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「いいよ」
深沢が落ち着いた声でそう答えると、柏木は目を見開いた。
何故ならば今の今まで戸惑った顔をずっと見せていた相手が、目にぐっと力を込めたからである。
その表情を見た途端、柏木の胸がいきなり高鳴った。
それと同時に、自分とは違う匂いがふわりと鼻の先をくすぐった。シャンプーの香りに煙が少し混ざったような匂いだった。
フカっちゃんの匂い。……
深沢は一切の躊躇いを見せずに柏木の身体に自分の身体を正面からピタリとくっつけていた。
柏木は何故だかとても切なくなり、ぎゅっと目を瞑った。
元彼が一晩中帰ってこなかった日の夜を思い出した。
暗闇の中、体育座りをしながらずっと壁にもたれ掛かっていた。
部屋を真っ暗にしているというのに、カーテンの隙間からうっすらと月明かりが差し込む。
背中がとてもひんやりとした。
不安で不安で胸が今にもはち切れそうだった。
そこでいくら涙を流しても誰も拭ってはくれない。
思い切り自分で自分を抱きしめてみた。
しかしその手は冷たくなった背中にまでは届かない。それでも何もしないよりは、いくらかマシだった。
「温けぇー」
深沢の声で我に返った。
今、自分は誰かの腕にしっかりと包まれている。背中まですごく温かい。―――――――――
「ありがと。……フカっちゃん」
深沢はふふっと笑うと冗談めいて聞いた。
「お前細えなあ。ちゃんと食ってんのか? 」
柏木は涙の粒を一つ溢してそれに答える。
「フカっちゃんだって……でも意外と胸板が厚いんだね」
そうして深沢の背中に両手を回した。
「本当だ。すごく……温かい」
暫くそのまま時が流れた。
「ありがとうフカっちゃん。もう充分。嬉しかったよ、フカっちゃんの気持ち」
そう言って柏木は深沢から離れようとして、自分の両腕をそこからほどいた。
しかしその瞬間、さらにぎゅっと強く抱きしめられた。
「……フカっ、ちゃん? 」
「人肌恋しい。もう暫くこうさせて」
「え」
柏木は意表を突かれてしまったが、直ぐに柔らかな笑顔になった。
「うん。いいよ。僕も……人肌恋しい」
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