た:太鼓叩きでお祭り騒ぎ

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た:太鼓叩きでお祭り騒ぎ

 大陸北方にあるトルヴェール村の冬には、時折それなりの雪が積もる。長く残る事は無いのだが、その間外でできる事が無くなるのは、年若い子供達にとっては、非常に退屈な時間をもたらすものだ。  クレテスは、その有り余った時間でのんびり焼き上げた木の実パイをバスケットに詰めると、長靴を履き、気持ち程度雪除けされた道を歩いて、隣家の扉を叩いた。 「はい」  高めの声がして、ぱたぱたと玄関に近づいてくる足音がする。シュタイナー兄弟の隣に住むのは、エステルとその叔父アルフレッドの二人である。だが、アルフレッドが村の外へ大陸情勢をうかがいに出かけている今、留守を守っているのは、少女一人だ。 「あ、クレテス。どうしたんですか、こんな日に」  扉を開けたエステルは、不思議そうな色を翠の瞳に乗せてはにかむ。  無い。危機感が無い。いくら村人同士が全員お互いの顔と名前を一致させる事ができるとはいえ、こちらが名乗る前から簡単に扉を開けるか。一人で留守番の年頃の少女が。クレテスは溜息をつきながら、バスケットを差し出す。 「アルフさんがいなくて、お前、作り置きのものしか食べてないだろ。冷めない内に食えよ」 「わあ、ありがとうございます! クレテスの作るパイはとても美味しいから大好きなんです」  爆弾が脳を直撃して、想像の中でのけぞりかける。いや、好きと言われたのは、自分の作るパイだ。断じて作った当人ではない。だが、心臓がお祭り騒ぎを始めて、さながら東の大陸(ノルン)のジャオウ国の祭で行われる太鼓叩きのようにドゴドゴ脈打っている。まったく、これを邪気も悪意も他意も無しに言い放つのだから、この少女も大概罪深い。  また、少女の罪深さは底無しで。 「良かったら、一緒に食べませんか。お茶を淹れるから、どうぞあがって」  その誘いに、クレテスはその場に頭を抱えてしゃがみ込みたい衝動に駆られた。何故。何故、年頃の少年少女で一対一の状況に持ち込もうとする。数年前から自覚したこの少女への思うところが無かったとしても、それは駄目すぎるだろう。 「いや、おれは」 「……忙しいですか?」  やんわりと断ろうとすると、少女の眉がしょんぼりと下がる。頼むからそんな顔を見せるな。砕け散って吹っ飛びかけた理性の欠片を必死にかき集め、元の姿に戻す戦いが、脳内で一秒。 「ま、まあ、暇ではあるけど」 「じゃあ!」  共に剣を握っているにしては、少年より細くて柔らかい手が、こちらの手首をつかんだ。  ずいずいと家の中に入っていって、食堂の椅子に座らされ、「ちょっと待っていてくださいね」と言われるままに待つ。  台所では丁度お湯が沸こうとしていたところらしい。少女の料理の腕前が死滅している事については、村中の誰もが知るところだが、何かを温める事や、できあがっているものを切り分ける事に関しては、無事人並にできるのだ。どうして一から料理を作るのだけは駄目なのかは、永遠の謎である。  バスケットを開いて木の実パイを切り分け、カモミールとジンジャーを合わせた茶の香りが漂ってくる。少女の背中からテーブルの上に視線を移し、クレテスは、そこに一冊の本が置かれている事に、やっと気づいた。  革製の表紙に書いてあるタイトルからわかる。聖王ヨシュアの物語だ。しかも、大陸西方にある聖王教会の教典の、聖王神正伝ではなく、裏話的な民間伝承を集めた、どれかというと外伝集みたいな一冊である。ぺらぺらとめくっていると。 「興味あります?」  お茶を用意したエステルが、微笑を浮かべながら向かいに座る。パイが載った皿をお互いの前に置き、カップにカモミールの良い香りを注ぐと、ヨシュア外伝集を開き。 「あ、ここです、ここ。私、この話が好き」  ずい、とテーブル越しに身を乗り出してきた。急に顔が近づき、翠の瞳がきらきら光っているものだから、クレテスの胸中の太鼓叩きが再び始まる。なんならその周りで踊り狂っている人々の幻覚まで見える。 「毒に倒れたヨシュアを、それまで彼に守られていた巫女セリア・テムティナが、解毒の植物を求めてその身を賭してまで探しにゆく話」 「ああ、はい」 「セリア王妃は正伝ではほとんどその人となりについて語られないけれど、この話は、彼女が助けられるだけのヒロインではないところが描かれていて、すごく好感が持てます」 「うん、そうだな」  エステルの熱弁も右耳から左耳へ通り抜けてゆき、曖昧な返事しかできない。 「……ちゃんと聞いてます?」  おざなりな態度が機嫌を損ねたらしい。エステルが、ぷうと頬を膨らませ、小首を傾げて半眼で見上げてくる。もう勘弁して欲しい。太鼓の皮に叩き手が頭を突っ込ませて破りそうだ。 「聞いてる。聞いてるから、とりあえず冷める前に食おう」  何とか正論を吐き出すと、エステルも、こちらの訪問の理由を思い出したらしい。「そうでした!」と本を閉じて脇によけると、パイにフォークを差し、一口大に切って口に運んだ。  途端、ぱああっと輝くような笑みが満面に広がる。 「美味しいです!」 「そりゃ良かった」  笑顔がまぶしすぎて直視できずに、手元に視線を落としたままお茶のカップに手を伸ばす。だが、カモミールティーを口に含んだ直後、クレテスはエステルの爆弾発言に、お茶を噴き出しそうになった。曰く。 「クレテスのお嫁さんになる人は幸せですね。こんなに美味しいパイを毎日食べられるんですから」  かろうじて「ングッ」と呻くに留め、茶を飲み下す。  鈍感だ。すさまじく鈍感に過ぎる。というか、目の前の少女以外を妻に迎えるなど、考えた事は無かった。というか(二回目)、恋心は自覚しているとはいえ、彼女を妻にするとかそういう事も考えていなかった。本日最大の太鼓叩きが繰り広げられ、踊りの行列が心臓から脳にまで達している。  それを誤魔化す為に、高速でパイを口に詰め、お茶で胃に流し込むと、どん、とカップをテーブルに置き。 「おれ、帰るわ。戸締まりはちゃんとしろよ」  耳まで真っ赤になった顔を隠すようにうつむいて、それを言うのが精一杯であった。  かくして、帰宅したクレテスは玄関で頭を抱えて屈み込み、「何やってんだ」と兄ケヒトに呆れられ。  幼馴染の真意に気づかないエステルは、後日帰宅したアルフレッドに「何か気に障る事を言ってしまったのでしょうか」と馬鹿正直に話して、叔父が「あー……それは」と天井を仰ぐのを、不可解そうに見つめるばかりであった。
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