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カーテンを開けると、窓の外にはうっすらと雪が降り積もっていた。車の通る道はほとんど乾いているけれど、庭や畑は白く染まっている。おそらくは数センチといったところなのだろうけれど、雪が珍しいここでは降り積もったと言って差し支えないレベルだ。
部屋の電気はつけないまま、寝間着から散歩用の服に着替える。ニット帽を耳までしっかりと被り玄関を出ると、外の空気はやはり冷たかった。手は上着のポケットの中に突っ込み、「さむいさむい」とつぶやきながら歩く。まだ太陽の見えない薄暗い時間帯で、他に出歩いている人は見当たらない。
誰の足跡もないまっさらな雪の上を歩くと、「ぎゅっ」と固まるような音とともに、足跡がしっかりと残っていく。滑って危ないということはない。
雪が降るのを見て、早く止んでほしいと祈るようになったのは、いつの頃だったか。雪が積もっているのを見て、雪よりもテレビの交通情報を見るようになったのはいつの頃だったか。
小学生の頃は、もっと降ればいいと無邪気に喜んだ。中学生の頃は、グラウンドが一日でも長く使いえないようになれと切実に願った。高校生あたりから、何も考えなくなったと思う。
雪が嫌いになったのは、きっと社会人になってからだ。それは仕方のないことだと思う。車を運転するようになり、仕事で電車を使うケースもある。どうしたって、雪とトラブルは一緒にやってくる。雪遊びなんてしないわけで、部活が中止になるとか、よほどかかわりたくないイベントでもない限り、雪を喜ぶ理由がない。
きっと、雪を嫌いになるのは大人になった証。
でも、誰もがそうというわけじゃない。
きっと彼女なら。
彼女は私の半歩前を歩き、白く染まった畑や田んぼを、綺麗だと眺めるだろう。厚底のブーツで雪をしっかりと踏みしめて、その一歩一歩を楽しむだろう。出会った頃の中学生だった彼女ではなく、大学を卒業する歳になった今の彼女も、綺麗なものを綺麗なものとして味わうその感性は、きっと変わりはしない。身長が伸びたかわりに伸ばしていた髪が短くなって、可愛らしさよりも優しさを感じるように容姿が変わっていっても、きっと彼女の純粋な心は変わらない。
『亡き女を想うと書いて妄想』
使い古された文句が頭に浮かび、隣を歩く彼女の姿が薄くなる。
結局は私の願望に過ぎないのかもしれない。彼女は別に死んでしまったわけではないけれど、隣に居はしないのだから、同じことだ。
でも、彼女のことを想うことで、この雪景色が綺麗なものだと思える心が私の中に生まれる。それはとても温かいことだと思う。自分一人の考えしかない、狭くて冷たい心よりも、誰かのことを想う広く温かい心でありたいと思う。
現実にはいない隣を歩く彼女が、数歩先んじて振り返る。にこりと笑顔を浮かべて、そっとかがんだ。
「つめた……」
ぎゅっと握った雪玉を二つ重ね、ガードレールの柱の上にそっと置く。顔も描かない簡素な雪だるまは、それでも笑っているように、私には見えた。
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