ラメンタービレ

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父も母も私をピアノを聴くことはありませんでした。 父や母が求めるのは私の成績。 私が栄誉ある賞を受賞できるかどうか。 私がどんなピアノを弾くのか、どんな音楽を奏でるのかには、一切の興味を示しませんでした。 ですから私も、父と母への興味関心が薄れていきました。 同じ建物に住む、経済支援をしてくれるだけの赤の他人。 それが、私にとっての父と母でした。 それでもピアノを弾き続ける、私は孤独でした。 何のために自分がピアノを弾いているのか、わからなくなりました。 何度も空しさを覚えました。 ピアノをやめようかと思ったのも、一度や二度ではありません。 そんな私の元に、一人の小さな観客がふらりと訪れました。 父と母が預かった、遠い親戚の子供です。 やせっぽちで、常に顔色が悪く、そして生傷が絶えない男の子でした。 その小さな観客が、私の演奏を聴いて見せる穏やかな表情に、微笑みに。 私はどれ程癒されたでしょう。 救われたでしょう。 支えられたでしょう。 怜央、私は貴方に喜んでもらうためだけにピアノを弾き続けたのです。 両親の死後、私が十月家の当主となった後。 こっそり貴方の日記を読んだ私は、両親が怜央にした仕打ちを知って、怒りにうち震えました。 すぐさま両親の墓を暴いて残った遺骨を粉砕し、トイレに流してやろうかとすら思いました。 怜央、貴方が思う程、私は綺麗な人間ではないのです。 怒りに我を忘れてしまいかねない程に、単純で、感情的な、愚かな男です。 今もあの二人のことを、憎んでいますし、恨んでいます。 仮に蘇ってきたら、私は本気であの二人をくびり殺すでしょう。 そんな人間なのです、私は。 私の観客は、大切な人は、今も昔も貴方だけなのです……怜央。 罪滅ぼしではないのです。 貴方に聴いてもらいたいから、そのためだけに私はピアノを弾くのです。 ……狂っているでしょう? 私のピアノを聴きながら、ソファで眠ってしまった怜央。 怜央の精神状態は、私が想像していたよりも悪かった。 日記を書かなければ、健忘により記憶が穴だらけになる。 過去の悲惨な性暴行体験がフラッシュバックとして蘇ったかと思いきや、自分が自分と認識できない離脱症状を引き起こす。 よく今まで一人で耐えてきたものだと感心し、更に愛しくなる。 眠ってしまった怜央に毛布を掛けて、そっと頬を撫でる。 それから、ピアノの前に座ってもう一曲。 ラヴェルの《水の戯れ》。 怜央の痛み、怜央の苦しみが少しでも和らぐように祈りを込めて。 私は鍵盤に指を滑らせた。
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