二十歳の気づき

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二十歳大学二年生。今まで、学生相談所が紹介してくれた力仕事や掃除など、単発のアルバイトばかりしていたものの、継続したアルバイトぐらいしないとなと思ってアルバイト雑誌を見て、ロゴマークのあるしっかりした居酒屋と思われるところに電話したのが始まり。 難なく採用された。初めての飲食店アルバイト。 そこは、ビジネス街の近くにある、夫婦で経営している小さな居酒屋だった。アルバイトは現在三人。全員大学生だった。 夫婦はそれぞれ五十から六十ぐらい。マスターと呼ばれる夫が厨房を主に担当。男性のアルバイト二人が補助をする。ママさんと呼ばれる妻がホール担当。女性のアルバイトが補助をしている。僕は最近辞めたホール係として雇われた形だった。 人数の少ない職場ゆえ、基本月曜から金曜まで毎日入る。それは別にどうでもよかった。むしろ、たくさん入いれてお金が稼げてありがたい。ビジネス街なので、土曜は客が少ないらしく、アルバイトは入れず、マスターとママさん二人で取り回していた。三人の大学生は、この店に長く勤めているみたいだった。 さあ、仕事開始と。しかしいきなり厳しい。店の壁中にメニューが貼ってあるタイプのお店。いきなり全てのメニューは覚えられない。そんなときに限って、客が小慣れた感じで、どこかのメニューを読むような感じで 「ニラ玉と土手焼きちょうだい。」 と注文した。僕はそれをメモって厨房に通すしかない。すると、 「これはどういうこっちゃ!でたらめばっかり書きやがって!」 とマスターにいきなり怒られた。あとで分かったが、ニラ玉、土手焼き、どっちとも壁中に書かれたメニューの中には載ってなくて、客が適当に言ったようだ。なんで、初日にこんな目に遭わなきゃいけないんだ。でたらめばっかり。そりゃ、二分の二、でたらめだったけど、まだ仕事始めたばっかりなんだから、「ばっかり」ってなんだよ。メニューを見ないで注文した客に言ってくれよ、という気分だ。 ママさんに外のビールの樽を使用済みと使用前に整理しろと言われ作業していたら、マスターから、そんなものは閉店後にしろ、さぼりやがって、と言われた。 店に到着するや否や客が入ってきた。マスターから対応しろと言われたので、注文とかを取っていたら、ママさんからエプロンもしないで接客するとは何事だと怒られた。 この店、基本立ち止まって客を見渡すことを許さない。仕事がなかったら冷蔵庫を拭いたり、机の箸置きのチェックをしたり、普段手が回らないところを掃除したり、と、とにかく手を動かしとかないと怒られる。それでいて、仕事に没頭して客のサインを見逃すとそれはそれで怒られる。 たまたまホールに出ていたマスターが注文を受けた。マスターはその注文をすっかり忘れて他の料理を作っていたようだ。客から遅いとクレームが入って至急作り始める。ママさんは、 「あの子やわ。あの子が注文通してなかったんやわ。」 と、僕のことを言ってるみたいだ。マスターはそれを聞いて否定しない。え?マスターだろ? すごい夫婦だ。自分たちの関係を保つために、アルバイトを緩衝材の悪者にしている感じだ。いや、感じじゃなくてそうだ。 どうやら私、とんでもないバイト先に来てしまったようだ。 しかし、初めてのアルバイト。最低でも1年は頑張らないと、いやだからとすぐ辞めたら癖になって、次のアルバイトも気に入らないことがあったらすぐ辞めるような人間になってしまう。ここは耐えるしかない。しかし厳しい仕打ちは続く。 そりゃあ、慣れた人よりは働けてなかったかもしれないが、明らかに働けてはいる。なのに、初給料をもらう時、 「給料泥棒という言葉を知っているか?」 と言われながら渡された。 今度はマスターが口頭で受けた注文を、僕が伝票に書いてなかったと言って怒られた。そんな阿吽の呼吸、できる関係か? 「お前は本当に横着な奴だな。」 そんなことまで言われた。自分達はいくらでもものを言っていいらしい。自分の心の平穏のために、ときには相方を批判せずに終わるためにアルバイトを悪者にしてその場を解決というのは、しょっちゅうだった。『横着』という人格否定は堪えた。 とりわけアルバイトの中で、僕が厳しくいろいろ言われた。確かに最初は慣れない接客で戸惑ったが、回りのアルバイトの人は 「なんで一人だけあそこまで言われるんだろうね。」 と言っていたので、取り立てて僕の仕事ぶりがひどかったのではないと思う。 年の近い若者がいるアルバイト先なのに、行くのがすごいおっくうになった。しかし、初めてのアルバイト先を変な形で辞めてはいけないと、一生懸命頑張った。 働いても働いても言われる文句。客から何度か 「お前はここの店の息子か?」 と聞かれた。あまりの厳しさが弟子入りしているように見えたのだろう。 「違います。」 と答えながら、やはりこの店はおかしいよ、と確信した。 長らく勤めていたアルバイトの大学生たちも、卒業論文に没頭しないといけないとか、進級してキャンパスが遠くになるとかいう理由で徐々に辞めていった。その人たちの代わりを募集するのだが、次のアルバイトは決まらない。決まらないというか、入っちゃその日かその週に辞め、入っちゃその日かその週に辞め、と。そりゃそうだ。マスターとママさん。普通の感覚なら辞めたくなる。補充が見つからないうちについに僕一人になった。 そういうことをしているうちに、僕は、前人未到の、ホールも厨房もできる働き手になっていた。刺身を切る以外はなんでもできる。 やっとホールの働き手が定着した。フリーアルバイターの女の子だ。高校、大学と当たり前のように受験する人たちばかりの中で歩んできた世間知らずの僕は、その時初めて、フリーアルバイターの知り合いができた。高校出て、とりあえずフリーってありなの?ありみたい。すごい、学校に縛られていないその生き方。そうか、そういう選択肢もあるんだ。今までの自分の生き方の考え方の狭さに気付き、なにかふわっとした。その人、かわいかったのでちょっとだけ、好きになったけど、その話はまた今度。 その娘はえらくマスター、ママさんに気に入られ、その娘の話によると、年末にボーナスをもらったそうな。僕はもちろんもらっていない。 ある時、また怒られたときに、マスターに言われた。 「いいか。いくらいい大学通ってても、仕事は別なんだぞ。まったくダメな奴だ。」 僕は確かに地域で一番の大学に通っていた。しかし、面接のときに大学名言っただけで別にひけらかしてもいない。ここでの仕事には関係のないことだし、そもそもひけらかしたくてもひけらかす暇もない職場だ。その時思ったのは、この人たちにとって、僕は、いい大学に通っているが、仕事はからっきしダメ、なんなら性格も横着、というキャラクターが都合がいいんだ、と。僕をキャラクターに嵌めてるんだ。だからその評判をどんなに覆そうとしても、よっぽど抜きん出てない限り覆せない。いや、唯一ホールも厨房もできるから抜きん出ているんだけどな。多分そうだ。 そう思った途端、中学校の時、三学期は体育の授業がマット運動だけで、僕は球技とかは得意ではなかったけど、マット運動は得意だったので、前転、後転、側転、なんなら空中前回り、安定感もキレもなんでも一番で、これなら念願の通信簿体育5いける、と思って、保健体育の期末テストも皆が頑張らないところを頑張って高得点を叩き出し、期待して通信簿を見たら、体育は4で、しかも実技のところに△(あまりできない)が付いていたことを思い出した。 そういえば体育の先生からいつぞや、 「おまえは努力しても努力してもダメだな。」 と、大して僕のことを見てないはずなのになんかお見通しだぞと言わんばかりに言われたことがある。先生を完全無欠の存在と思ってたけど違うんだ。体育の先生の中では、僕は努力しても努力しても運動ダメな人間にきっとキャラクターを嵌められてたんだ。そうだ。そう思えば体育4の辱めが説明できるや。 突然、ばかばかしくなった。そして、過去の人生で結果や過程に対して、お見通しだぞと言わんばかりの人から不本意な評価を得た場面がたくさん思い当ってきた。何かのキャラクターに嵌められてたのかな。全部じゃないのかもしれない。断トツに頭がよかったり、圧倒的に運動神経がよかったり、要領がよかったらこんなことにはならないのかな。僕は嵌められやすいのかな。向こうの決めつけに気を悪くしてるんだから、こっちとしては決めつけないようにしないといけないけど、少なくともうち数件はおそらく決めつけたキャラクターに嵌められた可能性がある。過去の不本意をこれで解釈すれば、気持ちがすっとする。違うのかもしれないけど。とにかく初めて腑に落ちた感じがした。 切り取った場面で人を判断したり、なんなら自分の経験を過信して、自分はお見通しだと言わんばかりの態度で人の評価を決めつけることががあるんだな。人間である以上、他人の全てを知ることはできないから、全くそれをしないことはできないんだろうが、やられてみて、やられたのを気付いてみて思った。やられてないのかもしれないけど勝手にこう思った。自分がそれをするのはなるべく避けなければ、と。 それ以来、他人の、自分はお見通しだ、他人のここを見破ってやったぜという武勇伝は聞き流している。まだ気づいていないのか。この人は、と。 内では自分で見たこと、感じたことを信じ、ただ、しばしばそこで感じたことを疑うことも忘れず、自分の感性を研ぎ澄ましつつ、外には自分の感じた他人の評価は必要でない限り言葉に発しない。これで正しいのかな。この考え方自体が偉大なる決めつけなのかもしれないとときどき思う。正解が分からないけど、居酒屋のマスター、ママさん、体育の先生を反面教師に、今に至るまでずっとこれでやってきた。 1年勤めて、しっかり辞めた。辞めるとき惜しまれた。僕の勝ちだ。いろいろ学んだけど、もういいよ。1年間。思えば長かった、な。
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