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「え、予約してないの!?」
眉を描きかけのまま振り返り、冴子が言う。
ヨーロッパのとある都市。あたしと冴子は現地時間の今日の昼間、ホテルに着いたばかりで、とりあえずエコノミークラスの狭い椅子で縮こまった体をベッドに投げ出し、数時間深い睡眠を貪って、目が覚めたところ。夕飯を食べに出かけるために身支度をしながら、明日以降のスケジュールなどを確認している中で、冴子が言ったのが冒頭のセリフ。
あたしは唇を尖らせた。
「いや、だって行きたいってはっきり言わなかったじゃん。そりゃちらっとは聞いたけど、目的地決める時に、そういうのもあるよって、言っただけでしょ?」
「ショック。楽しみにしてたのに」
ため息をついて鏡に向かう冴子を、複雑な気持ちで眺める。今日から一週間、この街で上演される新作ミュージカル。改めて考えれば、冴子なら見たがるだろうとわかる。けれどもそもそも旅行の計画を全部丸投げしてたのは冴子だ。したいことがあるならせめてひとこと言ってくれないと。
「ごめんね」
割り切れないまま謝ると、冴子は鏡越しにこっちを見て首を振った。
「いや、まあ、しゃあない。任せっぱなしにしてたのあたしだし」
あっけらかんと言われて、自分がばかみたいに思える。結局こういうのは「より気にする方」の負けなんだ。
「真衣奈、いっつも完璧に計画たててくれるから、つい甘えちゃって。やりたいことできて当たり前って思っちゃってた」
そう、あたしはなんにつけ準備や下調べをしてきっちり予定を決めないと気が済まないたち。それに対して、冴子は万事行き当たりばったりの出たとこ勝負。旅行の時だけではない。人生そのものがギャンブルかジェットコースターみたい。まさに正反対。
「いつもごめんね。感謝してる」
珍しく気遣う言葉を、あたしは手を振って否定する。
「よしてよ。あたしは好きでやってるだけだし、もともと冴子はなんの予定も立てなくたって楽しく旅行できるんでしょ。ガチガチに決まった予定こなさせちゃって、かえって悪いと思ってるくらい」
「いやあ、いくら決めたってさ、アクシデントは、楽しめるからね」
「楽しむ?」
訝るあたしに、真衣奈はアイラインを引き直しながら言った。
「え、だっていい思い出じゃん? 飛行機遅れて、乗り換え時間に間に合わなかったのとか」
「あったねえ。乗り換えの空港でがんがん名前呼ばれてたっけ」
「無事日本に帰ってきたと思ったら荷物が成田に着いてなかったのとか」
「そうそう! しかもあのとき冴子、トランクに部屋の鍵入れてたんだよね。それでしばらくあたしの部屋に泊まったんだっけ。あたしが持っててよかった」
「タクシーの運転手がホテル間違えたのとか」
「降りてから気づいたのよね。さすがに途方に暮れたなあ」
「出発当日に踏切事故で電車がこなかったりとか」
「正直、事故るなら別の日にしてって思ったよね」
「ほら、楽しそうじゃん、真衣奈だって」
「いや、これは」
言われるまでもなく、そんな予定外のトラブルも、思い出すには楽しい。けれどもリアルタイムで楽しかったかといえば、そんなことは……あるはずが……あれ?
「いや」
半ば独り言のように、言う。
「楽しかったな」
予定通りに観光地を巡りレジャーを楽しんだ、その思い出だって、決して劣っているわけではないけど。
「うん、そうだね。結構、そういうのも、楽しかったよ、うん」
けれども、それはきっと。
「でしょでしょ!?」
言ってリップを引き直そうとする冴子に、あたしは後ろから抱きつく。
「あん。なに?」
「ううん。なんでもない。なんでもないけどさ」
囁きながら、首をねじむける冴子に、唇を寄せる。
「ご飯行く前に、予定外のこと、しない?」
「えー? せっかく化粧直したのに?」
「またすればいいじゃん」
「全く、こんな時ばっかり……んっ」
文句を言う口を、唇で塞ぐ。
そう、あたしが予定外の事を楽しめるのは、きっと、冴子と一緒だから。
冴子となら、計画通りだろうと、行き当たりばったりだろうと、どっちだって構わないんだ。
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