ラディッシュ育成日記

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「ほんと!?ほんとうにやってくれるの!?」 僕は喜びのあまり跳び上がりそうになった。 「大げさだ……」 ユキは照れたように腕を組んでいる。 「ありがとう、本当にありがとう」 「そんなに嬉しいのか?」 「うん……!だって、初めての僕らの子ども、だよね」 僕は感動を伝えるべく、ユキに近づく。そっと、その引き締まったお腹に手を当てる。 「ここに、僕たちの赤ちゃんが宿るんだよ」 「そうだな」 ユキも軽く笑った。その笑顔は世界で一番、愛しいものだった。 * 「では、手続きを進めるにあたって、説明事項がございます」 役所に行くと、説明が始まった。 「一番重要なことは、野菜を育てている間、排泄ができない、ということです」 それはもちろん承知の上だ。僕とユキは頷く。ユキはこの手の話題は苦手らしく、頰を赤らめ、困ったように眉を寄せていた。 「野菜は、栄養と水分、それから少量の排泄物を堆肥として受け取りますが、残された大部分の処理は、野菜が生育したのちに行うことになります。ゆえに、長期間野菜を育てることは健康上、勧められておりません」 「はい」 「タチバナさまは初めてですので、二十日大根、すなわちラディッシュの生育をお勧め致しますが、いかがですか」 僕とユキは顔を見合わせた。 「ラディッシュだって。かわいいね。どう?」 「お前が、いいなら」 「うん、じゃあ、そうしようか」 「かしこまりました。それではタネをお渡ししますね……」 * 〜植え付け〜 「じゃあ、植えるよ」 僕はベッドで腰を上げ、お尻を突き出した体勢を取っているユキに声をかけた。 「……っ早くしろ……」 ユキは真っ赤だ。裸なんて見慣れてるのに、相変わらずウブなんだから。僕はタネをそっと、ユキの後孔に挿入した。 つぷん、とタネが入っていく。 「んっ……」 「痛くない?」 「ああ……」 小さなタネは、あっという間にユキの体内に飲み込まれていった。 「これで、いいのかな」 「ありがとう」 ユキは立ち上がって、お腹を撫でた。 「変な感じする?」 「いや……嬉しい」 素直じゃないユキが、珍しくそんなことを言う。 「お前との、子を授かれて」 ユキの表情は慈愛に満ちていて、母親を想起させられた。僕はたまらなくなり、ユキをベッドに押し倒す。 「ユキぃ」 「……できないぞ、今は」 「分かってるけどさぁ」 「もう遅い、そのまま寝ろ」 ユキはつれない。僕は悶々とした気持ちを抱えながら、そのままユキを抱きしめて眠ることにした。 〜水やり〜 「ラディッシュは、芽が出るまでの間は特にたっぷり水が必要なんだって」 僕は役所でもらったパンフレットを読んでいた。 「……とはいえ、ちょっと飲みすぎなんじゃ……?」 ユキはさっきからずっと水を飲んでいる。ペットボトルは3本空になった。これから仕事もあることだし、そんなに飲んで大丈夫なんだろうか。 「喉が乾くんだ」 そう言ってユキはまたボトルを1本空けた。 「仕事、無理しないでね」 僕はそう言って先に家を出ようとした。 「アズサ」 ユキが僕の名前を呼んだ。 「なぁに?」 振り向くと、ユキが僕の唇に自分のそれを重ねてきた。 「なになに、いってらっしゃいのチュー?」 普段そんなことをしてくれるユキじゃない。僕は内心のドキドキを隠しながら、平静を装ってそう返した。 「……さっさと行け」 ユキは怒ったように眉をつり上げていたけれど、あれはきっと照れ隠しだ。野菜を受胎したことで、なにか心境に変化でもあったのだろうか。 直腸野菜栽培、バンザイ。僕は最高の気分で出社した。 「ただいま」 帰宅し、電気をつける。まだユキは帰ってきていない。リビングに向かい、スーツを脱いでいると。 ガチャガチャ、バタンッ! 玄関から騒々しく音が鳴った。ユキ、どうしたんだろう? バタバタとユキがリビングに駆け込んできた。僕の姿を見ると、へなへなとしゃがみ込んでしまった。 「わ、どうしたの」 「っもう、無理だ……!」 ユキは震えながらお腹を押さえている。 「ど、どうしたの、お腹痛いの?」 「…………ちが……」 ユキは口下手だ。だから、状況は僕が察しなくてはならない。ユキをじっくり観察していると、その内股が震えているのが目に入った。 「もしかして、おしっこ?」 ユキは顔を真っ赤にした。当たりを引いたらしい。 「おかしいね、水分はラディッシュが吸うんじゃないのかな。飲み過ぎたのかな?」 僕はパンフレットを開く。……水分の過剰摂取……あった。 「水分を摂り過ぎると、野菜が吸収するまでに時間がかかります、……だって。そっか、なら、おしっこしちゃえば?」 「できない、……出ない……」 「え、そっちもダメなんだ。困ったね……」 つまりユキは、ラディッシュが水を全て吸うまでの間、この強い尿意に耐えなければならないのだ。 「っ……」 「とりあえず、ベッドに横になろう」 僕は、ユキの肩を支えながらベッドに誘導する。寝かせると、ユキは僕の手を掴んだ。 「アズサ……」 「ユキ。大丈夫?おしっこ、したいよね」 「言うな、……っ、ぁ、と、いれ」 「え、おしっこ出そう?」 「ちが……吐く……」 ユキが口元を押さえて苦しそうに起き上がる。 「えっ待って、袋持ってくるから」 僕は慌てて立ち上がった。ああ、かわいそうなユキ。お腹も苦しいだろうに、吐き気まで。本当に妊娠、しているみたいだ。 僕は袋を握って急いでユキの元へ持った。 この日は、ユキが心配で一晩中眠れなかった。 〜発芽〜 「アズサ!」 夜。お風呂から出たユキが、慌ててこちらにやってきた。台所掃除をしていた僕は驚いた。ユキがこんなに感情を表現することは珍しい。そしてその姿を見てまた驚いた。ユキったら、全裸じゃないか。一体なにが。 「ユキ、どうし」 「め!芽だ、アズサ」 ユキは目をキラキラ輝かせて、背中を向けた。そのお尻からは、ぴょこんとかわいらしい芽が、たしかに生えてきていた。 「わぁっ!」 これには僕も大喜び。ユキを抱きしめて跳び上がる。 「やった、やったね!!ユキ、ありがとう……!」 ユキは口元を綻ばせている。その日は、二人でノンアルコールビールで乾杯した。 〜間引き〜 ユキの様子が最近おかしい。まず、僕に近づこうとしなくなった。寝るときですら、避けられている。耐えきれなくなった僕は、食事の後そそくさと部屋に入ろうとするユキの手を捕まえた。 「ユキ。最近変じゃない?」 「何がだ」 「何がじゃないよ。何、隠してるの」 僕がやや語気を荒くすると、ユキはたじろいだように半歩下がる。 「ねぇ、なにか悩んでいるんじゃない?なんでも話してよ、僕ら……そのために結婚したんじゃないか」 ユキの手を握る。ユキはためらっているようで、その視線は何度も僕と床を往復した。しかし、やがて口を開いてくれた。 「……言いたく、なかったんだ……。お前に話したら、……」 「なに」 「……見てくれ」 ユキはそういうと、その場でズボンと下着をそっと下ろした。ユキのお尻からは、 「……えっ、二本?」 随分と以前より育った芽が二本、ぴょこりととびだしていた。 「調べたら、間引きが必要だという。……でも、どちらかを捨てるなんて、したくなくて……」 ユキは後ろめたそうにそう言った。 「バカだなぁ、ユキ」 僕は呆れる。 「僕だって、同じ気持ちだよ。僕が捨てるなんて言うと思ったの?」 ユキは目を瞬かせた。 「間引いた片方は、プランターで育てようよ」 僕の提案に、ユキは嬉しそうに微笑みを見せた。もっと早く相談すればよかった、と言うユキの笑顔は本当にかわいらしかった。 〜収穫〜 「……いよいよ、だね」 僕とユキは、ベッドにいた。ユキのお尻からは、大きく育った緑色の葉っぱ。 「……」 ユキは俯いている。 「嬉しくない?」 「……少し、怖い」 「怖い?」 ユキが、恐る恐ると言った様子でこちらを見た。 「きちんと成っていないかもしれないし、……そうなったら俺の責任だ」 僕はユキの頭を優しく撫でた。 「ユキ。この苗は、僕たち二人の子どもだろ?僕は、どんな姿だってこの子が愛しいよ。ユキは違う?」 「……」 ユキは逡巡したあと、 「違わない。……変なことを言った。アズサ、ありがとう」 と答えた。全くユキったら、真面目なんだから。 「じゃあ、抜くよ」 僕は葉っぱにそっと触れた。普通の野菜とは違い、とくん、とくんと脈打つような感覚。生きている。この子は、ユキの中で生きているんだ。 「ああ」 ユキが頷く。僕はそっと、力を込めた。 スポン! 「んっ……!」 ユキが痛そうに顔を歪める。出てきたのは、丸く小さな、美しく赤く輝くラディッシュだった。 「わぁっ……!」 僕は目を奪われた。なんて、綺麗なんだろう。ルビーのように艶やかで輝くそれは、今までで見たラディッシュの中で一番、綺麗だった。 「ユキ、みて、ほら!」 僕は両手でラディッシュを支える。ユキの手のひらに乗せると、ユキは今にも泣いてしまいそうな笑顔を浮かべた。 「アズサ……」 「ユキ」 僕はユキに口づけた。今なら、世界が終わってしまってもいいとさえ思った。 〜エピローグ〜 あれから。僕たちは育ったラディッシュに感謝して、おいしくいただいた。その味は今まで食べた野菜の中で一番だった。 ユキはラディッシュの育成を終えて、排泄ができるようになってきた。初めは浣腸をしないとうまく出せなくて、すごく屈辱そうに僕に相談してきたけれど、やがて自然に出せるようになったみたいだ。 直腸野菜栽培を経て、ユキとの仲もますます深まったようで、僕は非常に満ち足りている。……でも、悩ましいことが、ひとつ。 「アズサ」 「うっ、ユキ……その、分厚い本はまさか……」 ユキが僕の前に、図鑑ほどもある分厚い「大根の育て方」と書かれた本を置いた。 「……次は、大根がいいと思うんだ」 それはユキが直腸野菜栽培にすっかりハマってしまったこと……。いくらなんでも、大根は無理があると思うんだけど! だけど、幸せそうなユキの笑顔を見ているともう何も言えない。きっと近いうちに僕らは大根を育てることになるだろう。僕は世界一愛しい彼の無邪気な顔を見て、はぁ、と幸せなため息をひとつ、こぼした。
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