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柏木にとって週末までの時間は、とても長く感じられた。
金曜日、仕事が終わると早急に身仕度を済ませて、あのバーへと足早に向かう。
いつもよりもだいぶ大きな音で入り口のベルを揺らした。
「いらっしゃいませ。今日はお早いですね」
「こんばんは」
柏木は軽く息を切らしながらマスターに会釈をした。
「深沢さんは、まだ見えてませんね」
店長は柏木の顔を見て、聞かれてもいないのに思わずそう伝えた。そしてそれを笑顔で誤魔化した。
柏木は、駄々漏れになっている自分の必死さに気が付いて顔が熱くなった。
◇◇◇
いつものようにマルガリータを頼んでそれをちびりちびりと飲んでいると、誰かが入ってきた。
柏木は直ぐ様振り向き、笑顔になる。
「よう、久しぶり」
「久しぶり。元気だった? 」
「ああ」
仕事帰りだろうか。初めてみる深沢のスーツ姿に、思わず見惚れてしまった。
いつもはスウェット上下かジーンズを纏い、無造作に下ろされた長い前髪が印象的だったが、今日の彼はネイビーのスーツに爽やかな寒色系のワイシャツにネクタイ、そして髪型はオールバッグで決めていた。
「まるで別人みたい。誰かと思った」
深沢はそれを聞くと、ふっと笑って柏木のの隣に座った。
「あー、今日もやっと終わったー!
スクリュードライバーお願いします」
そう言って、ネクタイを緩めてシャツの第一ボタンを外す。
柏木は、深沢の仕草、一言一句にいちいちときめいてしまい、それがばれぬように彼からそっと目を反らした。
グラスの底に少しだけ残っていたマルガリータをぐいと口に運ぶ。
「仕事帰り? 」
「うん」
「フカっちゃんて何してるの? 」
「赤ちゃん用おもちゃの営業」
「えっ? そうなの? なんか可愛くて意外だなー」
深沢はマスターからそっと差し出されたスクリュードライバーを受け取り、グラスの中の氷をカラリと鳴らした。
「大和。お前は何の仕事してるんだ? 」
今度は柏木が答える。
「何だと思う? 」
「……お前ベビーシッターとか向いてそうだよな。保育士とか」
「いーや、違うんだなー。でも子供は好きだな、確かに」
「だろ。絶対に好かれるよな。そんな優しい顔してるんだから。いいよな」
「え……急にどうした」
「俺なんて今日、子供泣かせちまったぜ」
「? 」
「仕事で取引先の施設に行ったわけよ。そしたらそこにいた一歳くらいの子と目が合って。突然ギャン泣きされたわ。母親には悪いし、めちゃくちゃ気まずかった」
柏木はそれを聞いて盛大に笑った。
マスターも堪えきれず、ばつが悪そうにして笑っていた。
「あー、それホント、フカっちゃんらしいよね」
深沢は二人に憎まれ口を叩いた。
「あんたら笑いすぎ。大体マスターだって俺と似たようなもんでしょうが」
「それは否めません」
マスターは即答した。
「で、結局大和は何してるんだ? 仕事」
柏木は頬杖をつくと深沢に顔を向けて答えた。
「薬局で働いてる」
「へえ! そうなのか。なんか似合うな」
柏木はそう? と照れくさそうに笑った。
それからお互い仕事のことをずっと話したり、聞いたりしていた。
「ねえ、今日はうちに来て飲まない? 」
柏木は店を出た途端、深沢を誘った。
下心があってそうしたわけではなかった。
純粋にもっと色んなことを話したい。
それ故今日は思っていることをすんなりと言うことが出来た。
二人はまたタクシーを拾うと、柏木の家に向かった。
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