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つ:潰れた夜に
彼女がここまで酔い潰れるのは珍しい。
酒の入っていた空のカップをテーブルに転がしたまま、ぐったりと突っ伏す女性――テュアン・フリードの姿を見下ろしながら、アルフレッド・マリオスは深々と溜息をついた。
こちらが下戸だった若い頃からうわばみだった彼女は、稀にこういう時がある。それも必ず真冬、自分とサシで飲んでいる時だけだ。
いくらお互い剣士として身体を鍛えている上に、暖炉の火が揺れる屋内といえど、酔ったそのまま眠っては、風邪を引きかねない。
「テュアン。おい、テュアン」
席を立ち、彼女の傍らに寄り添って、肩を揺する。
「起きてくれ。自分で部屋に戻れ」
普通の女性ならば軽々と抱き上げて、寝室まで連れてゆく事ができるだろう。だが、彼女は旧王国でも名を馳せた傭兵だ。服の下に隠れた筋肉により、見た目以上の重量がある。
『女にそういう事言うか?』
王国時代、戦場で負傷して気絶した彼女を担ごうとして膝から崩れ落ち、何とか引きずりながら自陣営まで運んだ後。目を覚ました彼女に、正直しんどかった事を洩らして、裏拳で顔を叩かれた。それ以降、アルフレッドは彼女の前で、重さの話に触れる事をやめた。
「テュアン」
再度呼びかける。
と、閉じられていた目蓋がゆるゆると持ち上がり、「アルフ」とろんと蕩けた表情で、彼女が言った。
「ミスティとランディは、まだか?」
少々呂律が回っていない口調で、彼女はここではないどこかを見ている。
「ったく。折角四人で飲もうって言ったのに。あいつら、仕事が忙しいだの何だの」
そう。彼女が酔い潰れた時は、必ずこれだ。もういない人達を待っている。もうこの場に現れる事の無い友人達を求めている。
自分と、二人きりの時だけ。
普段、子供達に厳しく剣の指導をする強気さからは想像もつかない、切なげな瞳で、テュアンは訴える。
「お前、弟だろ? 早く来いって、言ってこいよ。あたしは」
ゆうらりと上半身を起こし、自分の一言一言に合わせてぐらんぐらん揺れながら、彼女は続けるのだ。
「ずっと、待ってるんだから」
ずっと待っている。それは、決して果たされる事の無い約束。
自分が、敬愛する人達を失った十数年前を決して忘れる事が無いように、彼女もまた、あの真冬の雪の日を、一生の後悔として抱え込んでいるのだろう。
彼女がそれを見せるのは、唯一お互いの心底を知る、自分の前でだけ。その行為がどういう意味を持つか、わからないはずが無い。伊達に歳は取っていない。
それでも、自分が他の女性への想いを抱き続ける限り、親友以上恋人未満のこの関係が変化を見せる事は、決して無い。
年月が経てば、忘れるものだと思っていた。だが、時が過ぎ、思い出が色褪せてゆくほど、反比例するかのように、かの人の声は明瞭になって、今も自分の名を呼ぶのだ。
(吹っ切れると、思ったんだがな)
アルフレッドは、ひとつ、溜息を落とす。そして寝室から毛布を持ってくると、軽いいびきを立て始めた戦友を包み込む。
彼女が潰れた夜は、目が覚めた時、ぼろぼろ泣きじゃくって手に負えない。自分が傍にいる事で、少しでも気持ちが晴れるなら、胸を貸すくらいは役に立とう。
その気持ちを抱いたまま、アルフレッドは再びテーブルにつき、手酌で自分のカップに酒を注ぐと、ゆっくりと一人味わい続けた。
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