正体不明彼氏

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正直に言おう、一目惚れだった。 行きつけのショットバーのカウンターの中で、所在無げに立っている彼を見つけた瞬間、心臓が誤作動を起こしたのかと思うほど高鳴った。 体中に走る血管がそれに反応し、血液が一気に沸騰した。 迷わず声を掛け、その日のうちに家に連れ帰った。 断っておくが、ナンパをしたのはその時が初めてだ。 自慢じゃないが、友人に呆れられるほど真面目で古くさい人間である。 手順を踏んで相手の人となりを慎重に観察してからでないと交際に踏み切れず、数々のチャンスを逃してきたアラサーだ。   「いまどき、陽子って名前もあり得ないよね」 「そうなの?僕は好きだよ、ヨーコって名前。呼びやすいし」   彼はヨウコを引き寄せて、おでこに口付けた。 実は『彼』の本名をヨウコは知らない。 出会った夜、ベッドの上で彼はヨウコに名前をつけてくれと言った。 好きなように呼んでくれと。 ブルーグレイに白のメッシュが入った髪と、整った顔のわりにとぼけた感じが、何となくホワイトタイガーの子供を連想させたので、『堀田君』と呼ぶことにした。 彼は意外にもその名前を気に入ったようで、翌日から公にも堀田君と名乗り始めた。 堀田君は少し、いや、かなりずれていた。 まず、堀田君は極度の世間知らずだった。 深窓のお嬢様ならぬお坊ちゃまか、はたまたいったいどこの未開の国からやってきた田舎者かと思うほどに一般の常識を知らなかった。 年齢を聞けば知らないという。 干支を訊ねれば、なにそれ?とキョトンとする。 西暦を訊けば、二千円位だと言う。 身長を問えば、248チャンネルだと大真面目な顔で答えた。   そんな天然のカテゴリーにすら収まらないぶっ飛んだ堀田君だったが、その予想外の言動が堪らなく面白くて、ヨウコを笑わせ、楽しませてくれた。 その一方で、意外と器用な部分もあり、一度理解したことは忘れないし、応用できることがわかった。 いつしか家事も上手にこなすようになり、職場でも雑用係からバーテンダー見習いに格上げされた。 日中勤務のヨウコと夜のお仕事の堀田君はすれ違い生活で、顔を合わせるのは朝のみだ。 堀田君は夜中に帰ると寝ているヨウコの隣にそっと滑り込む。 そして、決まった時間に起こしてくれる。 そこから、ベッドの中で話したり、身体を重ねたり… そして、一緒に作った朝ご飯を食べて、コーヒーを飲む。 幸せな毎日だった。   けれど、この生活には期限があった。 数字に弱い堀田君だったが、それだけは、最初にはっきりとヨウコに告げたのだ。 この町にいれるのは25カ月間だけなのだと。 その日が来たら自分は元いた場所に帰らなくてはならない、と。 ヨウコはすんなりと受け入れた。 初めて会った男を家に呼んで、その日を境に一緒に住むなどという大胆な行動は、自分には二度と出来そうにない。 だったら、二十代最後の思い出として思い切り楽しんでやろう、と決めたのだ。
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