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て:手先が器用な彼の温度
ある日。ある場所。屋内の廊下で。
(困った……)
イリスは己の手の中に包み込んだ物を見下ろしながら、途方に暮れていた。
「っと、お姫さんじゃん。どうしたの」
そんな彼女の背後から、軽い調子で低い声がかけられる。この声も大分耳に慣れた。大体の首の角度の予測をつけて振り向けば、その通り、蒼い瞳としっかり視線が合う。
相手の青年――アッシュ・レジュハは、不思議そうに小首を傾げたが、イリスが胸の前に掲げている手の中を覗き込んで、察してくれたらしい。「あー……」と声が洩れる。
イリスの手の上で光るのは、銀製の耳飾り。常に彼女の耳についている物の、片割れだ。その接続部分が、歪んで外れてしまっている。
「何やらかしたの」
「服に引っ掛けたから、ちょっと強く引っ張ったら」
「あー……」
二度目のぼやきの後に、「俺もよくやる」と自身の左耳についた耳飾り《カフス》を触って、青年は問いかける。
「大事なもん?」
「私が生まれた時に、『大きくなったらつけさせる』って、父様が用意しておいてくれた物だから、それなりには」
「そりゃ、それなりじゃあなくて、めちゃくちゃ大事でしょ」
そう言って、青年は耳飾りをイリスの手からつまみ上げる。そしてその大きい手からは想像もつかない速さで、金属の歪みを正し、元通りの形に戻してしまった。
「はい」
ものの数十秒で掌に戻ってきた輝きを、イリスはしばしぽかんと見下ろしていたのだが。
「あ、ありがとう……」
何とか、礼を失する前に顔を上げ、感謝を述べる事に成功した。
「まあ、手先の器用さが命なんで」
青年はがりがりと頭をかき、面映ゆそうに微笑する。
「また何か困ったら、声かけてくれよ」
ひらひらと手を振りながら立ち去る彼の背を見送った後、イリスは耳飾りを自分の耳につけ直す。
その時、青年の指の温度が耳にまで移ったような気がして、少女の頬は、知らず知らずの内に熱を帯びるのであった。
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