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EP.2 そんな関係も悪くはない
「随分と来なかったな。どうした。風邪でもひいたか? 」
「いや。まあ、でもそんな感じかな」
そう返しながら深沢の隣の席に座った。
やっぱりフカっちゃんは他の人とは違う。
柏木はそう思った。
それは良い意味でのことだった。
深沢と過ごしていると、どういうわけか余計な気をつかわなくても済む。
彼は自分よりもずっと歳上であるせいなのか、全てを包み込んでくれるような感じがした。
彼に会ってからまだまだ日が浅いというのに。
平気で減らず口は叩けるし、図々しいかなと思うほどの我儘も躊躇いなく言えてしまう。
こんなにも短い間で、他人にここまで心を開いたことは無かった。
彼の隣にいると、あからさまに空気が変わる。
まるで遠赤外線のストーブに、心の底からゆっくり、じんわりと温められていくようであった。
これはもう恋を通り越して、依存なのかもしれない。
深沢中毒。
そんな言葉を心の中で閃くと、一人でふっと笑った。
「どうした? 」
「いや、何でもない」
◇◇◇
また閉店ギリギリまで他愛もない話で盛り上がり、そのまま店を出た。
「今日はどうする」
「うん……大人しく家に帰ろうかな」
本当はこの前のようにまだまだ一緒にいたいのに、わざとそんなことを言った。
「そっか。じゃ、タクシー乗るか」
柏木の家は深沢の家よりもここから近かった。そして途中まで同じ方向なので、深沢はあっさりとそう言いタクシーを拾いに行った。
「ほら行くぞ」
柏木は物寂しさをひた隠しにしながら彼に従った。
小走りをして深沢のすぐ後ろを着いて歩く。
「ねえ。フカっちゃん」
「ん? 」
連絡先、交換……しないの?
そう言いたいのに言えなかった。
「次はいつ店に来る? 」
それが精一杯だった。
「うーん……そうだなあ。今日お前と会えたし。来週末かな? 」
「了解」
わざと余裕のあるふりをしてそう返事をした。
二人でタクシーに乗り込む。
どちらも無言でそれぞれ顔の近くにある窓から外の景色を眺めていた。
車内が何かの拍子で揺れる度に、真ん中の座席シートの近くに置いてあるお互いの片膝がそっとぶつかり合う。
体温がとても心地好く、それは二人にあの夜の出来事を思い出させていた。
「お疲れ様でしたー」
運転手の声で我に返る。
柏木はタクシーから降りる前に深沢の方を振り返り、声をかけた。
「あの。フカっちゃん」
「あ、いいよ。俺が払っとくから」
「でも……うん……ありがと。じゃあ、またね」
「おう。じゃあな、また来週」
「うん。元気でね」
そのままタクシーが見えなくなるまで見送った。
玄関のドアの先で一つ重い溜め息をつくと、鍵を開け中に入った。
しいんとした室内に次々と灯りをつけていく。
今日部屋を綺麗にしておいた。
空のグラスも一応冷蔵庫の中に二つ置き、十分に冷やしていた。
『今日はうちで二次会しない? 』
先程まで何度もチャンスがあったのにも関わらず、それが言えなかった。
身体だけでなく心も一線を越えたい自分と、そんなの幻想だと俯瞰で見ている自分。
それらがずっとせめぎあっている。
柏木は部屋の壁に背中からもたれかかる。
そのままずるずると床に座り込み、また大きく溜め息をついた。
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