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踏切
その空間では、一切の音が消えていた。
いつもの帰路。
その途中にある踏切。
遮断機の下りたその向こう側、無音の踏切で、学生服姿の少女が踊っていた。
まるでバレリーナのように、少女は踊る。
しなやかな身体を弾ませ踊る少女は美しい。
だが、奈津美にとってはそれは異様な光景でしかなかった。
奈津美は望まぬサービス残業を終え、疲労困憊で帰路の途中であるこの場所に来た。
まだ深夜でこそないものの、宵闇が既に街を覆い隠している今、高校生……あるいは中学生かもしれない……の少女が一人制服姿で彷徨くなど異常だ。
しかも、少女は踊っている。
遮断機の向こうで。
そう、遮断機は下りている。
奈津美は思わず息を飲む。
すると、少女は踊りながら奈津美に顔を向けた。
にやり。
少女は笑みを浮かべると、踊りながら奈津美に手を伸ばした。
奈津美は必死に首を横に振る。
行きたくない。
そちら側には行きたくない。
必死に拒絶する奈津美に、少女はケタケタと笑う。
不意に、笑う少女の顔が、身体が、制服が、赤く染まった。
悲鳴を上げる間もなかった。
踏切を、電車が通過したのだ。
肉片と化す、少女。
明らかな、人身事故。
しかし、電車は止まらない。
カン、カン、カン。
無音だった空間に、音が戻ってきた。
少女は居ない。
血も肉片も、人身事故の痕跡は何もない。
コンビニ帰りらしきカップルが、奈津美を見ながら何やらひそひそと話をしている。
時折上がる笑い声。
今の奈津美にとって、あまり心地の良い話題ではないだろう。
いつもの帰路。
いつも通過する踏切。
今、奈津美の目の前にある光景は、あまりにもいつも通りで。
結局奈津美は、自分は疲れ切っていたのだと結論づけた。
疲労による、幻覚。
そう結論づけたら、こんな風に立ち尽くしている時間や余裕など奈津美にはない。
奈津美の両親は、度を越した過保護なのだ。
両親基準で少しでも帰宅が遅れたら、まるで身体検査のように鞄からスーツのポケットの中まで検められてしまう。
奈津美は慌てて自宅へと足を向けた。
ほんの少し、下腹部に違和感を覚えたが、それどころではなかった。
今の奈津美にとって何よりも恐ろしいのは、父親に怒鳴られること、母親に侮蔑の目線を向けられること、両親に否定されることなのだ。
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