酔っ払いのテンション

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「何見てんの?」  隣の席の大久保に言われて、俺はハッとした。  語学の教室でなんとなく仲良くなった連中との、名もなき飲み会。サークルに入ったりゼミ内やバイト先の仲間と交流を深めたり、それぞれ独自の世界を見つけて疎遠になったやつも多い中、三年目も後半になった今でもこうして十人くらい集まるのは、やっぱりちょっと珍しい気がする。 「いや、別に」  柔らかい体を押し付けるようにしながら顔をこちらに向ける大久保から身を引きながら、冷酒をひと舐め。もうずいぶん飲んだような気がする。そろそろセーブしたほうが良さそうだ。 「ただ、あれ、さ」  俺は、カウンター席の端っこにむかって顎をしゃくって見せる。正確には、そこに置かれた玩具に。 「ん? あれって……あれ? 黒ひげ?」 「そう。黒ひげ危機一発。なんであんなとこにあんのかなーって」 「おかしなこと気にするね中野も」 「いや、だって気になるだろ。普通居酒屋にあるようなもんか?」  ファミリーも利用するようなチェーン店ならともかく、大学生が来るにはちょっとディープかもしれない、小さな渋い店だ。カウンターに、小上がりのテーブルが三卓。他に客はいない。 「ふうん……」  大久保はしばらくカウンターの片隅に置かれたそれをじっと見つめていたが、やがて何を思ったか、掘り炬燵から足を抜いてフラフラと立ち上がった。 「ちょっ……おいこら、危ないって」  いろんな意味で、という含みを込めて、ミニスカートで俺の上を跨いでいく大久保に言う。 「大丈夫かお前」  気がついた他の連中も何事かと会話を中断しこちらを注視する中、大久保はらいじょぶらいじょぶと言いながら危なっかしい足取りで小上がりを降りてカウンターの端まで行き、親父さんと二言三言交わすとその樽型の物体を手に戻ってきた。 「第一回、」  皆が何事かと見守る中、大きな声で言う 「黒ひげ危機一発たいかーい!」  唖然とする俺を尻目に、意外にも半数以上がいえーだのうおーだの声を上げて拍手をする。  ……こいつら絶対なんだかわかんないままノリでやってるだろ。  そんなことを考える俺に、大久保が鼻息も荒くプラスチックの剣を俺に渡す 「そっちから! 時計回り!」 「別にやりたくて見てたわけじゃ……」 「いいから!」  俺はため息をついて赤いプラスチック片を樽に押し込んだ。  ため息混じりに歓声があがり、俺の向かいで無口にハイボールを飲んでいたやつにも剣が渡される。 「え、俺もやんの?」 「全員やるの! ほら!」 「なんなんだよ、一体」  俺の方に肩をすくめて見せた後で、困惑気味のまま黄色い剣を適当な穴へ。黒ひげは飛ばず、再びため息と歓声。  回数を重ねるごとに、声は減り、それと反比例するようにため息が深さと緊張を増していく。特に乗り気ではなかった俺も、気づけばいつしかゲームの行く末を見守り、剣が無事に押し込まれるたびに安堵とも感嘆とつかない息を吐き出している。 「うわっ!」  不意に樽の真ん中に鎮座していた人形が勢いよく跳び上がり、一斉に大きな声が上がった。俺も思わずのけぞる。人形は危うく誰かのグラスにホールインワンするところを、その向かいにいた女子が素早くキャッチした。数名がファインプレーに拍手を送るが、殆どの連中は人形を飛ばした男をしきりに囃し立てている。 「んじゃあ今日日野の奢りね!」 「ちょっ……ざけんな、そんな話一言も」 「ごちんなります!」 「ご馳走様ー」 「そうと決まればみんなで万寿いこ万寿」 「だあっ! バイト給料日前だっちゅうの!」  そんな馬鹿騒ぎもひとしきり終わると、誰からともなく剣を引き抜きながら、今回はドローだが次から飛ばしたやつは1000円余計に払うというルールが設定され、新たな緊張感の中第二回戦が開始される。第二回戦は最初のやつが飛ばしてあっという間に終了、つづく3回戦は最後から三本目で飛び、4回目は初回に飛ばした日野が再びの敗北。 「楽しんでんじゃん」  大久保が不必要に顔を近づけて言う。 「やりたいわけじゃないとか言ってたくせに」 「まあな」  俺は渋々頷いた。 「こんなゲーム、なんで今更こんなに楽しいかね」 「決まってんじゃん。酔っ払ってるからだよ」  大久保はこともなげに答えた。 「酔っ払いには単純で派手な方がテンション上がるんだって。これ居酒屋に置こうって思った親父さん、グッジョブだよ。気がついた中野もね」 「俺は別に……」  なんとなく目線を逸らしてしまう。 「何よ、なんか言いたいことでもあんの?」 「なんでもねえって」  今更、言えるわけないじゃないか。  こんなゲームなんかなくたって、飲み会に大久保が来るだけで、十分テンション上がるんだ、なんてさ。
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