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そして、呆気なく最後の日がやってきた。
昨晩は堀田君の勤め先で、ささやかながらも送別会を催してくれた。
泣いて別れを惜しむマスターやスタッフ、常連客に囲まれても、堀田君は相も変わらずニコニコ微笑むだけだった。
ヨウコは、普段通りに遅い朝食を取る堀田君を窺う。
全く何の準備もしていないように見えるのだが、どうやって帰るつもりなのか。
「迎えに来る予定なんだ。暗くなったら」
「暗くなったら?」
「うん。日が暮れないと目立つから」
ヨウコは首を傾げた。
そして、ふと思い付く。
もしかして堀田君はものすごいVIPなのでは無いだろうか。
そう、SP付きのリムジンで迎えにくるとか。
浮世離れした捉えどころのない性格、この手狭で質素なアパートで安物の服を着て胡座をかいていても、どこか漂う上品な雰囲気…
そう、どこかの小国の王子様か新進気鋭のアーティストだったり……
…なんてね。
そもそもそんな身分の人間が期限付きでこんな小さな町で暮らす理由がない。
チンケな女を恋人にする必要もない。
ヨウコは余計なお世話と思いながらも、堀田君の荷物を纏め始めた。
「何してるの?」
「うん、整頓だよ」
「それ、水族館で買ったTシャツだ。びっくりしたよ、まさか魚があんな生き物だったなんて」
そう、水族館に行った時、堀田君はあんぐり口を開けて棒立ちになってたっけ。
「堀田君って本当に不思議だよね。あの時までお魚を見たことがなかったなんて」
「うん。でも魚は美味しいよね。直ぐに慣れたよ。あ、そのパンツも好き。涼しいよね」
「夏物なのに、年中履いてるよね」
そうやって話しながらひとつひとつボストンバッグに仕舞っていく。
粗方終わったところで休憩をとることにした。
お揃いのカップに珈琲を入れて、送別会でお土産に貰ったクッキーを分け合う。
「珈琲もお菓子も好き」
「クッキー持っていきなよ、日持ちするよ」
「良いよ、置いといて」
まるで、また食べに来るみたいな言い方をする。
「堀田君の故郷って遠いんでしょ」
「うん。すごくね」
クッキーをモグモグ咀嚼しながらあっさりと答える堀田君を見て、ヨウコは吹き出した。
「何がおかしいの?」
「いや、最後まで堀田君は堀田君だなあって」
堀田君は首をかしげた。
「よくわからない」
「良いんだよ、そんな堀田君が好きだったよ」
「僕もヨーコが好き」
堀田君はクッキーの屑を口許に付けたまま、ヨウコに口付けた。
「口を拭きなよ。本当に子供みたい」
「僕は大人だもん。生殖行為も出来る」
「知ってるよ」
「スル?ヨーコ、シテも良い?」
直前でやっちゃうの?
離れ難くなっちゃわない?
「昨日もその前もシテない」
「お迎え大丈夫なの?もう日が暮れてきちゃったよ」
堀田君は窓の外を見て暫し考え込み、振り向いた。
「ね、やっぱりシようよ、大丈夫だから」
堀田君はヨウコをラグの上に押し倒した。
気だるい身体を起こして、ヨウコははだけた服を掻き寄せた。
シャワーを浴びる時間はあるだろうか。
いくら堀田君の情緒が欠落しているからといって、やはり、最後にお別れぐらいは言いたい。
お迎えに来る人にも会ってみたいし挨拶もしたい。
「ねえ、堀田君、お迎えまだ大丈夫?」
「うーん、ちょっと待って」
堀田君は素っ裸のまま立ち上がった。
「あ、もうすぐ来るかも」
「うそ!!」
ヨウコは慌てて身形を整えた。
情事の後だと悟られたら気まず過ぎる。
それにしても、どうやって迎えの気配を察知しているのか?
やっぱり最後まで謎だ、堀田君。
「堀田君も服を着なよ」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないよ!」
「あ、来たみたい」
「えっ?!本当に?チャイム鳴ったっけ?」
ヨウコは焦って玄関に向かった。
すると、背後から堀田君が呼んだ。
「ヨーコ、そっちじゃないよ」
振り返ると、堀田君が裸のままカーテンを引く姿が見えた。
そして、開け放たれたカーテンの向こうに見えたのは……
「……ええっ?!な、な、なにっ!」
ヨウコは廊下で硬直したまま叫んだ。
「お迎えだよ。あれ、僕の船」
「はあああああああああーーー?!」
真っ暗な空を背景に浮かぶ銀色の円盤。
それは、噂にきく、所謂……
「未確認飛行物体(UFO)?!」
堀田君は窓を開けた。
それを合図に円盤がグインと近付き、ウィィィンと音を立ててのっぺりとした壁に四角い穴が開く。
そこからベランダに向けて銀色の通路が伸びてきた。
伸びきったところで、堀田君がアンカーのようなものを引き出してベランダの床に固定する。
程なく、何者かが穴からひょいと顔を出した。
ヨウコは思わずヒッと息を呑んだ。
現れたのは銀色の全身タイツを纏った男性だった。
年の頃は五十歳ほど?
…そう、人間でいうなら。
男性と堀田君は聞いたことのない言語で会話している。
ヨウコは唖然としてその様子を見ていた。
いや、あれは間違いなく。
そう、そうだよね。
変わってるとは思ってたけど、まさか、まさか、
堀田くんが……
堀田君は振り向いて手招きをする。
ヨウコは恐る恐る近付いた。
向こうの作法はわからないが、取りあえず男性に頭を下げてみる。
男性は小刻みに頭をふった。
その表情を見るに、悪い印象は持たれていないようだ。
…多分。
堀田君はヨウコの手を握り締め、ニコニコ笑っている。
あまりにもびっくりし過ぎて、準備していた気持ちが全てどっかにぶっ飛んでしまったが、ヨウコは何とか気を取り直し、別れの挨拶を言うべく口を開いた。
しかし、その先に堀田君に繋いだ手をグイッと引っ張られる。
そして、通路に足をかけた堀田君は、当たり前のように言ったのだ。
「じゃ、行こっか」
「僕らの星はね、雌の出生率が極端に低いんだ。生殖行為を行えないまま一生を終える雄がたくさんいてね、人口は減る一方だったんだ。そこで政府が、他の星でお嫁さんを探すっていう計画を立てたんだ。僕はその試験体第一号に選ばれたの」
「彼の順応性がずば抜けて高いところが評価されまして」
ヨウコは呆けて二人の話を聞いていた。
「ヨーコに出会えて良かった。地球の生殖行為は最高だよ。その中でもヨーコは比べようもなく素晴らしい!間違いなく僕の運命の人だ!」
打って変わって饒舌になった堀田君が、興奮して力説する。
「心配しないで、寂しく無いように部屋のものは全部、船の中に転送したからね。後は故郷に着くまで二人でゆっくり過ごそうね」
素っ裸の堀田君はヨウコを引き寄せ、うっとりと見つめる。
「いっぱい生殖行為をして、データを取らなきゃいけないからね。協力してくれるよね?」
ヨウコはごくりと唾を呑み込んだ。
窓の外には無数の煌めく星。
ここが容易に逃げ出せぬ場所だということは理解していた。
というか、外に出たら死……
ヨウコは気が遠くなる。
「故郷は地球に良く似て美しいところだよ。きっとヨーコも気に入る。大丈夫、僕がずーーーっと側にいて暖めてあげるからね、寂しくないよ」
堀田君はヨウコの頬に自らの頬を擦り付けた。
「ヤル?ヨーコ、シテモイイ?」
ヤル気満々の異星人の恋人はヨウコの顔を覗き込む。
ヨウコは眉を寄せて睨んだが、遂に吹き出した。
あの夜、この異星人を見つけて魅入られてしまったのが運の尽き。
まさか宇宙に拉致られるとは思ってもみなかったが……
まあ、良いや。
今度は私が堀田君に色々教えてもらおうではないか。
「イイヨ、ヤル?」
ヨウコは堀田君におでこを合わせて微笑んだ。
おしまい
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