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「保育園の先生に怒られたんだって…」
陰惨な犯行現場の清掃を終え、ボーを寝かしつけて今は10時少し手前。
犯人の切実な便意が見て取れる、尿塗られた嫌な事件だった。場当たり的な凶行のようだったが、犯人にそれを隠そうなどという意思は無く、隠蔽工作も全くされていなかった。
疲労からくる眠気を何とか抑えつつ、僕はリビングのテーブルにつき発泡酒を呑んでいる。
「何かお友達がおしっこ漏らしちゃったんだって」
「まだ尿の話するのか…」
げんなりとする。
ボーと一緒に寝てしまえば良かった。
「それでね?ボーがその子をからかったっていうの」
少し不満げにそう言ったママが、自分の発泡酒のタブを上げる。最近だと珍しい、しばらく呑んでなかったのに。あと、それ僕の小遣いで買ったやつ。まぁいーけどさ。
「うん、良い先生じゃん。なんか言ったんだろ?」
ボーは他人の失態に超はしゃぐ子である。目に浮かぶようだ。
「えーまー、そーだけどさぁ。でね?お迎えの時ボーが元気なかったから、ウチ帰ってきてから、なんていったの?って聞いたの」
どうやら『からかった』と、とられた所に納得がいってないらしい。
いや、悪気の有無はともかく絶対何か余計な事を言ったんだと思うけど。
「おしっこしたくなったらトイレにちゃんといくんだよ。だって。ねぇそれってからかってるの?どうおもう?」
「うーん……」
どう思う、と聞かれてもなぁ。
ママが何て言って欲しいかは、何となく分かるんだけど。
「本当にボーがそう言って先生に怒られたんだとしたらさ?全然からかってる様に聞こえないその言葉が、先生にからかってるってとられたって事はだよ?それはつまり、よっぽどボーの態度が悪かったんじゃないの?」
「……………………」
押し黙るママ。まあ、怒るだろうな。
でもだって、僕の心臓はジワリとも痛まない。
それはつまり、ボーが先生に叱られたって事について、僕の感情は僅かにも動いていないという事だ。
普通のパパならどうなのだろう?一緒になってプンプンしてやるのだろうか。
「……でも理不尽じゃん、ボー悪くなくない?」
「わざわざ言いにいったんじゃないの?わざわざ言わなくてもいい事を」
「先生が勘違いしてるのかも知れないじゃん」
「うーん……怒らない?」
「ヤダ、怒る」
「じゃ言わない」
「言って!そこで止められる方が腹立つわ」
「えー絶対怒るのに…」
やだなぁ、怒られるのやだなぁ。
付き合ってた頃はなんて穏やかな人なんだろうって思ってたんだけどなぁ。
「あのさ?先生がまるっきり勘違いでさ、ボーが怒られたのが全くの理不尽だとしてさ?別に良くない?」
「良くない」
「そうかなぁ、だって理不尽な目に遭うじゃん。大人だって勘違いばっかりじゃん」
「今そーゆー大きい話はしてない」
「じゃ止める」
「止めないでっつーの腹立つな」
「叱られないで注意されないで育って、大人になってから急に理不尽な目に遭うより耐性ついていいんじゃない?まあ、僕はボーが煽りにいった説を推すけど。ボーも好きだった先生に叱られたからショック受けたんでしょ?今時の保育園の先生なんてさ、良かれと思って叱ったって損しかないじゃん基本。僕はその先生、良い先生だと思う」
「………………………」
「ごめんなさい。ママの言う通りだと思います、あんやろうひでぇ女だ」
睨むな睨むな、そして無言になるな。
ママは暫くの間そのまま僕を睨み付け、やがて諦めたようにおもーい溜息を吐く。
「パパってなんでそんな捻くれてるの?」
まだ付き合ってた頃は『物事の捉え方が独特で素敵』だったのになぁ。月日はかように人を変えてしまう、悲しい事だ。
「まぁまぁ。その話、ボーを叱った先生から直接聞いたんでしょ?じゃあ大丈夫だよ。もし今後も続いて、何か変だったら文句言いにいこう」
「別にクレームつけたい訳じゃないんですけど?私あの先生好きだし」
じゃあ今までの話は何なんだよ。とは言わない。
母性が言葉を曇らせてしまうのだ。
ボーが元気なくて悲しかった。
ただそれだけの事なのだ。
「まぁまぁ、ポテチでも食べなよ。カリカリした時はカリカリしたものを食べるのが一番さ」
「何それ?ねぇ馬鹿にしてるでしょ?」
「まぁまぁ…」
そんなで2人、ママとポテチを食べるのだ。
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