も何度も突き上げた。ミハナはもう、されるがままだ。
「ん゜、あ、うあ!あ、だめ、待って、ま」
「だめ?でも今気持ちいいな?」
「きも、ち、あ、ああ!」
「俺もだ。すごく気持ちいい。ミハナくんがかわいくて、やめてあげられない」
「待って、待って、まっ……!!」
ミハナの身体が大きく跳ねて、多岐に喉元を曝すように勢いよく天井を仰ぐ。それと同時に、多岐を一緒に絶頂に引きずり込もうと内部がうねる。既の所で耐えた多岐の顔に、笑みが浮かぶ。それを見る余裕は、ミハナにはないようだが。ああ、なんて気持ちがよくて、気分がいいんだろう。ミハナはかわいいし、彼と抱き合うのはこころも身体も満たされて、おかしな話だが彼も生きていて、自分も生きているのだと実感する。おかしくて笑ってしまうほどだ。
甘い溜息を何度も吐きながら、硬直していたミハナが少しずつ弛緩して身じろぎをして、多岐の腹や胸の辺りを撫でる。そしてそのままゆっくりと多岐の腕の中に倒れ込んで、ちゅ、と口づける。密着したミハナの身体は、小さく痙攣を繰り返している。
「は、あ……今の、やばかった、です」
「うん」
「もう、おれ、けっこー、げんかいかも」
「すごく頑張ってくれてたからね。すごくよかった、俺も」
「へへ……んー……」
「ミハナくんは本当に床上手だ」
「ええー……?そんなの、おもわない、ですけど」
「そう?自覚がないのか、俺にだけなのかな」
荒い呼吸のまま甘い睦言を聞かされて、多岐は嬉しかった。ミハナをぎゅっと抱きしめて、自分の膝を立て、動きやすい体勢になってから、半分ほど抜けていたまだまだ元気な自分の陰茎をミハナの中に押し込む。途端にミハナが身体を起こそうとしたけれど、多岐がそれを許さず、抱きしめたまま唇を塞ぎ、ミハナの悲鳴を食べてしまう。そのまま多岐は猛烈にミハナを抱いた。途中で上下を入れ替えて体位を変え、自分の精力が尽きるまで、過ぎた快楽に顔をゆがめてのたうつミハナを抱き続けた。
「旦那は、才能がないです」
「やあ……」
「ちゃんとお勉強して欲しいです。俺の限界を」
「……」
「何笑ってんの!?」
「いや」
濃密で激しい情交のあと、汗を流して布団を敷いて就寝となるころには、ほとんど失神寸前だったミハナも回復し、多少の文句が多岐に投げつけられる。無茶をしたらしい、どうやら。それは反省するけれど、多岐はミハナの言葉で一つ気が付いたのだ。
「終始、君のことばっかり考えていたなと思って、今夜は」
「は?今夜は?」
「この間は、初めての時は、なんだかずっと頭の半分くらいは孔雀屋の子たちの意見に占めてられていて」
「何それ」
「褥でやったら嫌がられることとか、あの子たちの話をよく耳にしていたから、君に嫌われたくなくてそればかり考えながらしていた気がする」
「……」
「でも今日は一つも思い出さなかったな。君のことで、本当に頭がいっぱいで」
「……」
「だからあんなに気持ちよかったんだな。あ、いや、自分本位で君に無理をさせたことはもちろん」
「旦那はやっぱり才能あるのかも」
「うん?」
「俺をよろこばせる才能です」
「……そうか。君さえよろこばせられたなら、十分な果報者だ」
今後はもう少し気を付けるよ。君も俺をうまく転がしてくれ。
多岐は隣でウトウトし始めたミハナの頬を撫でてそう囁き、布団を掛けなおし、枕もとの蝋燭を吹き消した。
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