17人が本棚に入れています
本棚に追加
ドグラマグラ
『ドグラ・マグラ』とは、夢野久作氏の著書。
有名小説の題名である。
同時に作中に登場する「とある精神病患者が執筆した」書物でもある。
『胎児の夢』とは、作中に登場する教授が書いた論文だ。
この世界では絶望や恐怖などの心的外傷を負った時、稀に「その時点で成長が止まってしまった自分」が内側に誕生する。
《胎児》と呼ばれる“それ”は、心的外傷を負った瞬間に感じた絶望や恐怖を“悪夢”として繰り返し体感し続けている。
この“悪夢”を繰り返し体感し続けるのは、当然ながら、激しい苦痛を伴う。
故に《胎児》は、自身の存在に気づいて欲しいと願い、《胎児》を抱える人間……《母体》に自身の見続けている“悪夢”を追体験させようとする。
「《母体》が《ドグラマグラ》と呼ばれる怪異に触れることで、《胎児》は顕在化して自我を持つ。そして《母体》に自身が見続けている悪夢を見せる。《ドグラマグラ》に触れた胎児により“悪夢”を見せ続けられた《母体》が発狂すると、《胎児》は《母体》を乗っ取り、次の《ドグラマグラ》を発生させる……怪異は連鎖するってことやな」
「……で? それと営業妨害に何の関係が?」
颯志は金髪の男を睨む。
「自分、心当たりあるやろ? 父親に真冬の浴室で冷水の中にぶち込まれて首を絞められた柚希颯志君は」
颯志は唇を噛んだ。
あの時、冷たい冷水が刃となって父親へと向かい、父親をズタズタに引き裂いたのだ。
颯志は生還するも、“自身が敵意を持って水に触れた際、水が刃となって相手を切り裂く”という怪異を抱えて生きることになった。
「つまり、『暁市連続失踪事件』とは《ドグラマグラ》という怪異によるもので、その怪異を起こしているのは俺って言いたいワケ?」
「さっきまでの優しい雰囲気は何処行ったん? 女の子限定なん? 僕悲しいわぁ。……まぁ、半分当たりで半分外れやな。『連続殺害事件』とか『現代の切り裂きジャック』とかなら、真っ先にアンタを疑うけども」
金髪の男はしれっとそう口にする。
颯志がどれだけ睨み続けても、全く意に介さない。
「アンタ、覚えてへんかもしれんけど、顕在化した《胎児》の制御訓練の為に僕の親父んとこに滞在しとったんや。僕が知っとる暁市在住の《母体》はアンタともう1人。もう1人とは連絡がついとるから、アンタんとこに足を向けたっちゅうわけや」
そういえば、何処かの施設で、自身の抱える怪異で他人を傷つけないよう訓練を受けた気がする。
当時の記憶は、父親を殺したショックと唐突な虐待からの解放で曖昧になってしまっているのだが。
「あぁ、なるほど。俺が《ドグラマグラ》に触れて、更なる怪異を起こさないように見張るってヤツね」
「いや、《ドグラマグラ》は起こしてくれてええよ。目の前で起こしてくれたら研究がはかどるから張りついとこって感じやな」
何という男だ。
「でも、『暁市連続失踪事件』が怪異だという根拠は? 死体がひとつも出てないのに怪異の仕業なんて、流石に飛躍が過ぎない?」
そう、死体がひとつも出ていないから“失踪事件”なのだ。
死体が見つかっていない以上、失踪者全員生きている可能性だってある。
「根拠ならあるで?」
金髪の男は笑う。
「ひとつは、もう1人の《母体》……《ドグラマグラ》絡みの事件を担当する刑事が動いとること。もうひとつは『暁市連続失踪事件』の被害者は全員男性っていうとこやな」
「……は? 被害者が男性であることが根拠?」
意味がわからない。
呆れた声を上げると、金髪の男がズイッと身を乗り出してきた。
「殺すことは簡単や。僕が今いきなり君を突き飛ばせば、打ち所が悪ければ君は簡単に死ぬ。難しいのは、殺した遺体を消すことや。男性の遺体は主犯が成人男性であっても簡単には持ち運べない。解体するのは時間がかかるし、その痕跡を消すのにも更に時間がかかる。頭使って自殺や不審死に見せかけた方が楽や。でも、死体は見つかってないやろ?」
男の言葉に颯志は頭を押さえる。
「それってやっぱり俺が犯人だって疑ってるってことじゃん。俺なら水を使って簡単に解体出来るし、凶器として使った水で血液を洗い流して痕跡を消すことも可能って言いたいんでしょ?」
再び睨みつけると男は苦笑する。
「ほんまに疑り深いなぁ……僕ってそんなに信用できへん?」
「残念ながら、全く信用できないね。こんな話なら奈津美ちゃんが帰ってからでも良かったでしょ? あかりちゃんが失踪事件に巻き込まれたなんて脅して……いや、矛盾するだろ。あかりちゃんは女の子だよ?」
今までは被害者が全員男性という前提で話が進んでいた。
しかし、あかりは女性だ。
ならば『暁市連続失踪事件』とは別件と考えるべきなのでは?
金髪の男はニヤリと笑う。
「ほんまに“あかりちゃん”とやらが事件に無関係か、“あかりちゃん”の失踪と『暁市連続失踪事件』は別件なのか、気になるやろ? 調べるの、協力してや。どうせもう客はおらんのやし、今日はもう暇やろ?」
そういうことかと、颯志は溜息を吐く。
現地の調査要員かつ、研究材料。
「ひとつだけ言っとく。客がいないのは君が営業妨害してるからだからね?」
とはいえ、奈津美の後に予約がないのは事実で、奈津美も既に店を出てしまった。
この男は颯志が協力しない限り、店に居座るつもりだろう。
泊めろとすら言い出しかねない。
颯志は頭痛に耐えながら、美容院の入り口の札を『CLOSE』に変えた。
最初のコメントを投稿しよう!