ラメンタービレ

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琥太郎さんが微笑む。 あの、常に無表情な琥太郎さんが……口角を上げる。 「貴方こそ、私のことをどう思いますか? 貴方は遺書とΩの通知だけを残して此処に来ました。その日記は貴方が持ってきてこの木の根本に置いた筈です。その日記の内容を私が知っているということは、貴方の留守中にこっそり読んだということです。貴方のプライベートを盗み見たということです。軽蔑、しますか?」 確かに、そうなる。 日記を俺が此処に持ってきたということは、その前に……俺が学校に行っている間に琥太郎さんは日記を読んだということになる。 「質問に質問を返さないでよ、琥太郎さん」 「私は貴方が思う程に綺麗な人間ではないんですよ」 琥太郎さんは笑う。 今まで見たことがないくらいに、俺に向けて優しく微笑む。 「それに、私の目には貴方は被害者にしか見えませんよ。加害者は私の両親です。怜央、貴方はあくまでも被害者です」 何も……言えない。 こんなにハッキリと被害者だと明言されては、何も……。 「……怒りに震えましたよ。何故私はもっと早くに気づかなかったのだろうと、事故死する前に気づいて、あの二人をこの手でくびり殺さなかったのだろうと」 その言葉を聞いて、俺は咄嗟に動いた。 琥太郎さんの手を掴んだ。 必死で首を横に振った。 「やめて! そんなことしないで! 琥太郎さんの手はそんなことをするための手じゃない! 綺麗な音楽を生み出すための手なの!」 泣きながら、彼の手にすがりつく。 「琥太郎さんのピアノが好きなの! ずっと、永遠に聴き続けていたいくらいに大好きなの! だからそんなことにこの手を使わないで! 俺なんかの為に罪を犯さないで! お願いだから!」 十月家の当主夫婦が、琥太郎さんの両親が、既に故人であることが、頭の中からすっかり抜けてしまっていた。 あるいは、俺が少し退行してしまっていたのかもしれない。 泣きながら、必死に琥太郎さんの手を掴んで止めた。 反対側の手に包まれ、抱き締められるまで。 「貴方はいつも演奏を、聴いていてくださいましたね」 「いつも寝ちゃったけど……」 「貴方の寝顔を見ながらピアノを弾くのが、私にとっての幸せでした」 琥太郎さんが、俺を落ち着かせるように背中を撫でる。 トントンと、子供をあやすように叩く。 「私はとても醜い人間です。貴方がΩであったことに喜びを覚えたんですよ。αである私は、貴方と番うことができると……こんな私を、軽蔑しますか?」 俺は、ふるふると首を横に振る。 「それでも俺は、琥太郎さんの音楽が好き。貴方のために、貴方の音楽を聴くためだけに俺は生きてきた」 死にたいのを我慢して、必死に生きてきた。 「ならばもっと堪能してください。私が弾けなくなるまで。貴方が寿命を迎えるまで。もう貴方を一人にしません……怜央。世間からも、ヒートからも、私が貴方を守って見せます」 俺は泣いた。 子供のように泣いた。 まるで幼児退行したかのように泣いた。 琥太郎さんはずっと俺を抱き締めていてくれた。 俺が泣き疲れて眠るまで、ずっと、ずっと……。
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