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最初の事件は二ヶ月ほど前の雨の日だった。
被害者は赤沼庄司。絞殺。
それから三日後、朝方に雨が降ったその日、橙野優子が轢殺された時は、誰もが偶然だと思っていたという。
翌月、やはり雨の日に、黄瀬雄三が絞殺されたとき、誰からともなく、これは連続殺人ではないか、という噂が囁かれ始めた。
そして同月末、緑川孝雄。翌月半ば、青井弓枝。
全てが雨の日の犯行。
そして、その名前。赤沼の赤、橙野のとうはだいだい、黄瀬はのきは黄色のき、緑川、青井。
これは、虹の色に準えた連続殺人ではないか。
被害者には、もう一つ共通点があった。全員が、学生時代、同じテニスサークルに入っていたのだ。
同じサークルに所属していたという紫野麗華が大谷重吉を伴って事務所を訪ねてきたのは、青井弓枝の殺害から、一〇日ばかりが過ぎた日のことだった。
だった。
「あたし、もう、怖くて」
確かに、しのの「し」は紫という字で、虹の色の一つだ。仲間内でも残りの被害者の一人ではないかと噂になっているのだという。
「警察には言ったんですか」
「もちろんです。でも、警備なら強化してるって言うだけで、あまり相手にされてる感じじゃなくて」
「俺も気にしすぎだって言ったんですけどね」
と、大谷。
「失礼ですが、お二人の関係は」
「友達ですよ。同じサークルの」
紫野が答え、大谷がうなずく。
「ずっと会ってなかったんですけど、半年くらい前のOBの飲み会で」
「あの時はちょっと飲み過ぎちゃってね」
大谷は苦笑まじりに、独特のジェスチャで酒量が過ぎたことを表現した。
「世話になっちゃったんで、お礼の連絡入れたんですよ」
「それからときどき連絡取ってて……弓枝の葬儀で会ったとき、相談に乗ってもらったんです」
「青井弓枝……前回の被害者ですね?」
「はい。他のみんなはなんだか……腫れ物にさわるよう、って言うんですか、もうすっかり被害者扱いで。大谷くんは普通に接してくれたから、つい甘えちゃって」
「そして大谷さんがうちを見つけ出した、と」
「はい。たまたま雑誌で見かけたんですけどね、最初はちょっと怪しいかな、って思いましたよ、正直」
私は苦笑する。確かに、「普通の調査には興味がありません。特殊な事件に悩んでいる方、ご一報を」などと、どこかのライトノベルのセリフのような広告を出している探偵事務所は怪しく見えるだろう。
「ただ、調べてみると、実際に事件を解決してもらったっていう話もあって、それなりに信頼できそうだったんで。相談してみるくらいはと思って」
「賢明でしたね」
わたしは指を組んで二人を交互に見つめる。
「こう言った話を相談するのにうち以上の所はないでしょう」
それから一週間。夕方から降り始めた雨はそのまま強さを増し、暗くなるころにはざあざあと激しい音を立て始めていた。
紫野麗華は会社からの帰り路を急いでいた。恐れていた連続殺人事件が常に雨の日に起こったことは、当然頭の中にあった。
だが、彼女は、まだ本気で恐れているわけではなかった。
なぜなら、自分の番にはまだ早いはずだったから。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。
前回の被害者は青井弓枝だった。次は藍色が名前につく人物であるはず。心当たりもあった。藍川晴夫。学生時代からあまり接触のなかった男だし、飲み会にも顔を出していなかったが、そういう人物がいたのは確かだ。
そういえば大谷にも探偵さんにも藍川の話をしなかった。した方がよかっただろうか。
人気のない夜道を歩きながらそんなことを考えていた時、ふいに、目の前に人影が飛び出してきた。
「ひっ!」
短い悲鳴をあげ、思わず目をつぶる。
だがすぐに誰かの声と激しい音がして、紫野は目を開けた。傍らの地面でもつれあう二つの人影。新たな人物が現れ、最初の影を突き飛ばしたのだ。
「もう大丈夫ですよ」
関節を極め、最初の影を組み敷いた二つ目の影……私は言った。
「すみませんが、よかったらスマホのライトで照らしていただけますか。ええ、そうです。こいつが犯人ですよ。まあみてやってください」
言われた通りにライトをつけ、こちらに向けた紫野が、息を飲むのがわかった。
「そんな……大谷くん……」
大谷重吉を警察に引き渡して、一週間後。待ち合わせた喫茶店に現れた紫野麗香は、挨拶もそこそこに言った。
「あの、あたし……探偵さんにはいってなかったけど、藍川くん……藍色の藍を書いて藍川くんって人がサークルにいたので、てっきり彼が次だと……」
「ああ、藍川晴夫ですね。もちろん把握していましたよ。まあ落ち着いてください」
私が言うと、紫野はグレープフルーツジュースに口をつけた。私はゆっくり話し始めた。
「あの日、私は紫野さんを警護していたわけじゃないんです。まあ次に狙われるのはあなただろうとは思っていたんですが、確証がなかったので。見張っていたのは、大谷の方でした」
「えっ。それじゃあ……あのときすでに大谷くんが犯人だと……」
「はい。確信していました」
「いったいどうして……」
「いくつかの理由がありますが……最初に気がついたのは、これまでの事件には不自然なところがあるということです」
「虹になぞらえての殺人っていうことですか?」
「いえ。確かにそれも世間一般の通年からすれば芝居がかりすぎているのでしょうが……だからこそ、二人目、橙野優子の殺害状況はあまりにも不自然に見えました」
「えっ?」
「まず、他の被害者はみな雨が降っているときに殺されているのに、彼女だけがそうではないこと。雨は朝のうちに降っただけです。そして、彼女が死んだ状況だけが、どこからみても、ただのひき逃げ……事故でしかなかったこと」
「そう……なんですか?」
「はい。つてをたどって警察にも確認してみました。ブレーキ痕や目撃者情報など、すべてが、それが”運転手の不注意による事故”であったことを示唆しています。犯人もほぼ特定されています。逃げまわっていて逮捕にはいたっていないようですが、時間の問題でしょう」
「そんな……それじゃあやっぱり虹になぞらえているわけじゃなかったってことですか?」
「いえ、それにしては他の事件が規則正しすぎる。とても偶然とは思えません。そこで思い出したのが、あなたたちが家に来たときのことです。あのとき、大谷が酒を飲みすぎたと言いながら、こんなことをしていたのをご記憶ではありませんか」
私はあのときの大谷を真似てみせた。片腕を水平にあげ、喉の辺りをとんとんと手刀で叩くようなしぐさ。一昔前のコメディアンのギャグにも似たジェスチュアをみて、紫野は首をかしげた。
「そういえば、大谷くん、昔からそんなしぐさすることがありました」
「これはロシアで、もう十分飲み食いしたってことを示すサインなんです。腹にいれたものがここまできてる、っていうことでしょうね」
「ああ、それで。そうなんです。大谷くん、小さい頃ロシアにいたんですよ」
「はい、すぐに調べはつきました。そして、ロシアではね。虹は四色または五色なんですよ」
「えっ!」
紫野は大きい声をあげた。私は続けた。
「日本では虹は七色ですね。ところがこれは全世界共通というわけではないんです。二色から八色まで、国や地方によってさまざまな見え方があります。ロシアでは四色、または五色。どちらの場合も、橙色と藍色はありません」
「じゃあ、大谷くんははじめから……」
「はい、橙野さんはターゲットにしていなかったようですね」
「つまり……」
「ええ。そうです。同じように、藍川晴男もターゲットだったとは考えにくい。もっとも、噂を元に大谷が計画を修正した可能性もありました。だからあなたではなく、大谷を張っていたわけです。そもそも、犯人が次の犯行を行うかどうか……つまりあなたが狙われるかどうかも、ひとつの賭けでした」
「それって、どういう」
「言ったでしょう、四色または五色って。四色の場合、足りないもうひとつは、紫色なんですよ」
「あ……」
「私は思うんですよ、大谷があくまで日本の虹の色に合わせて計画を修正しなかったのは……実は真のターゲットはあなたで、気が焦って計画の修正を忘れたのかも知れない、と。と同時に、最終目的に辿り着くことを恐れてもいて、それでうちを見つけ出し、あなたに勧めたんじゃないか、とね」
紫野は黙って頷いた。その内心は、計りようがなかった。
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