メリーメリーゴーランドリー

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メリーメリーゴーランドリー

 夏の終わりを告げる雨は、降ったり止んだりを繰り返しながら、もう一週間ほど続いている。  じめじめとまとわりつく湿気のせいで、髪の毛はうねるしハネるし広がりまくる。蒸し暑いんだか肌寒いんだかわからない空気は厄介だ。ちょっと動いただけで汗をかくし、風が吹くと途端に寒い。洗濯物はいつまで経っても乾かなくて、気分も滅入る。朝カーテンを開ける度に、ため息が出そうになる日々だ。  しかし今日の俺の心は、空模様とは反対に晴れ渡っている。雲一つないとびきりの快晴といった気分だ。なぜなら明日は、ライブがあるからだ。  そう、ライブだ。俺のイチ押しのビジュアル系バンド『ユーとピア』のライブがあるのだ。三か月待った、待ちに待った、念願の、久しぶりのワンマンライブだ。  明日は一体どんなセトリだろうか。二週間前にミニアルバムが発売されたばかりだから、きっと新曲は多いに違いない。アパートに帰ったらもう一回復習しよう。とはいえ一曲目は、おなじみの『とってもニャンダフル』だろう。定番曲は外さない彼らだ。久しぶりに『He is a cat』も聴きたい。『GORILOVE』もいい。がんがん頭を振りたい。飛び跳ねたい。モッシュしたい。  ああ、楽しみが過ぎる。  自然と口元がにやけてしまう。普段ならば表情筋の扱いにはもう少し気をつけているところだが、今は人目を気にする必要はない。  初めて訪れたコインランドリーには、一時間前から俺一人しかいない。壁一面を埋める洗濯機と乾燥機の中で、動いているのも一台だけだ。真新しい外観同様に、どこもかしこもピカピカで、服を畳むためのテーブルも大きくて、おまけに紙コップの自販機まで備え付けてある。コーヒー一杯がなんと五十円で飲めてしまう。素晴らしい。空調も良い感じに効いていて快適だ。  ほどよく冷めたコーヒーを飲み、先ほど洗濯物を放り込んだ大型乾燥機のデジタル表示をチェックする。残り時間は、あと五分。  今、あの中で俺のタオルが回っている。明日のライブに持って行く予定の『ユーとピア』のタオルだ。黒地に白い字ででかでかと『YOU & PURE』と書かれている。バンドモチーフの猫のイラストも描かれていて、いい歳をした成人男性が持つにはとっても痛いキュートなゴシックデザインだ。  ついいつものくせで、台所の手拭きにしてしまったときはどうしたものかと思ったが、近場にこんなに良いコインランドリーがあって助かった。  本来洗濯物を溜め込むような性格でもないし、ワイシャツの替えがないわけでもない。そもそも明日は土曜日で会社は休みだし、最悪でも週明けまでに乾いてくれれば問題ない。  しかし、タオルは別だ。きちんと明日までに乾いてくれないと困る。生乾きの臭いタオルでライブに参戦なんてできない。ただでさえ男は目立つ。  明日のライブのことを考えるだけで、なんだかうきうきしてくる。そわそわしてくる。もう天気なんてどうだっていい。毎日雨でもいい。そんな気さえしてくる。  あ、うそ。開場待ちの間は、晴れなくてもいいからせめて曇りであってほしい。雨はキツイ。濡れたままライブとかしんどい。汗と香水の入り混じった蒸れた空気とか、むせかえっちゃうこと間違いない。無理無理。俺もそんな若くないし、濡れたおっさんとか周りもキツイでしょ正直。  まだしばらくの間は、おにいさんと呼ばれたいお年頃ではある。だけど、『ユーとピア』のファン層の中だと年齢は確実に上の方で、おっさんと呼ばれてしまっても仕方がない。  社会人になってから約五年半。学生時代から続いている一人暮らしは慣れたもので、簡単な飯なら作れるし、掃除も結構こまめにしている。今すぐに誰かが遊びに来たって問題ない。まぁ、遊びに来てくれるような友達もいなければ、彼女もいないんだけど。つい先月、会社の都合でこの町に引っ越してきたばかりだから、俺にはシンプルに知り合いが少ない。  ぼんやりと眺める窓の外は相変わらずの天気で、大きな雨粒が次から次へと落ちてきている。  道路の向かい側を歩いて行く高校生の姿が、目に留まった。一つのビニール傘の下、男子二人は濡れないように肩を寄せ合っている。きっと仲がいいんだろう。楽しそうだ。雨のせいでどんよりと陰っているのに、彼らの姿がまぶしく感じる。  うらやましい。俺も友達がほしい。仕事はまぁまぁ楽しいから、今のところ彼女は別にいらないような気がしているけど、友達がほしい。色々話し合える感じの、気の置けない友達がほしい。あわよくば『ユーとピア』について熱く語り合える友達がほしい。一緒にライブに行って盛り上がって帰り路でライブのココがよかったとか色々感想を言い合えるような友達がほしい。割と切実にほしい。  『ユーとピア』のライブに通うようになって早四年。ファンは若い女子ばかりで、俺みたいなおっさんを見たことがない。そもそも男子の姿を見ることもまれで、みんな彼女に無理矢理連れて来られたんだろうな、というような印象のやつらばかりだ。友人ができる可能性がないことはわかっている。  ピーッと、大きな機械音が鳴った。妄想に耽っているうちに乾燥が終了したらしい。それと同時に、自動ドアが開く。  でっかいトートバッグを肩にかけた男子は、小柄で細身で、たぶん大学生くらいだと思う。かなり明るめの茶髪は、バンドマンのようなアシンメトリーで、遠目から見ても前髪がさらりとしている。正直、うらやましい。俺も一度はあんなやんちゃな髪型にしてみたかった。しかし社会人になった今、おいそれと下手なことはできない。上司の不興を買い、職を失ってしまったら、ライブにも行けなくなってしまう。それはダメだ。  それにしてもこの湿気の中、美しいストレートヘアを保っていられるなんて感嘆に値する。いいなぁ、かっこいいなぁ。  あんまりじっと見ていると気持ち悪がられてしまいそうだと気づき、さりげなく視線を外すと、紙コップに残っていたコーヒーを飲み干して専用のゴミ箱に捨てた。  乾燥機から取り出したばかりの洗濯物は、ほっかほかのふっかふかで、柔軟剤のいい香りがする。完璧な仕上がりだ。そのまま備品の大きな洗濯籠を使って、真ん中のテーブルまで運んだ。  変な皺がつかないようにさっさと畳んで帰ろうと、一番上のTシャツを手に取ったタイミングだった。 「……あのー、コレ落としましたよ」  ぼそっとした低い声が、後ろからかかる。振り向くと、そこにはさっきの前髪さらさら男子が立っていた。  遠目でも見目麗しかった彼は、倍率を上げても尚麗しいままだった。まるでバンメンのような全体的に小作りな顔立ちで、なんだか爽やかな香りがする気がする。このイケメンにはミント成分が多く配合されているに違いない。まるでお口スッキリクールガムのようだ。目元が涼やか過ぎてキリッとしているせいか、笑った顔が想像できない。 「すみません、ありがとうござ……っ!?」  礼を言いながら俺は固まった。彼が差し出してくれた洗濯物は、あろうことかライブタオルだった。  なんてことだ。いや待て落ち着け俺。初対面の人間だ。ちょっとやんちゃな柄であっても、つっこまれたりはしないだろう。さりげなく、何でもない風を装って、受け取ることにしよう。大人の対応をみせるんだ、俺。大丈夫、気にするな。この男子とはもう会うこともない。それに明日ライブで頭を振れば、大抵の嫌な記憶は忘れてしまえるはずだ。  内心めちゃくちゃ焦りつつも、俺は引きつった頬の筋肉をどうにか動かし、軽い笑顔を浮かべながらタオルを受け取った。 「どうも」  けれど、一向に彼の視線は俺の手元のタオルから離れようとしない。信じられない、みたいな顔で、タオルを凝視している。  え、やっぱり変? 重々承知はしているつもりだったけど、そんなに変? 無理? 無理みが激しい?  しかし、彼の驚愕の理由は、俺の予想していたものとは全く違った。 「ちょ、待ってすみませんそれもしかして『ユーとピア』のタオルじゃないですか……?」 「え」  一瞬、わりと本気で固まってしまった。  なんで知ってるの? このタオルライブ会場限定のやつだよ。え、『ユーとピア』って、そんな有名なバンドだったっけ? そもそも『YOU & PURE』で「ユーとピア」って、知らないと読めなくない?   あれ? もしかして。もしかして? 「うっそ……」 「まじで?」 「えっ」 「えっ」  俺達はお互い顔を見合わせた。  間近で見れば彼の着ている黒いTシャツは、三年前のツアーのものだ。信じられない。信じられないが、間違いない。  俺は恐る恐る、彼に問いかけることにした。仲間を見分けるための、神聖な呪文だ。彼が本当に、本当の仲間なら、きっと応えてくれるはずだ。『ユーとピア』のファンなら誰もが知っている、コールアンドレスポンス。  ごくりと喉が鳴る。 「…………ユー、アンド?」  彼はまだどこか茫然としながら、しかし俺の言葉に即座に反応した。 「ミー、アンド……」  間違いない。この男子は俺がずっと探し求めていた存在に、違いない。けれど最後に、ダメ押しのもうひと押し。 「「ピュア」」  俺達は声を揃えながら、両手を頭上に広げた。  完璧だった。 「うおおおお! ……あっ!」  興奮のあまり俺は雄々しいガッツポーズをし、勢いそのままに受け取ったばかりのタオルを頭上高く投げてしまった。  宙を舞うタオルに素早く反応した彼は、華麗にキャッチすると、今度は口元に笑みを浮かべながらそれを差し出してくれた。  イケメンは、笑っても爽やかなイケメンだった。
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