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その男の印象は、「恐い」だった。
顎を覆い隠すような髭、鋭い目つき。おまけに無口である。
眼鏡をしているが、それが余計に恐さを引き立てていた。
年数回、私はお母さんのお母さんの家に行った。
家に行くと、決まってテーブルの奥の椅子に座っている男がいた。
男はテレビを見たり、時々新聞を見たりしている。
ある日の帰り道、いつもおばあちゃんの家にいるあの男は誰かと聞くと、お母さんは「私の弟だよ。」といった。
冗談だと思った。
あの男が、こんなに綺麗な瞳をもったお母さんの弟なわけがない。
しかし、それが真実であることを年月の経過とともに受け入れていた。
「叔父」という言葉を知るころには、叔父の存在にも慣れていた。
私が祖母の家に訪れ挨拶すると、ちょっと小さな声で「いらっしゃい」という。
恐い見た目は相変わらずだが、その声には母と同じ優しさが感じられた。
・・・・・・・・・
中学生になった。
部活も始まり、家族で過ごす時間よりも友達と過ごす時間が増えた。
その日も、私は友達と遊ぶ約束があったため、午前中から早々に家を後にした。
どうやら父と母は買い物に行っていたらしい。
そして、その道中、交通事故を起こして帰らぬ人となった。
正直、事故の詳細については覚えていない。
突如、一人になった孤独と父と母との突然の別れで頭がいっぱいだった。
それだけではなく、いろんなことが頭を駆け巡り、涙が止まらなかった。
なぜ私だけがこんな目に合うのだろう。
あの日、家にいれば、少しでも結果が変わったのだろうか。
一緒に買い物に行って、死にたかった。そんなことも思った。
それから私は母方の祖母の家に引き取られた。
祖父はとうの昔になくなっているため、祖母と叔父のいる家が私の新しい場所となった。
二人とも、優しく迎えいれてくれた。
色々と気遣ってくれたが、私は父と母を失った現実から逃れるために、引っ越してから部屋へ引きこもるようになった。
それを責めることは二人ともしなかった。
それから数日経ったある日。
数回のノックの後、「入るぞ」という声とともに叔父が私の部屋へ昼飯をもって訪れた。
いつもご飯は祖母がもってきてくれていた。(私は寝込んだままで、それを少し食べては、お礼も言わず扉の前に置いていた。)
私は寝込んだままだったが、叔父は気にしないで座り込んだ。
私は寝たふりをしていたが、叔父はたぶん起きていることに気づいていた。
そこから、叔父は母の昔話を始めた。
叔父の話の中の母は、意外と無邪気で、危なっかしかった。でもそこに、私の知っている優しい母も確かに存在していた。
叔父は母との思い出一つ一つを、とても楽しそうに話した。
本当に、楽しそうに。
この人も母が好きで好きでたまらなかったのだろう。
私だけが悲しいと思っていたが、この人も大切な姉を失ったのだと気
付いた。
そこにはかつて恐いと感じていた叔父はいなかった。
叔父の話を聞いているうちにいつの間にか寝ていた。
それは、父と母を失ってはじめてぐっすり眠れた日であった。
心の中には、悲しみと共に温かさが降りつもっていた。
これは、中学1年の冬の話だ。
・・・・・・・・・
年月は流れて、高校も大学も卒業し、私は社会人になった。
大学に行くことに対してお金の心配をしていたが、そんな心配はするなと怒られた。
叔父はフリーランスだったのだ。
ずっと家にいることに対して、不思議に思っていたが、そういった働き方があることを知らなかった私は、あまり触れずにいたのだった。
高校のとき、はじめてそれを知った私は驚くとともに、叔父がずっと無職であると思っていたことを反省した。
祖母によると、かなり稼いでいるらしい。
祖父はもっと身なりをしっかりすれば、結婚もできるだろうにと良く嘆いていた。
叔父の髭や目つきの悪さも相変わらずだった。
無口なのは変わったと思う。
いや、案外私が勝手に無口だと思い込んでいただけかもしれない。
大学は家から通える範囲で、良い大学を目指した。
どこでも行きたいところを目指しなさいと二人は言ったが、私の学びたいことはそこの大学で十分学べるし、何より二人のもとから離れて一人になるのがさみしかったのだ。
そんな私も、二人の下を離れることになった。
その理由は、結婚することになったからだ。
大学で出会った人と5年ほど付き合い、結婚することになった。
その報告をしたときは、二人ともとても祝福してくれた。
叔父の泣いている姿を初めて見た日でもあった。
バージンロードを共に歩く人は、叔父に決めていた。
頼んだ時、少し照れて困ったように「俺でいいのか。」なんていっていたが、その後、上機嫌だったらしい。祖母がこっそり教えてくれた。
ほんと、かわいらしい人だ。
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